[歴飯_05]三溪園・待春軒 三溪麺
- heritagetimes

- 2019年11月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年12月18日


三溪園の大池の先、旧燈明寺本堂と旧矢箆原家住宅の間に待春軒はある。三溪園には4つの飲食処があるが待春軒はその一番奥まったところにある。
現在の待春軒には、その名の元となった建物があった。
元の待春軒は、江戸の豪商 川村伝左衛門(迂叟)が所有していたもので、栃木県大嶹製糸場内から三溪園に移された。場内にあった明治12年(1879)には、アメリカ合衆国第18代大統領を務めたユリシーズ・S・グラント(1822 – 1885)が日光滞在中のある日ここに遊び、昼食をとったという。三溪園に移築後、この建物には「御やすみ、お茶御随意 待春軒」という案内書きが付けられ、湯茶の接待を行なったほか、さらには句会・歌会や茶会などの席としても場所を提供したようである。しかし、この建物は昭和20年 (1945)年の空襲により焼失してしまう。その名を継ぐのが現在の「待春軒」である。
入口正面には「待春軒」の提灯が迎える。「名物 三溪麺」と書かれた暖簾をくぐり、三溪麺を注文し、落ち着いた店内の席に座った。

名物と謳われている三溪麺とは、三溪園の創設者原三溪によって考案されたツユのない麺である。原三溪は古美術のほか食にも通じており、自らメニューを考案し招待客に振舞っていた。そのメニューの一つが「三溪麺」であり、明治39年(1906年)、三溪園が開園した際、かつて内苑にあった山吹茶屋において招待客に出され、当初は山吹麺と呼ばれていたとのこと。

そばと名が付いているが日本蕎麦ではなく、特別に打った細いうどんを少量の油で、ほぐす程度に炒めている。麺に乗せてある具は、筍・椎茸・豚挽肉・ネギを醤油ベースで煮込み、少量の酢・生姜を加え、餡状にしたもの。さらにハム・絹さや・錦糸卵で彩りが添えられている。これらを麺に混ぜながら食べる。
といった解説が書いてある張り紙などを読んでいるとあっという間に三溪麺が席に運ばれた。
実際に食べてみると、美味しい。変な例えになるが上品なジャンクフードのようだ。
三溪麺には昆布茶が付いてくる。食後、昆布茶をいただきながらこのあと何処に立ち寄ろうかなど考えながら、一息付いて席をたった。

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