江ノ電が江ノ島駅から鎌倉方面に向かい全国的にも珍しい併用区間に入り込む龍口寺の交差点に扇屋はある。なんとその正面には江ノ電の車両が埋め込まれ、屋根にはパンタグラフが乗せられている。併用区間を通る江ノ電この店舗の前は有名な撮影スポットの一つとなっている。
扇屋は、天保7(1836)年頃の創業と伝えれ、当初は龍口寺の境内にあった。その後大正初期から暫くは龍口寺門前に店を構えたが、現在江ノ島が走っている道路の整備に伴い、昭和9(1934)年に現在の店舗に移転している。
扇屋では、名物の「江ノ電もなか」を昭和60(1985)年から販売している。店内には、客席、運転席、マスコンハンドル、旅客運賃表、駅名板、ドアスイッチ、路線図、サーフボードの持ち込み注意表示、ポイント手動切替、いずれも実際に江ノ電で使用されていた本物である。また、昔の店舗の写真なども飾られており、その歴史の深さを知ることができる。
正面に据えられている車両は、平成2(1990)年3月まで実際に走っていた江ノ電600形651号。「江ノ電もなか」を製造販売している縁で、江ノ島電鉄から譲り受けたものだという。残念ながら店舗に1輌全てを収めることができないため先頭部分のカットボディーにして収めている。内部を覗くと、和菓子の製造所となっている。
江ノ電651号は、元々、玉川電気鉄道36号形38号として蒲田車輌で製造された木製ボギー車。玉川電気鉄道が東京横浜電鉄に吸収合併された後、デハ20形23号と改番。その後、車体を鋼体化し、デハ80形105号となる。同時期に80形となった旧デハ20形の7両のうち87・103・108号は昭和44(1969)年5月11日の玉川線廃止と共に廃車されたが、105号を含む104 - 107号は87 - 90号(二代目:105号は88号に)と改番されたものの、翌年の昭和45(1970)年に江ノ島鎌倉観光(現:江ノ島電鉄)に譲渡され、江ノ電600形601-604号となった。編成を601-602号と603-604号の2両固定編成とし同年から運用された。
その後、602号は編成の鎌倉寄り車両の車番十位を50番台とする連接車各形式の付番基準に則り、昭和63(1988)年9月1日付で651へ改番されている。
江ノ電の主力として活躍してきた601-651編成だが、平成2(1990)年4月の2000形2001-2051編成の運用開始と入れ替わるように運用を離脱、平成2(1990)年4月28日付で除籍され、これをもって江ノ電600形は全廃となった。
その後の扇屋に来た経緯は冒頭の通りだが、江ノ電の江ノ島、腰越間の車窓からも見ることができ、今でも江ノ電ファンに愛されている651号は幸せな車体なのかもしれない。
なお、最後まで共に編成を組んでいた、同年7月に東京都世田谷区の東急世田谷線宮の坂駅脇にある宮坂区民センターへ搬入され、同地にて静態保存された。
扇屋名物の「江ノ電もなか」に話を戻す。
一つ一つのもなかのパッケージには種類に応じて全6種類の江ノ島電鉄車両が描かれている。「ゴマの入った胡麻餡」には「青電」、「梅肉の入った梅餡」には「赤電」、「ゆづの香りのゆづ餡」には「新電」、「漉し餡に求肥の入ったもの」には「チョコ電」、「粒餡に求肥の入ったもの」には「江ノ電 (タンコロ)」、「抹茶の入った抹茶餡」には「新型車両」 となっている。
もなかは1個ずつのバラ売りと10個詰め合わせが販売されている。今回は5種類の最中が2個ずつ入っている10個詰め合わせを購入した。10個詰め合わせの「新型車両」以外の5種類の最中が2個ずつ入っている。外箱には、路線図と鎌倉の観光名所がイラストで描かれている。包装紙を開けると、車庫をイメージしている内箱があり、その中に10個の電車パッケージに入っている最中がぎっしりと詰まっている。
電車パッケージを開けると、さらに包装紙があり、その包みの中が本体の「もなか」となっている。しっかりとした長方体の皮には「えのでん」と掘り込まれていて、中にはずっしりと餡が詰まっている。お茶と一緒に頬張ると、甘すぎない餡の味が広がる。
江ノ電の歴史が詰まった銘菓「江ノ電もなか」、是非、店舗に訪れて味わって欲しい。
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