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[開港5都市]景観まちづくり会議 - オープンウェディング in 長崎【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】

更新日:2023年1月31日



<伊王島灯台オープンウェディング>

令和4(2022)年11月5日、伊王島灯台で結婚式が挙行された。式を挙げたのは、新郎・大滝象平氏と新婦・悠依氏。新郎新婦とも開港5都市景観まちづくりに長崎のメンバーとして参加しており、式場には新郎・新婦の家族、知人、友人に加えて、長崎や横浜の開港5都市景観まちづくり会議関係者が多く参列し、2人の門出を祝福した。本稿では、開港5都市景観まちづくり会議での交流も一つのきっかけとなって実現した、この「歴史的な灯台を活用したオープンウェディング」の様子をレポートする。



<伊王島灯台>

会場となった伊王島灯台は長崎港の出入口を見渡す、伊王島の北端の高台にある。

その歴史は古く、慶応2(1866)年5月13日、旧税則の関税率軽減と貿易の制限撤廃を目的として、幕府側全権水野忠精とイギリス、フランス、アメリカ、オランダの4国代表が江戸で調印した改税約書(江戸条約)により、全国8所(伊王島の他は観音埼、剱埼、野島埼、神子元島、樫野埼、潮岬、佐多岬)に設置された灯台のひとつに数えられている。

初代の灯台は、R.H.ブラントンが設計、監督のもとに、三菱長崎造船所の前身である長崎製鉄所の請負工事で建造された日本初の鉄造六角形の洋式灯台であり、明治4(1871)年に本点灯された。
昭和20(1945)年、長崎に投下された原子爆弾の爆風で被害を受けたため、昭和29(1954)年に四角型の鉄筋コンクリート造(2代目)に改築された。平成15(2003)年には建設当初の六角形灯台に復元(3代目)され現在に至るが、奇跡的に原爆の被害を免れたドーム型の灯室部分は、明治時代のまま今も使用されている。



また、この3代目灯台の岬側には初代灯台の石組基礎遺構や旧吏員退息所(現伊王島灯台記念館・長崎県指定有形文化財 - 結婚式当日は新郎新婦の控室として使用)があり、長崎県初の洋式灯台が設置された場所であるという史跡としての価値を踏まえて一帯を「歴史的な灯台」ととらえても差し支えないだろう。

伊王島灯台は年に1回、11月1日「灯台の日」前後に記念事業として内部が一般公開されているが、この日は灯台を所管する海上保安庁の好意により、今回の結婚式に併せて特別に公開された。

内部に入り、階段を登ると大正3(1914)年、設置当初の反射器灯に変えて据えられたフランス製第四等回転式閃光レンズ(フレネルレンズ)がゆっくりと光りながら回っていた。通常の一般公開においても日中は光源を光らせることはないということなので、大変貴重な機会となった。


長崎市伊王島灯台記念館 写真提供:(一社)長崎県観光連盟


<灯台ウェディング>

正午。見事な青空のもと、伊王島灯台公園の尾根道から灯台に向かってまっすぐに敷かれたバージンロードの両側を列席者が並んでいる中、アッシャー2名に率いられて新郎が入場。続いて真っ白なウェディングドレスに身を包んだ新婦と新婦の父親がブライズメイド2名と共に入場し、参列者の拍手で迎えられた。



場面は変わり、灯台の岬側にある基礎遺構を舞台として参列者がそれを取り囲むように並ぶ。新婦の父親から、新婦の手が新郎に渡され、新郎と新婦の父親と固い握手を交わし、新婦の母親によるベールダウンで式が始まる。

続いて行われた新郎新婦による「誓いの言葉」では、「私たちがいるこの基礎の上に立っていたその灯台は今から77年前爆風により倒壊しました」「しかしその後この白く美しい灯台として生まれ変わりました」と2人の伊王島灯台に対する思いのこもった言葉が並び、最後に「私達は誓います この灯台のように たとえ困難があっても 夫婦で支えあい 共に立ち上がります 海が荒れ 寒く孤独を感じる時も いつかは穏やかな朝を来ることを信じて」「私達は誓います 灯台が放つ白くまっすぐな光のように お互いの未来を照らし合いながら 歩んでいきます」と締めくくった。


式は厳かに、新郎新婦の親友による誓いの問いかけ、誓いのキス、結婚宣言へと進み、参列者の拍手により結婚が承認された。

最後は、灯台を背景に海上からドローンで参列者全員の記念撮影を行い、バージンロードで新郎新婦を見送り式を終えた。

かつて、これほどまでに現役灯台(しかも歴史的な灯台)を活用したウェディングがあっただろうか。ここに至る、新郎新婦の想いにも迫っていきたい。ブラントンの設計による初代の鉄製灯台の石組基礎までもが、あたかもこの日の舞台として用意されていたのでは無いかという錯覚するほどであった。 

