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[レポート]民家園防災デー 「旧太田家住宅焼損部材収蔵庫特別公開」「消火訓練・ドレンチャー(延焼防止装置)放水試験【日本民家園】




今年秋に耐震工事を控えている旧太田家住宅(国指定重要文化財)は、平成2(1990)年7月29日に生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落下し、主屋を中心に焼損。その後、関係者の尽力により平成4(1992)年10月に復旧した。

毎年、この一連の出来事を振り返り防災意識を高める催し「民家園防災デー」が行われてきたが、本年は旧太田家住宅が茅葺き屋根の吹き替えを控えているという好機を生かして、内容を一新し(1)火事による焼損部材の公開と解説(2)消火訓練(3)ドレンチャー(延焼防止装置)放水試験を行うというので、実施日の令和3(2021)年6月20日、現地に取材に向かった。



川崎市立日本民家園は、高度経済成長期において急速に消失しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に、昭和42(1967)年、川崎市多摩区にある生田緑地内に開園した古民家の屋外博物館である。

日本民家園は大きく分けて「宿場」「信州の村」「関東の村」「神奈川の村」「東北の村」に別れ、古民家を中心に文化財を含む25棟の建物を見学することができる。

旧太田家住宅は、園内ほぼ中央の「関東の村」にある。主屋は17世紀後半に、土間は18世紀後期に茨城県笠間市に築造された二つの屋根を持つ分棟型住宅で、昭和43(1968)年に国重要文化財に指定され、昭和44(1970)年に同園に移築された。

開催時間に合わせて訓練会場である旧太田家住宅に向かった。現地は周囲にがカラーコーンとバーで仕切られた見学場所が用意されており、そこで待機していると、職員により、この訓練の趣旨について、また平成2(1990)年の火災の顛末等について説明があった。建物も放水に備えて、屋根よりしたの部分の周囲を白い不燃性のシート(昨年、北村家で利用したものの再利用とのこと)で養生している。



説明後、職員の誘導に従い建物を一周するように南東側の収蔵庫に回り、普段は非公開となっている、焼損部材を見学した。

火災後、焼損した部材はアクリル系樹脂で表面を硬化させ、被害の軽微な部材は再用し、再用できなかった部材は部材を収蔵庫に組み立てた状態で保存している。このように焼損部材を組み立てた状態で保存しているのは、全国でも、昭和24(1949)年に出火し、文化財防火デー制定のきっかけとなった法隆寺金堂と旧太田家住宅の2箇所のみとのことであった。

すっかり炭化し黒々となった部材、表面が鱗状、ひび割れしている部材の様子が生々しく、火災の被害の大きさが伺えた。



収蔵庫の見学が終わり、見学場所に戻ると、職員から本日訓練の手順の説明があった。

まず、旧太田家住宅の北側斜面が燃えていることを来場者が発見、火災報知器のボタンを押した上で事務所に連絡。通報を受けた職員は、通報した来場者の安全を確保した上で、自衛消防隊として消化ホースによる一次消化を実施、その後、ドレンチャーによる延焼防止、消防署に通報、到着後消化活動を引き継ぐという内容であった。



定刻になり、いよいよ訓練が始まった。

まず、見学者役の2名の職員が北側斜面の火災現場を現認し、一人が火災報知器のボタンを押すとともに、もう一人が携帯電話で事務所に連絡し発報。園内にはサイレンが響いた。

しばらくすると職員が駆けつけ、見学者役の職員に怪我の有無を尋ねた上で、離れた場所に誘導、続いて、2箇所の消火栓からホースをのばし北側斜面の消火にあたる。火の絵が描いてある的に当てるように水勢をコントロールしながら、消火活動を進める。また、この時に放水が屋根の高さより高く届くかの確認も行なっていた。



ある程度、一次消火が行われている中で、「一次消火失敗」の号令があり、無線でドレンチャー作動の指示が発報されると、建物周りのドレンチャーの蓋が水の勢いで吹き飛ばされるように開き、勢いよく放水が始まった。周囲が真っ白になるくらいの勢いで水が屋根全体に吹き付けられ、茅葺の屋根からはジャバジャバと水が落ちてくる。5分ほどの放水の後、「訓練終了」の号令があり、放水が終了した。すっかり周囲は水浸しになっていた。



見学会も含めて、全体でもわずか1時間程度の訓練であったが、消火訓練の重要性、文化財防火の意識啓発の重要性が十分に伝わってきた。

近年、歴史的建造物を失火により失うことが少なくない中で、こうした訓練を通じて、今一度、管理者のみならず、各自が意識を高めていく必要があると再認識する貴重な体験であった。









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