[歴鉄_06]横浜市電1518号 | 横浜市・野毛山動物園
- heritagetimes

- 2020年7月19日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年7月20日

JR桜木町駅から野毛の急峻な坂を登ると野毛山動物園の入口につく。入場口から入って管理事務所棟を左手に見ながら園路を下っていくと、横浜市交通局の車輌の証であるクリーム色の車体に青い線が引かれた車体が見える。横浜市電1518号である。
この車輌は昭和26(1951)年日立製作所で製作された横浜市電1500型20両のうちの1台である。横浜市電1500型は、アメリカで開発された高性能路面電車であるPCCカーに触発され1950年代に日本で開発されたいわゆる「和製PCCカー」のひとつで、「横浜市電の決定版」とまで言われた高性能車であり、昭和47(1972)年3月31日、横浜市電が全廃されるまで市民の足として走り続けていた。

元々、野毛山動物園には昭和41(1966)年、横浜市電廃止に伴う保存車両第1号であった横浜市電422号が設置されいたが、老朽化に伴いし、代替わりする形で、横浜市電全廃の年となった昭和47(1972)年9月、今度は横浜市電最後の保存車輌としてここに静態保存され、子どもたちに人気の休憩所として使われている。
車内を見回すと、網棚や吊革、照明器具は取り外され、座席も布張りから板張りへ変更、後部の運転席付近も取り払われているが、全体としては保存状態が良い。車輌前面には昭和42(1967)年から43(1968)年にかけて実施されたワンマン化に合わせ設置された「ワンマン」表示が残る。

車輌が設置されている野毛山動物園は、震災復興公園として大正15(1926)年に開園した野毛山公園の一部である。昭和24(1949)年、その野毛山公園を会場として開催された日本貿易博覧会の会場施設を引き継ぎ、昭和26(1951)年に野毛山遊園地が開園するが、その時、動物園が新設されたのが始まりである。開園当時からインドゾウのはま子などで人気を博していた。昭和39(2964)年には遊園地部分が廃止となり野毛山動物園と名称が変わり、併せて市民の憩い場、社会教育施設として無料化された。現在でも年間70万人以上の来場者がある人気施設である。
野毛山という江戸にまで遡ることができる土地の履歴を今に伝える動物園と、明治から昭和にかけて市民の足を支えることで横浜の都市発展に寄与した路面電車。という難しいことはさておき、電車と動物園という子どもたちの大好きなゴールデンコンビ、是非、ご家族やお子様連れで訪れていただきたい。

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