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[歴飯_163][歴鉄_22]箱根ラリック美術館・Hakone Emoa Terrace | オリエント急行WSPプルマン4158E



箱根仙石原の「箱根ラリック美術館」にオリエント急行で活躍した車両が展示されている。

今回は、美術館に併設するカフェレストランのランチ、美術館でアートを鑑賞、通常は当日現地でしか予約できない豪華なサロンカー「オリエント急行」を貸し切って楽しむティータイムがまとめて体験できるOtonami限定の半日ツアーに申し込んだ。



箱根湯本から続く箱根路を宮ノ下から国道138号で向かう仙石原に「箱根ラリック美術館」がある。ツアーはまず美術館の入口に併設された「Hakone Emoa Terrace(箱根エモア・テラス)by 温故知新」のランチで始まる。



庭に向けて広がる大きなガラスの開口部に沿って席が並んでいて、その一番奥の席に案内される。奥の席には庭の反対側にも開口部があり、ここからも迫力のあるオリエント急行の車両を見ることができる。



用意されているランチはカジュアルフレンチ。肉や魚の選べるメインディッシュと、サラダ・デリ・スイーツをセミビュッフェスタイルで味わう。

メイン・ディッシュはラリックが好んで食した「コック・オ・ヴィネーグル」からのレシピから着想を得たという「プーレ・オ・ヴィネーグル(Poulet au Vnaigle)=鶏もも肉の白ワインヴィネガー煮込み 白菜のプレゼ添え」、「真鯛のポワレ ソースサフラン(Poiret of sea bream)」、「箱根山麓豚のローストポーク(Roasted Pork)がメニューに並ぶ。その中から、ローストポーク、同行者はプーレ・オ・ヴィネーグルをオーダー。



メインメニューを待っている間、箱根野菜を中心に使用したサラダや、小さいお皿に丁寧に盛り付けられたオードブル、濃厚なコンソメスープ、パスタやちらし寿司まで目移りする豪華なラインナップのビュッフェを楽しむ。まもなくして届いたメインディッシュと一緒に、目でも味わいながらすっかり満腹になってしまった。



最後に、コーヒーをいただきながら、ビュッフェのスイーツを堪能。色とりどりのスイーツは、「ジュエリースイーツ」をテーマに作品のガラスの煌めき・色彩感をモチーフにしたという。まるでアートのような美しさであった。



優雅なランチのあとは美術館の見学。美術館に向かう間には赤いクラシックカー「フォードT型(1920年製)」が展示されており、そのラジエーターキャップにラリックデザインのカーマスコットが据えられている。



美術館はルネ・ラリックの作品の収集家として知られる、簱興行社長の簱功泰氏(1929 - 2016)により平成17(2005)年に開設された。フランス人のガラス工芸家ルネ・ラリック(1860 - 1945)の作品約1,500点を収蔵、そのうち約230点が常設展示されている。



ルネ・ラリックは1960年、フランス国シャンパーニュ地方に生まれ、パリで育った。フランスやイギリスの金細工師の元で学んだのち、1882年頃からパリでフリーランスの金細工師・宝飾デザイナーおよびグラフィック・アーティストとして活動しはじめ、おもに女性向けの高級アクセサリーをデザインし、カルティエなどの著名な宝飾店にも作品を提供。1900年のパリ万国博覧会では宝飾作品が大きな注目を集め名声を得た。

しかし時代がアール・ヌーヴォーからアールデコにうつり、自身の装飾品の人気に翳りが見えると、ガラス工芸品の製造に専念するようになる。



1908年にはコティの注文により、香水瓶とラベルのデザイン。同年、同じ1908年、パリ東方のガラス工場を借り、本格的にガラス工芸品の生産を始め、1920年代頃からはガラスの分野で再び人気作家の地位を取り戻した。

館内の展示では、それらの時期ごと、さらにテーマごとに展示室が分けられている。

再現されたラリックのパリにあったラリックの仕事部屋、香水瓶からジュエリーに始まり、女性ファッションデザイナー・ジャンヌ・パキャン(Jeanne Paquin 1869 - 1936)邸のダイニングルームを飾った噴水や浴室装飾パネルなど、総合装飾に至るその生涯を体感することができる。



