多くの人には横浜と「焼き物」という言葉は、結び付かないかもしれないが、明治〜昭和初期にかけ、横浜から海外に焼き物が輸出され、外貨獲得の役割を担っていた。特に初代宮川香山の眞葛焼は人気を博し、横浜港に入ってきた外国人達は、先ず人力車で眞葛焼の窯に向かったそうである。
そんな宮川香山と同時期に横浜で作陶したのが、三代目井上良斎である。井上良斎は大正3(1914)年〜戦後にかけ、活躍した陶芸家で、やはり海外へ輸出用の作品を多く作っていた。当初高島町近くに釜を構えたが、関東大震災で被災し、南区永田東の斜面地に拠点を移した。この時作られた登り窯と工房が今も保存されている。
有志団体「登り窯と永田の自然を守る会」が登り窯をの存在を多くの人に知ってもらいたいと、毎週土曜日から月曜日の午前10時から午後4時(予約なしでも見学可能)で一般公開を始めた。登り釜は現在使用されていないが、当時の道具等も見学できる。斜面に沿って煉瓦を積んで作られた登り窯には、焼跡や焼成の際に窯にくべた松から出た松脂も見られ、この地で作品が作られたいた歴史を物語る。また、敷地内には湧水があり、平成19(2007)年に横浜市の横浜市民まち普請事業に応募し、水路や池を整備、ホタルが成育できるようにしてきたそうだ。 登り窯は、海外との窓口として発展してきた横浜の歴史を伝える貴重な存在ではないだろうか。機会があれば、是非一度見学していただきたい。
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