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[歴飯_89][歴湯_06]元湯環翠楼



箱根湯本から旧東海道の国道1号線を芦ノ湖方面に向かって坂道を登り、その先にある国指定重要文化財の函嶺洞門を左手に見て、少しすぎたあたりが塔ノ沢温泉である。

この地で温泉が発見されたのは慶長9(1604)年というから、徳川家康が征夷大将軍となった翌年となる。弾誓(たんぜい / 1552-1613)上人が、箱根連山の一角(現在の塔ノ峰)の山中で修行をしていた時分、休養のために下山した折に、早川の河原に温泉が湧いているのを発見したのがはじまりとされる。以来、塔ノ沢の地は箱根の南麓に位置する代表的な温泉地として栄えてきた。



塔ノ沢温泉には福住楼、一の湯、環翠楼と国登録文化財となっている宿が並んでいる。

今回、訪れたのはそのうちの元湯環翠楼。本館4階の大広間「神代閣」の壁2面に広がる襖画の修復費用を集めるために、令和3(2021)年に行なったクラウドファンディングのリターンである日帰りペア食事券を利用して訪問した。

平日限定で、15時から20時まで食事を部屋でいただき、温泉にも入ることができ、日帰りながら宿を満喫できるコースである。

元湯環翠楼では、大正8(1919)年建築の本館北棟、大正13(1924)年建築の本館南棟、真鶴から明治時代の建物を移築したと伝えられている環翠楼別館の3棟が国の登録有形文化財になっている。



本館南棟は大正期の建築では珍しい木造4階建であり、塔ノ沢のランドマークとなっている。屋根は銅板瓦棒葺,千鳥破風付きの賑やかな入母屋造を洋風トラスで組む。棟梁は北棟と同じ井上米吉。

江戸中期に登楼した水戸光圀からはじまり、激動の幕末を彩った皇女和宮、天璋院篤姫、文明開化直後の日本を主導した伊藤博文、桂小五郎、東郷平八郎、近代文学を代表する夏目漱石や島崎藤村まで数多くの文化人や各国の要人が訪れ、定宿にした。昭和の時代になってからは、数々の人気作品を世に出した漫画集団もまたこの大広間で大宴会を催し、楽しい一夜を明かした。そのため、伊藤博文、孫文、梁啓超など、近代の要人が残した墨跡が館内に展示されており、宿の歴史を物語っている。皇女和宮終焉の地としても知られる。



また、調理場からお料理を上げ下げする木造のリフト、風呂場のタイル、ステンドグラス、明治時代の金庫、大正期のレジスターや電話機など、館内のいたるところにアンティークの調度品や装飾品、古物がその当時の姿のままで置かれており、往時の面影を現代に伝えている。



15時のチェックイン時間にあわせて本館の受付に行く。

玄関にはの「環翆楼」と書かれた木象嵌が展示されている。書家、長三州による「環翠楼」の揮毫を白川洗石が神代杉を使い木象嵌に仕立てたものであり、「白川洗石」の銘が確認できる数少ない作品のひとつとされる。

玄関周りにはその他にも、伊藤博文による「環翆楼」の書、今も現役の大金庫、渡辺千秋の書などが並んでいた。

帳場(フロント)でチェックインを済ませた後、館内を簡単に案内されながら、部屋に通された。部屋は本館3階の「槇」。ちょうど北棟と南棟の間にある部屋で、床の間がある畳敷の和室と広縁があり窓の正面に大きなマキの木が覗く。部屋で一息入れた後、館内を見学した。



まずは4階の大広間「神代閣」に向かう。かつて宴会場だった大広間は、現在は襖絵を見るために開放されている。

大広間の天井には、箱根の山中で採取した神代杉を使用している。神代杉は「奇跡の木材」とも言われ、地中や水中に1000年以上うもれていた樹齢数百年以上の杉材のことを指している。天井の折上げは2段で、中央は亀甲模様と凝っている。床の間にはユニークな顔をした唐獅子が置かれていた。



