横浜山手西洋館では、ガーデンネックレス横浜の一環でもある「花と器のハーモニー」がスタートした。令和4(2022)年6月4日(土)から6月12日(日)の9日間。
横浜山手西洋館7館を花と器で装飾し、その魅力を伝える、このイベントも今年で20回目。昨年、一昨年は新型コロナウィルスの影響で中止されたため、3年ぶりの開催となる。
今年のテーマは「山手の丘のウエディング物語~幸せを呼ぶ7つの館のおもてなし~」。外国人居留地時代の面影が残る、異国情緒あふれる西洋館でのウエディングをテーマとした装飾を7つの館で行う。 コーディネーターには近隣のホテル、ウエディング事業者も参加し、山手の丘を華やかに演出している。
山手111番館
みなとみらい線元町・中華街駅からアメリカ山公園のエレベーターを使い、山手本通りを経て港の見える丘公園に突き当たり、そこから右に折れてワシン坂通りを進む。しばらく横浜市イギリス館の塀が続くが、さにに進み、噴水のあるバス転回広場の先に山手111番館がある。
今年の山手111番館の装飾テーマは「ダイヤモンド婚式『永遠の青と白~ダイヤモンド婚を祝う』。
若い頃イギリスに駐在し、今年結婚60周年を迎えた夫婦のダイヤモンド婚パーティーをイメージしており、夫婦がイギリス駐在時の頃からコレクションしてきた設定の「ブルー&ホワイト」の食器と花に溢れる装飾になっている。
装飾を担当したのは「Design Team Liviu(デザインチーム・リビウ)」の石畑真有美氏・葛西知子氏。
山手111番館はスパニッシュスタイルの西洋館。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。 玄関前の3連アーチが同じ意匠となっているが、山手111番館は天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与える。
大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残しているが、山手111番館は彼の代表作の一つと言える。赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造り。創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していた。
横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開している。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配置し、設計者モーガンに関する展示等も行っている。現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶室として利用されている。市指定文化財。
横浜市イギリス館
山手111番館からワシン坂通りを山手本通りに向けて少し戻ると横浜市イギリス館に入る車廻しがあり、そこから見えるのが横浜市イギリス館だ。
今年のイギリス館の装飾テーマは、「結婚式『青水無月 華燭の典』」。
食堂に見立てられた2階展示室のテーブル中央に並べられた円筒状のガラス花器が窓からの光を通して印象的だ。
装飾を担当したのは「仏蘭西料亭 横濱元町霧笛楼」。昭和56(1981)年開業したフレンチレストラン。大佛次郎の小説「霧笛」の舞台となった元町百段坂のふもとに立地することから、店名を「霧笛楼(むてきろう)」と命名した。
横浜市イギリス館は、昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在地に建てた。鉄筋コンクリート2階建、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていた。
主屋の1階の南側には、西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながっている。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓からは庭や港の眺望が楽しめる。地下にはワインセラーもあり、東側の付属屋は使用人の住居として使用されていた。
玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。
昭和44(1969)年に横浜市が取得し、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用されている。また、平成14(2002)年からは、2階の展示室と復元された寝室を一般公開している。市指定文化財。
山手234番館
港の見える丘公園から山手本通りに向かい、さらに西に進むと山手三塔の一つ山手聖公会の隣に、列柱が並ぶ正面のテラスが目を引く山手234番館がある。
今年の山手234番館の装飾テーマは、「紙婚式 《色で魅せる優しい空間》」。結婚1周年を迎えた家族の食卓をイメージした装飾となっている。装飾を担当したのは、「Tomoko Flower Studio」の今川朋子氏。
山手234番館は昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられた。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ、朝香吉蔵。
建設当時は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成であった。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられていた。また、洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえる。
第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開。1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてパネルを展示、2階は貸しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用されている。横浜市認定歴史的建造物。
エリスマン邸
山手234番館の道を挟んで反対側に位置するのがエリスマン邸である。
今年のエリスマン邸の装飾テーマは、「銀婚式 『そして、これからも…』」。銀婚式を迎えた友人夫妻を、思い出話とデ ィナーでおもてなしする様子をイメージした装飾となっている。装飾を担当したのは「ブロッサム・サロン」の和﨑恵子氏・氏家正子氏・ 保田早百合氏。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅であった。大正14(1925)年から15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンド。
創建当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っている。設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られる。
