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[歴飯_76]しまカフェ 江のまる



この日は梅雨明け前にもかかわらずやってきた真夏の気配に誘われて、江ノ島を訪れた。江の島の入口から江島神社への参道を登って行き、辺津宮、中津宮、サムエル・コッキング苑過ぎた先の階段を降りたところの「海花亭」で名物の生シラス丼をいただいた。店を出た後、少し先に大きな紅色の日除け暖簾を出しているカフェが目に入って、食後のコーヒーを、とそそられたが、前を通り過ぎて、奥津宮、稚児ケ淵まで行き着いた。岩場で晴れ渡る空と太平洋をしばし堪能したところで、来た道を引き返すことに。



稚児ケ淵から戻る石段は急峻で、息が切れると同時に、真夏のような日差しに身体中から汗が吹き出し、サムエル・コッキング苑の手前でついに一服したくなったので、行きがけに気になっていた日除け暖簾の店に立ち寄ることとした。暖簾には四角張った独特なロゴで「しまカフェ 江のまる」と店名が書かれている。

店の入口の脇にはかき氷や飲み物を提供するテイクアウト用の窓口もあったが、店内のメニューにもかき氷があることを確認して、ガラス引戸を開けて店内に入った。



店内には、奥の壁沿いのベンチ席のテーブル、中央のソファ席、通り際の丸テーブル席がある。「空いている、好きな席へどうぞ」との案内だったので、奥のベンチ席を選んで腰を据えた。まもなくお冷と共にメニューが運ばれて来た。メニューには飲み物のほかケーキなどの甘味、さらにランチメニューとして釜あげシラス丼とマグロ・アボガド丼などもラインナップされていた。

その中でも、かき氷のメニューの中で一際目立っていた「こだわりの苺」を注文した。ちなみにレモンやメロン、ブルーハワイと並んで「イチゴ」もあったが、ここは「生の果肉から作った苺の甘酸っぱさそのままのシロップです。」と推されていたことに期待を込めて「こだわりの苺」を選んだ。



大正時代に建築された古民家をリノベーションしたと言う建物の内部は天井が取り払われて小屋組が剥き出しになっている。「大正期」と言うのが関東大震災の前なのか、後なのかは定かではないが、部材を見ると転用材の様な痕跡も見られるので、震災後に倒壊した建造物の部材も転用して建てられたのかもしれない。

店内に置かれている家具やはいずれもビンテージもので、ゆっくりと流れているハワイアンのBGMも合わさって、落ち着いた雰囲気を醸し出している。



しばらくすると、注文していたかき氷が運ばれてきた。山盛りに器に載せられた、ふわふわの氷にたっぷりと苺のシロップがかかっている。

一口食べると、口の中に、口溶けの良いひんやりした氷と共に、苺の味そのままの甘酸っぱいまろやかな味と香りが広がった。期待通りである。



席からガラス戸越しに御岩屋通りの往来がよく見える。今日も観光客で賑わっている。

江ノ島は、江戸時代から手軽な観光地として江戸から多くの町民が訪れ賑わうようになった歴史ある観光地である。

明治時代には、通年島に渡ることができる桟橋がかけられ、江之島電氣鐵道(藤澤 - 片瀬(現・江ノ島駅)間)が開通、島内では英国出身の貿易商サムエル・コッキングが植物園を公開するなど繁栄する。その後、関東大震災で大きな被害を受けるが、昭和になると小田原急行鉄道江ノ島線が開通、国の名勝および史蹟に指定され、戦後は、桟橋がコンクリート橋になり、ますます観光地として発展した。その後も、日本初の屋外エスカレーター「エスカー」や東京オリンピックのヨット競技会場(湘南港)の整備、サムエル・コッキング苑の再整備などを経て、令和の現在に至るまで人気の観光地であり続けている。

「江のまる」が江ノ島の長い歴史の中で、どの様な履歴を刻んできたのか、興味深い。

そんなことを考えながら食べ進めていくうちにすっかり火照った身体も落ち着いて来たので、席を立った。

サムエル・コッキング苑の標高は約60m。江の島を訪れた際には、ここまで登りきった自分へのご褒美に立ち寄ることをお勧めする。






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