大広間の壁2面襖絵は、大正14年初冬に鳥の鵜の画を、大正最後の年、15年初夏に白梅の画を、仙田菱畝(せんだ りょうほ)によって描かれた。

仙田菱畝は明治26(1893)年、新潟県東頸城郡小黒村に生れる。兄は日本画家の石塚仙堂。幼少より絵を好み、後に画家を志して東京に出て、荒木十畝に師事し学ぶが、その後は小室翠雲に学んで花鳥を得意とし、東京目黒に住して日本南画院に出品を重ね兄と共に活躍した。また昭和43(1968)年には兄の石塚仙堂と共に五智国分寺境内に筆塚を建立するが、兄に先立って翌年の昭和44(1969)年、77歳で没した。

この襖絵の修繕が件のクラウドファンディングの対象となったわけだが、訪れた時には12枚の襖のうち4枚が修理済み、4枚が修理中、4枚がこれから修理という状況であった。



隣の大広間「万象閣」は「神代杉」と「けやき」を使用した、舞台付きの大広間。舞台正面の杉戸には大胆に鏡松が描かれている。
松浦鸞州(まつうららんしゅう/肥前平戸藩主のち伯爵)の額や、が飾られていた。



さらに先にある大広間「蓬仙閣」には昔懐かしい電話機など古品や書などがたくさん展示されていた。大広間のある4階には料理を運ぶ木製のエレベーターも備えられており、その様子も見ることができた。




4階から階段周りの細かい細工がなされた建具やキリンビールなどの寄贈社名が刷り込まれている鏡などを見ながらフロントのある2階に降りる。階段を降りてフロント方向を向くと左手には応接間、右手には喫茶室がある。

応接間は角が切られた五角形で、周りをガラス戸で囲まれた明るい部屋で、テーブルを囲んでゆったりと腰をかけられる椅子が並ぶ。

床は寄木、天井は格天井と網代天井が組み合わされ趣向が凝らされている。

ここにも孫文の書や第18代横綱・大砲萬右衛門の手形などが飾られている。

喫茶室は決して広くないが、ピアノと書棚があり、タバコを燻らせながら過ごすには十分な空間だ。




一旦部屋に戻り今度は温泉に向かう。

昔、塔ノ沢を訪れた中国明朝の使者が、歴代皇帝もたびたび入湯した、中国最高の温泉地である驪山(りざん)よりも優れていると評し、 勝驪山(しょうりざん)と呼んだという。

まず向かった露天風呂は早川の清流や箱根山を一望できる高台に設置されており、残念ながら雨の中ではあったが、源泉掛け流しのお湯につかりながら、 周囲の山々の景色を楽しむことができた。



露天風呂から本館に戻ると上がった先に創建当時から変わっていないという洗面所があり、キリンビールの商標が大きく入った鏡が洗面台が並ぶ両側全面に貼られていた。

床のモザイクタイルは創建当時、わざわざ輸入したというもの。



その先には、同じくタイルを使用している「大正風呂」があり、こちらにも入った。壁面は一面岩窟の風情となっている。環翆楼では源泉に一番近い温泉であり、生まれたての新鮮なお湯が楽しめた。

本館には「湯番」と呼ばれる温泉管理のスペシャリストがおり、毎日源泉の湯温や気温に応じてお湯の温度を調整しているとのこと。泉質はアルカリ性泉でお肌によいことから「美肌の湯」とも呼ばれている。



見学から部屋に戻ると、料理の準備が始まる。客室でいただくことができる。

料理は、箱根の山の幸、相模湾や小田原の海の幸をふんだんに用いた、月替わりの懐石風料理となっている。せせらぎの音を聞きながら個室でいただく料理は格別だ。

板長が季節ごとに厳選した旬の食材を調理したこだわりのお料理が順に運ばれてくる。



どれも丁寧な細工が施され、目にも美味しい料理ばかりであった。この土地ならではの上質な湧き水で炊き上げた白米ご飯と漬物、なめこの赤だし。白米だけでも口の中に旨味と甘さが広がり、ついついおかわりをしてしまった。その後の水菓子も平らげて、すっかり満腹となり、箱根らしさを凝縮した、季節感あふれる色とりどりの味覚を堪能できた。

食事を終え、ほうじ茶で一息ついてから身支度をしてチェックアウト。ほぼ時間いっぱい建物と景色、展示品、お風呂、食事と目一杯楽しむことができた。

次の機会には是非、宿泊も体験したい。






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