昭和57(1982)年にマンション建築のため解体されたが、平成2(1990)年、元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に移築復元された。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現している。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したもの。かつて3つの寝室があった2階には、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示されている。また、昔の厨房部分は、喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されている。
ベーリック・ホール
山手234番館を出て、山手本通りを少し西に進むと右手に大きな敷地の西洋館が見える。ベーリック・ホールである。
今年のベーリック・ホールの装飾テーマは、「結婚式 未来への懸け橋『希望』」。結婚式という人生における最良の一日が未来への架け橋となるようにと思いを込めて、華やかで気品あふれるコーディネートとなっている。
装飾を担当したのは、「歴史に集う結婚式」をコンセプトを掲げ、歴史的建造物や神社での結婚式を中心にプロデュースを行っている「チアーズブライダル」。
食堂には白無垢と色打掛が並べて飾ってあり豪華な雰囲気を演出している。食卓には大倉陶園の食器と大輪の花で装飾されていて、ベーリック・ホールの部屋の大きさにふさわしい華やかさとなっている。
ベーリック・ホールはイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈された。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されている。内部も、広いリビングルームやパームルーム、アルコーブや化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物である。
平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受けた。復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開している。横浜市認定歴史的建造物。
外交官の家
山手公園から山手本通りに戻り、さらに西に進み、案内標識に沿って右に曲がると山手イタリア山庭園に辿り着く。ここは、明治13(1880)年から明治19(1886)年まで、イタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれている。イタリアで多く見られる庭園様式を模し、水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園です。「バラと光輝く噴水の庭」というテーマでリニューアルされ、新たなバラの名所となった。
山手イタリア山庭園には、外交官の家とブラフ18番館があるが、まずは外交官の家に向かう。
今年の外交官の家の装飾テーマは、「金婚式 船上の金婚式」。日中でも少し暗い外交官の家の雰囲気が、クルーズ船の船内の雰囲気にもあっているように思えた。
装飾を担当したのは。「銀座テーブルコーディ ネートシュエット主宰の小西みさ子氏「Bouqet de Paris」主宰の西川仁子。
外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナー。
建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残している。1階は食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。
これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動アーツ・アンド・クラフツのアメリカにおける影響も見られる。
横浜市は、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの建物部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原し、一般公開した。同年、国の重要文化財に指定された。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを体験できるようになっている。各展示室には、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示している。また、付属棟には、喫茶室が設けられている。
ブラフ18番館
外交官の家を出て、庭園にまわり階段の上に立つと一段下の敷地にブラフ18番館が見える。
今年のブラフ18番館の装飾テーマは、「結婚式 お二人のご自宅に招いたようなアットホームなウエディング」。装飾を担当したのはローズホテル横浜 (山手ヘレン記念教会/ ザ・ローズレジデンス)。ヘレン夫人が好んだ「バラ」をイメージしたショートプレートと「グリーン&ホワイト」をベースに緑に囲まれた会場にあわせたコーディネートなっている。
ブラフ18番館は関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅であった。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていた。同年に横浜市が部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開している。震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、部材として利用されていることが解体時の調査で判明している。
建物は木造2階建て、1・2階とも中廊下型の平面構成で、白い壁にフランス瓦の屋根、煙突は4つの暖炉を1つにまとめた合理的な造りとなっている。その他、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、洋風住宅の意匠を備えている。外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっている。
館内は震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時元町で製作されていた横浜家具を修復して展示している。さらに、平成27(2015)年には2階の展示室を寝室にリニューアルした。本館につながる付属棟は、貸しスペースとして、ギャラリー・展示会などに利用されている。横浜市認定歴史的建造物。
「花と器のハーモニー2022」で横浜山手西洋館7館を巡ったが、どの館にも多くの来館者があり、盛況な様子であった。
また、入場制限となっていたことが、結果として、ゆっくり館内の展示を見学し、写真を撮れることにつながったように感じられた。是非、この機会にご覧いただきたい。
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