横浜市による旧横浜市庁舎の見学会に参加した。
旧横浜市庁舎は、令和2(2020)年6月に市庁舎としての役目を終え、今後は、新たな施設として保存活用される一部を残し、市庁舎建物は解体されることとなるため、内部に入ることのできるおそらく最後の機会となる。
見学会は令和2(2020)年12月18日・19日の2日間。各日6回の計12回、各回25名定員、計300名を事前に募集し、ほぼ定員に近い応募があったという。
集合時間少し前に集合場所に行くとガイドが迎えてくれた。ガイドは横浜市都市デザイン室の星氏。簡単な注意事項などの説明のあと、ほぼ時間通りにガイドツアーがスタートした。ガイドツアーは約1時間で、今後解体が予定されている市民広間や市会棟を中心に解説する。
<旧横浜市庁舎>
旧横浜市庁舎は、市制施行以降の7代目の市庁舎として、横浜開港100周年を記念し建設されたものであり、設計者は、5 社(創和建築事務所、山下寿郎設計事務所、前川國男建築 設計事務所、松田平田設計事務所、村野・森建築事務所)を対象とした指名設計競技(コンペ)の結果、 1956 年 11 月に村野・森建築事務所が選ばれ、横浜市建築局とともに工事監理も担当した。建築工事は入札の結果、戸田建設が受注し、1956 年12月20日に起工し、杭・基礎の難工事を経て 1959 年9月12日に竣工した。
<市民広間>
旧市庁舎竣工当時、メインの入口は市電が通っていた横浜公園側からであった。そのメインのエントランスから入ると、2層吹き抜けの大空間が市民を迎える。設計コンペでは、この市民に開かれたエントランスホールが行政棟と市会棟を繋ぎ、市職員や議員との公的な場となるという思想が評価され、村野案が選定されたという。
実際に飛鳥田市政時には、市民広間は市民相談の場として運用されていたことがあり、時には大階段を降りてきた市長が自ら市民の質問に答えるということもあったという。
村野はこの二層吹き抜けの大空間について、中世主義の傑作として評価の高い スウェーデンのストックホルム市庁舎(1923、R.エストベリ設計)の「青の間」をモデルにし たと述べている。
市民広間南壁面には、 (彫刻家・辻晋堂氏の作品)が象徴的に飾られている。村野とよく協働していた彫刻家、辻普堂のレリーフ「海・波・船」が飾られている。京都の泰山タイルを用いた幅 50m×高さ 7mの大レリーフは行政棟2階の市長室前、市会棟1階の入口まて連続しており一連の作品群となっている。
竹山実による石やパンチングメタルを用いた改修も見どころとなっている。飛鳥田市長が始めたという横浜市民広間演奏会も広く市民に愛されていた。
<大階段>
村野建築は階段の匠さに定評があり、その片鱗は旧横浜市庁舎にも見られる。市民広間にある大階段は行政棟2階にある市長室と市民広間を結ぶ階段で、程よい高さに設けられた踊場が、まるで舞台か演台のように市民広間に突き出して浮いているかのように配されいる。低く抑えられた特徴的な手すりも特別な場所であることを示している。実際にここには、優勝したスポーツ選手などが市長を表敬訪問した際に、集まった市民などにむけて挨拶などをする場所としても使われていた。
<市長室・市長応接室・議長室・副議長室>
市長室・市長応接室と、市会棟の同じく2階に配された議長・副議長室の壁は濃褐色のベニヤ板張りとして、非常にシンプルながら重厚感が演出されている。市長室は林市長のアイデアにより、明るい色の壁紙に張り替えられ改変されているが、絨毯などは創建当時のオリジナルのものが残されている。ここはバルコニー状に外廊下が配され、外観からは低層部の横方向の軸が強調され、視覚的・機能的にも、市会、市長と市民との接点が開かれている印象を与えている。
各部屋にある時計も造り付けの時計で、創建当時のオリジナルで村野のデザインによるもの。同じく村野のデザインによる行政棟の執務室にある四角い黒い箱状のシンプルな時計に比べると、貝やガラスのビーズが配され華やかさがある。
<議場>
議場では、議長席や議員席にも用いられた濃い色の練付ベニヤを高い 壁面や傍聴席の腰壁にも用いることで、室内全体を家具と一体化したスケールでデザインしている。議長席・議員席の椅子は、前後にスライドしやすい構造となっており、議員が立ち上がる際に邪魔にならないように工夫されている。照明は議場を全体的に明るくするため、すべて間接照明で白色プラスター塗りの天井を照らし、側壁上部には自然採光のための可動式ルーバー窓も設けられ た。両脇の天井面には彫刻家・須田晃山による鳩と月桂樹の石膏レリーフが張られている。
<外観>
旧横浜市庁舎の柱はよく見ると、上に行く従って少しづつ細くなっており、空に向かっていくにつれ、軽くなるように感じられる。非常に繊細な工夫だが、建物は基部より上部の方が支える重さが軽減するので、柱も合わせて細くなっていくのは非常に合理的なデザインともいえる。
外壁を見ると、コンクリート打放しの柱や梁で格子状になっており、そのフレームで区切られた部分は内部の間取りに合わせ、壁・窓・バルコニーを自由に配置しているところが特徴となっている。
壁の部分には、濃褐色の陶器製タイル張りで仕上げるおり、よく見るとその目地は洗い出しにすることで陰影を深め、建物全体の表情を豊かにしている。
屋上にある「愛市の鐘」は、市民の寄付により設置されたもの。「愛市の鐘」を納めている塔は、この地に以前魚市場があったことから魚網をイメージしてデザインされている。なお、「愛市の鐘」は設置直後、うるさいという市民の苦情によりずっと沈黙したまま出逢ったが、平成18(2006)年、これもまた市民からの応援を受けて修復され、1日4回その音を響かせていた。
現在、市庁舎跡地の活用事業を進めており、「国際的な産学連携」「観光・集客」をテーマに、地区の賑わいと活性化の核となる拠点づくりを目指している。
見学会は今回が最後であったが、外観はしばらく周辺道路から確認することができる。また、横浜では現在、村野藤吾展が開催中(会場:BankART KAIKO)であり、旧横浜市庁舎の貴重な設計原図を見ることができる。展覧会は槇文彦展とあわせて「M meets M」として令和2(2020)年12月27日(日)まで。是非、観覧されたい。
※このレポートはガイドツアーの解説を元に下記の資料を参照・引用して構成した。
旧横浜市庁舎見学会配布資料(2020、横浜市都市整備局都市デザイン室)
横浜市庁舎の保存活用に関する要望書(2017、一般社団法人日本建築学会)
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