[レポート]第20回湘南邸園文化祭現地ツアー第1回「鎌倉の庭から辿る邸園文化」【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】
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20回湘南邸園文化祭現地ツアー第1回「鎌倉の庭から辿る邸園文化」
神奈川県相模湾沿岸に位置する湘南地域は、明治以降、皇族や華族、政財界人や文化人たちが別荘を構えてきた日本を代表する保養地である。「湘南邸園文化祭」は、現在も息づく別荘(邸宅)やその庭園を後世に広く発信する取り組みとして、平成18(2006)年からスタートした。各地の市民団体や神奈川県が連携し、歴史的建造物である邸宅や庭園を舞台に音楽や伝統芸能、アート作品の展示等を展開している。令和7(2025)年は20回の節目となることを記念し、各地での取り組みに加え、現地ツアーや研究者の解説付き見学会が予定されている。その初回となるツアー鎌倉の庭から辿る邸園文化」が令和7(2025)年9月6日に鎌倉にて開催された。
鎌倉五山の一画をなす、建長寺大庫裡2階の「応真閣」を会場に、第20回湘南邸園文化祭の開会を記念したテープカットからスタート。続いて、NPO法人鎌倉考古学研究所の玉林美男氏による中世から近代に至る鎌倉の庭園について、源頼朝が建立した永福寺の庭園、国内禅宗寺院庭園の典型となった建長寺の庭園、鎌倉女子大学山ノ内学舎(元古美術商広田松繁邸)の庭園についての説明があった。

永福寺の庭園
吾妻鏡によれば、永福寺の場所は釈迦が涅槃に入る旧暦の2月15日の満月の中で、涅槃の望月を意識して位置を定めたと思われる。正面に裳階付きの二階堂(本尊は釈迦)、両端に阿弥陀堂、薬師堂が付く。伽藍前面に広がる谷奥からの遣水を引き込んだ池庭は、以前は浄土庭園に括られていたが、近年は解釈が変わってきている。阿弥陀如来、薬師如来を両端に据える釈迦本尊は、法華経信仰における浄土(華厳の世界)を現していると考えられる。鎌倉~室町を通して、永福寺の形は変わっていくが、庭園は残っていく。庭園は頼朝の発想が強く出ているが、庭に精通したお坊さんも関わっているようだ。
建長寺の庭園
山門から仏殿まで、一直線に並ぶ伽藍配置は禅宗寺院の特徴。山門から仏殿間の中庭庭園は中国の影響を受けているが、本殿奥の庭園は日本オリジナルとなる。中国の禅宗寺院は山上に建物が建つが、日本は谷合に建つため、本殿後ろに谷奥があり、流れ込む水や雨水調整用の池が必要になる。これが日本式禅宗庭園の仕組みである。この考え方が一つの典型になり、各地に拡がる。


鎌倉女子大学山ノ内学舎(元古美術商広田松繁邸)の庭園
近代庭師の一人、田中泰阿弥の作庭と伝わる。谷戸にあるからこそできる切岸と呼ばれる谷戸地形の砂岩を切り落として造られた壁面が背景となる独特の景観を持つ回遊式の茶庭である。
建長寺での解説後は、建長寺庭園及び鎌倉女子大学山ノ内学舎(元古美術商広田松繁邸)の建物及び庭園を見学した。
現地ツアーや見学会はこの後も続いてくので、湘南地域の邸宅文化に触れる文化の秋を堪能してみてはいかがだろうか。
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