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[レポート]聖ヨゼフ病院見学会【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】



横須賀市緑ヶ丘の丘の上に建つ聖ヨゼフ病院旧病棟は、旧日本海軍の軍人及びその家族を診療する横須賀海仁会病院として昭和14(1939)年に建てられた。戦後、昭和21(1946)年に聖ヨゼフ病院になった後も使われていたが、老朽化が進み、新病棟開設に合わせて令和2(2020)年に閉鎖された。今回の見学会は、「解体前にその姿を多くの方の記憶にとどめていただきたい。」と市民団体「横須賀学の会」が企画したものである。

京浜急行横須賀中央駅から三笠会館を抜けて三崎街道を北へ進み「聖ヨゼフ病院入口」の交差点を左に曲がった先に聖ヨゼフ病院の新病棟がある。今日の見学会の受付は新病棟1階で午前10時半から始まったが、時間前には既に長蛇の列になっていた。受付で参加費( 300円)を納め、本日の見学先である旧館へ向かった。

旧館前の広場に参加者が徐々に集まって来たところで、最初に主催者から説明があり、当初予定していた病院からヴェルニー公園までのガイドは、新型コロナウィルス感染症拡大防止の観点から中止として、各自での見学とすることが案内された。



次に、柴田朋彦聖ヨゼフ病院院長の挨拶が始まる頃には雨脚が急激に強まり、参加者は傘をさしながら、院長の挨拶に耳を傾けた。

院長からは「旧館の解体が決まり、何らかの形で皆様に見学していただく機会を設けなければと考えていたところに横須賀学の会から申し出があった。感謝している。」と話があった後、病院の履歴や聖ヨゼフ病院の設立に尽力したベントン・デッカー司令官などについて紹介、「この機会にゆっくりと建物内部を見ていただきたい。」と締めくくった。

委員長挨拶の後、建物見学となった。非常に多くの参加者となったために、先に建物内部から見学する班と、先に建物の周辺を見学する班に分かれて見学することとなり、THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA取材班は、先に建物周辺を見学することとなった。



旧館は谷戸地形に合わせて大きく弓状に湾曲した形状となっており、最初はその北側の端部側から建物を見上げた。

ここでは、「4階部分は後に増築された階で開口部の建具などが他の階と違う」「北側屋上にある像は聖ヨゼフの像で昭和34(1959)年に設置された」などの解説があった。

次に、建物の裏側、つまり局面の凹側に回った。ここには御聖堂の他、明治天皇が行幸の際に献上する水を汲んだ井戸が残っており、そのことを示す、昭和4(1929)年建立の禁廷水の碑には「海軍大将 加藤寛治敬書 」とある。加藤寛治とは戦艦三笠の砲術長として日露戦争時に参加し、後に連合艦隊司令長官となる人物である。

最後に西側に移動し、「門に残る聖ヨゼフ病院の表札は昭和21(1946)年の開業当時に据えられたもの」などの解説を受けた。



建物周辺の見学を終え、もう一方の班と入れ替わり建物内部の見学となった。建物の裏側中央の御聖堂のある位置から内部に入った。

元々、この建物は、諏訪小学校と市役所が建っていたが、震災で倒壊移転した場所に、昭和14(1939)年3月、旧日本帝国海軍の下士官及びその家族の診療を行う横須賀海仁会病院として建てられた。



設計は石本喜久治(1894 - 1963)。石本喜久治は東京帝国大学在学中、昭和5(1920)年に山田守、堀口捨己らと分離派建築会を結成し、中心的人物として近代建築運動を行った。卒業後は竹中工務店に入社し、東京朝日新聞社、日本橋白木屋などを設計。ドイツ・バウハウスなどヨーロッパを視察して廻り、日本でいち早くモダニズム様式を取り入れ、昭和2(1927)年に独立し、片岡安とともに大阪で片岡石本建築事務所を創設、昭和6(1931)年に石本建築事務所に改称した。旧横須賀海仁会病院は、当時事務所にいた立原道造(1914 - 1939・24歳て急逝した詩人)が担当したと言われている。

戦後、昭和21(1946)年4月に第4代米海軍横須賀基地司令官として赴任していたベントン・デッカー大佐(1899 - 1983)は、地域の復興のためにはキリスト教の精神が不可欠と考え、海仁会病院をカトリック女子聖母訪問会ブルトン司教に託し、昭和21(1946)年7月、名称を聖ヨゼフ病院と改められた。

平成25(2013)年10月には、DOCOMOMO Japanにより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築 164選」に選定された。



内部に入ると、中央が廊下になっており、その左右に病室や診療室が配置されている。外観から見るよりもさらに湾曲が強く感じられ、「ナースステーションから奥の病室が見渡せない」「ストレッチャーを真っ直ぐ移動できない」と言ったエピソードがよりリアルに感じることができた。

内装はほとんどが改装されていたが、階段や会議室になっていた元院長室には、木の床やタイル敷、ラジエーターカバー、カーテンボックス、洗面器などオリジナルと思われる部分も一部残されていて、建設当時の様子を窺い知ることができた。



建物内部は1階から3階までを見学可能な場所として案内されており、じっくりと見ることができた。3階からは、遠く港や足元の諏訪神社などが見えた。戦後、軍機を守るために作られていた障壁が取り除かれた後は、この建物が丘の上のシンボルとなっており、それがまた、軍事中心から民生へとシフトしていった街の象徴にも重なり、市民から愛されてきたのではないかと思わされた。ゆえに、今回の見学会には、歴史的建造物ファンのみならず、別れを惜しむ多くの方が参加したのだと納得したのであった。

見学ルートの最後は御聖堂となっており、少しの間座って心を心を落ち着かせる時間となった。

歴史的建造物の解体前にこのような見学の機会を設けていただいた関係者に心から感謝しつつ、見学を終えた。




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