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[レポート]中山恒三郎家書院及び諸味蔵 一般公開

更新日:2019年12月4日



JR横浜線中山駅から横浜市営地下鉄グリーンラインで一駅の川和町にて開催されている、中山恒三郎家書院と諸味蔵の一般公開に参加した。中山恒三郎は幕末に本家から独立後、塩や醤油、煙草、酒と手広く商売を行ない、川和村の豪商となったそうだ。また、菊の品種改良家としても知られ、明治14年(1881年)に宮内庁に改良した菊苗を献上したのが始まりで、昭和初期までに83種もの苗を献上している。菊園は松林圃と呼ばれ、地域の人々から親しまれていた。菊園があった頃は、今回公開している書院でも、時おり菊を観る会が催されていた。書院と今回は公開されていない店蔵は平成30年度(2018年度)に横浜市の歴史的建造物に認定された。今回の公開事業は、中山恒三郎家の歴史資料を調査する横浜市歴史博物館のアウトリーチ事業の一環として行われており、12月10日まで無料で見学できる。



この日は6代目当主の講演や音楽の演奏会もあり、多くの参加者で賑わっていた。当主の説明によると、書院は、この地に明治天皇が行幸した際、母屋の仏間に宿泊されたことに対し、後にきちんと建物を整備するよう役所から通達があったため、明治5年(1872年)に建てたものであるとのこと。明治の皇室建築に詳しい東海大学建築学科の小沢朝江先生の著書『明治の皇室建築 国家が求めた<和風>像』によれば、天皇陛下がご宿泊(お食事)をされる建物を「行在所(あんざいしょ)」と呼び、室内に座る人の身分の高さを表すよう、屋根や天井、床を高く作ったそうである。その視点から書院を見てみると、床は高く改修されたとはいえ、屋根が建物に対して高く造られているのが分かり、「行在所」の特徴を持っているようにも見える。内部は欄間や付け書院など細かい組子が施され、建設に関わった職人の技術の高さを感じられる。また、内部には、整理された資料も展示されており、見応えがある。

書院の一部や外観のみ公開の店蔵は所々黒く塗られているのが、これは戦時中に空襲を避けるため、コールタールを塗ったとのことである。諸味蔵は外観からは分かりにくいが、間柱を蜜に入れた頑強な土蔵、隣接する煉瓦倉庫は柱のない内部空間をイギリス積みの煉瓦が支える造りだ。諸味蔵の内部では、横浜歴史博物館の職員が資料調査を行っており、調査の様子も間近で見学できた。


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