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heritagetimes

[レポート]三溪園一日庵茶会 白雲邸

更新日:2019年11月26日


2019年11月24日(日)、三溪園白雲邸において秋の一日庵茶会が開催された。

白雲邸は大正9年(1920年)の建築。原三溪が家族と暮らした鶴翔閣から離れ、隠居所として亡くなるまでのおよそ20年を夫人と過ごした住まい。自らの着想で同郷(岐阜)出身の大工 山田源市に建てさせたもので、臨春閣と呼応するようL字型の間取りで中庭を作り、内苑の古建築と総合的に計画されている。吟味された材料と伝統工法に基づいた数寄屋風のつくりは、鶴翔閣と同じく和風のライフスタイルを貫いた原三溪の木造建築への深い理解が読み取れるが、椅子・テーブル席となる談話室や屋根の構造など、近代的要素を和風建築へ導入する試みもみられる。平成元年横浜市有形文化財に指定されている。



有料(500円・菓子付き、入園料は別)ではあるが、通常非公開となっている白雲邸で「気軽に」お茶をいただけるとあって、多くの方が参加していた。

受付を済ませると、床の間のある奥の部屋に通された。部屋では手回しの茶臼でお茶が挽く様子が紹介されており、なんとも落ち着くお茶の香りが満たされていた。床に目をむけると茶壷と柿売りの様子が描かれている掛軸がかけられている。



解説によると鴨下晁湖の「柿売」という作品とのこと。鴨下晁湖(1890 - 1967)は、日本画家・松本楓湖に学んだ東京出身の日本画家で、人物画を得意とし、「半七捕物帳」や「眠狂四郎」など新聞・雑誌の時代小説の挿絵画家としても活躍したほか、絵本「舌切雀」や本の装丁も手掛けている。この「柿売」については詳細は不明だが、晁湖が歴史画を得意としたことから狂言の、演目にある「合柿(あわせがき)」に材をとったものとも考えられます。狂言では、宇治の柿売りが渋柿を甘柿といって売りつけようとするが、客から自分で食べてみろいわれ、うまそうに食べて見せようするが、ごまかしきれずに喧嘩になるというストーリーが展開する。掛軸を見ると、渋柿を食べさせられた後とも見える何とも間の抜けた表情の柿売りが描かれている。茶道では、古来茶の製造・販売をする茶師が初夏に摘んだ葉をいったん壺に詰め、熟成してうま味の出る11月頃にこれを注文主に届けるしきたりがあった。この届けられた壺の封を切り、その年初めての茶を味わう行事が「口切り」で、茶道では「茶の正月」ともいわれる重要な行事の一つとされる。また、その昔、茶師が壺を運

ぶ道中で採った柿や栗を添えて届けたことから口切りの茶会では柿と栗を使った菓子が多く用いられる。床に飾られた茶壷と掛軸は、この「口切り」に関連し設えられたものであるとのことであった。



お茶挽の解説を終えると、茶席の会場となる談話室に案内された。茶会は立礼(椅子)式で行われ、先にお菓子が運ばれてきた。お菓子は横浜元町・香炉庵の薄皮どらに三溪花紋合わせを焼き印したもの。やわらかい求肥餅を粒あんと薄皮の生地で包んだ上品な甘さであった。



お菓子をいただいたところで、お茶が運ばれてきた。口から広がるお茶(資料によるとお茶は横浜・浜田園の「呉竹の昔」とのこと)の香りを楽しみながらいただいた。

改めて周りを見渡すと、腰高の大きな窓と展示されていた黒漆螺鈿の椅子やテーブル、庭などが目に入り、質素かつシンプルでありながら細部に繊細で美しく、原三溪の晩年の美意識が読み取れるようでもあった。

まだまだ、建物を楽しみたかったが、次の茶席の準備もあるようなので、礼をして白雲邸を後にした。





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