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[番組紹介]NHK大河ドラマ第65作『豊臣兄弟!』ゆかりの地【NHK】


令和8(2026)年のNHK大河ドラマ第65作は『豊臣兄弟!』。豊臣秀吉の弟・豊臣秀長を主人公に、百姓から下剋上をへて天下統一するまでを描く。

ここでは、神奈川県内の豊臣秀吉・豊臣秀長ゆかりの地を紹介する。


石垣山一夜城

  • 所在地: 神奈川県小田原市早川ほか

  • 建造年代: 天正18(1590)年

  • 指定・認定:国指定史跡



石垣山一夜城は、豊臣秀吉が小田原攻めの本陣として築いた総構えの城である。山頂の林の中に城を築き、完成と同時に周囲の樹木を伐採することで、北条方に対し「一夜にして城が出現した」と錯覚させ、戦意を喪失させたという伝説で知られる。関東で初めて本格的な石垣や瓦が用いられた城郭であり、当時の豊臣政権の圧倒的な土木技術と経済力を象徴する遺跡である。

豊臣兄弟との関わりにおいて、この地は極めて重要である。副将として参陣した豊臣秀長は、大軍の統率や兵站の管理に奔走し、兄・秀吉の天下統一を支えた。秀長は小田原攻めの最中に病を悪化させていたとされるが、この城で兄と共に相模湾を見下ろし、北条降伏の戦略を練った時間は、兄弟が「天下」を目前に共有した最後の輝かしい瞬間であったといえる。現在も残る荒々しい野面積みの石垣は、兄弟が駆け抜けた戦国時代の終焉を今に伝えている。


小田原城

  • 所在地: 神奈川県小田原市城内6-1

  • 建造年代: 15世紀中頃(大森氏により築城、後に北条氏が拡張)

  • 指定・認定:国指定史跡



小田原城は、戦国大名・北条氏の拠点であり、最盛期には「難攻不落」と謳われた日本最大級の城郭である。秀吉による小田原攻めの際、北条氏は城下町を全長9kmに及ぶ堀と土塁で囲んだ「総構(そうがまえ)」を構築し、20万もの豊臣軍を相手に約3か月にわたる籠城戦を展開した。現在の天守閣は復興されたものであるが、本丸や二の丸周辺の遺構は、かつての巨大要塞の面影を色濃く残している。

豊臣兄弟にとって、この城を落とすことは四国・九州平定に続く天下統一の最終ミッションであった。秀長は家康らと共に包囲網の主力として配備され、力攻めではなく「兵糧攻め」による無血開城を狙う秀吉の意図を汲み、粘り強く包囲を続けた。秀長が率いた紀伊・大和の軍勢もこの包囲網に加わり、北条氏の戦意をじわじわと削いでいったのである。小田原城の降伏により兄弟の夢見た天下泰平が実現した歴史的意義は大きく、ドラマにおいてもクライマックスを飾る舞台となるだろう。


早雲寺(箱根町)

  • 所在地: 神奈川県足柄下郡箱根町湯本405

  • 建造年代: 大永元(1521)年

  • 指定・認定:県指定史跡(境内)・国指定重要文化財(絵画・工芸品など)



早雲寺は、北条早雲を始祖とする北条五代の菩提寺として知られる臨済宗の古刹である。箱根湯本に位置し、北条氏の栄華を象徴する寺院であったが、小田原攻めの際には豊臣軍の進駐を受け、石垣山一夜城が完成するまでの約2ヶ月間、秀吉の本陣として使用された。皮肉にも敵方の菩提寺が、豊臣軍の作戦本部となったのである。この際、境内の多くの建物が焼失したが、江戸時代に再建され、今も北条五代の墓所が静かに佇んでいる。

豊臣兄弟との関係では、この寺は「前線基地」としての役割を担う。秀吉がここを拠点とした際、秀長もまた軍議のために度々出入りし、箱根の険しい地形を活かした包囲作戦の調整を行ったと考えられる。寺には秀吉が陣中で使用したと伝わる「銅鐘」が残されており、その音色は兄弟が天下統一に向けて最後の決断を重ねていた当時の空気感を今に繋いでいる。北条の歴史と豊臣の覇道が交差する、ドラマチックなスポットである。


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