鎌倉にほど近く、環状4号線の笠間方面から小雀方面に向かうと田谷の交差点を過ぎた先の左手に大屋根が見えてくる。
その大屋根の建物の前に車を止め、入口に向かうと「侘助」と書かれた行灯看板と暖簾に迎えられる。暖簾をくぐって、案内された席につく。テーブルからは使い込まれた木の温もりが伝わる。
メニューにはそば、うどんの他、丼、会席料理と並んでいるが、今回は、毎日店主が手打ちをしているという蕎麦の中から、天ぷらそばを選んで注文した。
店内を見渡すと、囲炉裏の煤で黒々とした古い柱と梁が通され、さらに上を見上げると屋根裏には茅葺が見える。
この建物は昭和52(1977)年の開業する際に、福島県いわきから築200年の古民家を移築されたものだという。あたりは移築後40年以上経過した今でも畑や野菜の直売所に囲まれており、移築とは思えないほど、すっかり周囲の景観に溶け込んでいる。
しばらくして、天ぷらそばが席に運ばれてきた。やや白みがかった細め蕎麦、薄い衣の海老と野菜の天ぷらに七味と胡麻が添えられている。まずは、一番削りだけを使っているというかけつゆを一口いただくと、口の中にやや甘味のある柔らかい出汁の旨味が広がった。続けて口にした蕎麦は喉ごしがよく、天ぷらはさくっと揚がっているので、ザブンと天つゆにつけていただいたが、程よい歯応えが残っていて美味である。
ところで店名の「侘助」の由来を店主に聞き損なってしまったが「侘助」は一般には花の名で唐椿の一変種を指し、その名の由来は「豊臣秀吉が朝鮮に出兵したときに侘助という者が持ち帰った」というのが一説、また一説は「戦国時代の堺の町人、笠原宗全が好んだ椿であった。」というものである。冬の季語にもなっている「侘助」。小ぶりで平らに開ききらずにひっそりと咲くこの椿の名こそ、確かにこの店にふさわしいのかもしれない。
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