式のプロデュースを担当したのは、「二人だけの手作りウェディング」を得意とし、長崎を拠点に様々なユニークベニューで式を行ってきたフリーのウェディングプランナーのニーナマリアージュ(今坂美晴氏)。これまでの実績から、新郎新婦が「この式を任せられるのはこの人しかいない」と選んだウェディングプランナーが見事に期待に応えた。


画像提供:大滝象・悠依氏


<オープンウェディング>

新郎新婦はなぜこの歴史的な灯台で結婚式を挙げたいと考えたのであろうか。

新婦は、大学の卒業設計に伊王島灯台を舞台に地下にチャペル、伊王島灯台吏員退避息所の後背地にホテルを備えた「泊まれる灯台」をテーマに取り組んだが、その模型製作を泊まり込みで手伝ったのが、アルバイト先の友人であった新郎だった。2人にとっては思い出深い場所だったということが一つの大きい要因である。

新婦はその後、長崎県庁に就職。仕事の傍ら、個人の活動としても灯台や歴史的建造物の保全に取り組み、その中で開港5都市景観まちづくり会議にも参加するようになる。

転機が訪れたのは、平成30(2018)年、新婦が国土交通省への出向。東京で2人は再会し交際へと発展した。


新婦がスタッフとして参加した「オープンウェディング4・港の夏祭りウェディング!」画像提供:Open Wedding


その翌年、平成31(2019)年6月、横浜で「オープンウェディング4」が開催され、新婦は開港5都市景観まちづくり会議の縁でスタッフとして参加することになる。

「オープンウェディング」とは、道路や広場、公共施設など公的な場所(オープンスペース)で、通りかかった一般の人も参加可能なウェディングを実施するもので、横浜で活躍するクリエーターやまちづくり活動を行っているメンバーが中心と不定期に3から5年ごとに開催されてきた。最初の「オープンウェディング1」(平成23(2011)年)では、象の鼻テラスと当時横浜トリエンナーレの連携プログラム「新・港村」が開催されていた新港ピア(現存せず)を活用。「オープンウェディング2・みんなでつくる結婚式」(平成26(2014)年)では、大さん橋国際客船ターミナルと当時、YCC横浜創造都市センターとして活用されていた旧横浜銀行本店別館を活用。 「オープンウェディング3・まちをめぐり、人と出会い、駅で祝う結婚式!」では関内桜通りとみなとみらい線馬車道駅を活用。そして新婦がスタッフとして参加した「オープンウェディング4・港の夏祭りウェディング!」(2019では、象の鼻テラスと仮設北仲ブリック(現存せず)が活用されるなど、のちのまちづくりの中でも参考となるような公共空間の活用が展開されてきた。

新婦はこの体験から、オープンウェディングのメソッドの一部が今回の灯台ウェディングに当てはまると考え、開港5都市景観まちづくり会議で旧知であった関係者にヒアリングを行うなど知見を得ている。


開港5都市景観まちづくり会議2022新潟大会 全体会議Ⅱでプレゼンテーションをする新婦


<開港5都市の交流が「歴史を生かしたまちづくり」の輪を広げる>

このウェディングの開催において、「歴史を生かしたまちづくり」としても、オープンウェディングとしても特筆すべき点は、このウェディングに併せて海上保安庁が伊王島灯台の内部を公開したということではないだろうか。

伊王島灯台は前述の通り、年に1回、11月1日「灯台の日」に併せて、その前後の日に内部の公開を行なっているが、その他の日は内部を公開していない。

今回はメディアで「灯台女子」と紹介されるほどの灯台好きとして知られている新婦の思いが通じたのか、海上保安庁も広報の機会ととらえて内部公開を行った。しかも、新郎新婦による誓いの言葉を意識したのか、通常の一般公開時には日中には点灯させないライトを点灯させての公開であった。異例中異例と言えるであろう。

このように、直接的に開港5都市景観まちづくり会議の成果とは言えないものの、会議を通じた交流が結果として「歴史的な灯台のウェディングによる活用と、それに併せた灯台の公開による海事広報」という実績をもたらせたことは間違いのない事実であり、今後ともこうした成果が上がっていくことを期待している。



※ THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAのメンバーは、開港5都市景観まちづくり会議やオープンウェディングなどの場面で、団体としてもまた各個人の活動においても、新郎新婦との交流がある。ここにお二人の結婚に祝意を表し、健康とご多幸を祈念する。









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