美術館の見学後にいよいよ、オリエント急行でも活躍した車両でのティータイムである。

まずは、ラリックの生涯をビデオで鑑賞した後、外観を眺める。

大きな7つの窓に、ホワイトと深いブルーのツートンカラーの端正な外観が印象的な「プルマン4158E」はCIWL(ワゴン・リ社)で製造され、パリ=ニース=イタリア・ヴァンティミーリア間を結ぶ豪華特急列車「コート・ダジュール号」のプルマンカーとして昭和4(1929)年に運用開始された。



製造当時、ガラス工芸家として活躍していたルネ・ラリックが室内装飾を担当した14両のプエルマンカーうちの1両。車内の壁面を156 枚ものガラスパネルで豪華に彩った空間は、これまでにないほど優雅で「動くホテル」と称された。

その後、昭和51(1976)年に復活した「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(Nostalgie Istanbul Orient Express= 略称NIOE)」でも使用され、平成13(2001)年まで現役車両として活躍し、時代を超えて、国を越えて、多くの人々を魅了した。

その後、オークションに出されていたこの車両を美術館オーナーが落札。平成16(2004)年に再来日し、箱根ラリック美術館に運び込まれ現在に至る。



また、この車両はフジテレビの開局30周年記念「オリエント急行’88」として、九州から北海道まで日本を縦断した経歴を持つ。昭和63(1988)年9月7日にパリ・リヨン駅を発ち、フランス、西ドイツ、東ドイツ、ポーランド、ソビエト連邦、中国とユーラシア大陸を横断し、香港までの14500km余りを鉄路により運行。香港からは海路、山口県の下松へ運ばれ、日本国内での運行用に整備された後、東京行きの列車として運行され、単一列車による15494kmの世界最長運転の世界記録に認定された。その後約3か月にわたって日本国内運行が行なわれ、完成間もない青函トンネルをくぐって北海道まで運行されるなど大きな話題となり、翌1989(平成元)年、船でヨーロッパに帰還した。



内部に入ると「動く豪華ホテル」と称された豪華な内装が目の前に広がる。全長は22.2mと大型だが、座席定員は4人用個室2室を含み28名のみ。

テーブルは移動可能だが、清掃時は側壁に固定することもできる。側窓は一部がハンドルを回すと下降するようになっており、別れを惜しむ見送り客にも配慮されていた。

座り心地も極上なソファは、クッションに通気性をよくするための「藁」が使われているほか、鋼製の車体でありながら、車内には木材(マホガニー)を使用している。

窓は二重構造で、レバーを倒すと大きな開口部のガラス窓が下に下がっていくとのこと。

車内にはルネ・ラリックが手がけた156枚のガラスパネルが飾られている。



ガラスパネルを詳しく見ると、人物像と葡萄をかたどったパネルが3枚1組で、人物像は男性2種類、女性6種類。葡萄は3種類が左右対称となっている。

パネルは、型の中にガラス素材を流す「型押し」という方法で作られ、表面には白く濁らせる「フロスト加工」が、裏面には水銀を縫って光を反射させる「鏡面加工」がなされている。



天井のランプシェードもラリックの作品だが、特別室内のパネル「花束」は、ラリックの娘スザンヌの作品で、作風が異なる。

前述の通り人気を取り戻したラリックは、1925年のパリ現代装飾美術・産業美術展(Exposition internationale des arts décoratifs et industriels modernes)では、ラリックのために1つのパビリオンが与えられた。時流に沿って幾何学的構成の文様や器形を採用するようになり、アール・デコ様式の流行の一翼を担ったとされる。



豪華な内装に包まれた穏やかな空間のティータイム。紅茶はポットで提供され、食器はノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行で使用されていたものがそのまま使われている。まるで本当にオリエント急行に乗車した気分に浸ることができた。



1920年代から1930年代のラリックは、「パリ号」、「イル=ド=フランス号」など大西洋横断航路の豪華客船の内装も手がけるようになる。

今回、紹介した「プルマン4158E」も、まさにその時期のものということになる。車両の製造にあたった1928年にはラリックはすでに68歳。この頃には持病のリューマチの悪化によりデッサンが描けなくなったことから、娘のスザンヌがデザインを手がけたものもラリックの名前で発表されており、この車両の一部にスザンヌの作品が含まれているのもそういった事情からと推察される。ラリックは1945年に亡くなるまで、多くの作品を残しているが、この車両がラリックの総合芸術としての集大成の一つであるといっても良いのではないだろうか。



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