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[歴鉄_18]川崎市電700形 702号 | 川崎市・桜川公園

更新日:2021年8月8日



川崎市川崎区にある桜川公園に、かつて川崎市民の大切な足として昭和44年(1969)の市電廃止まで活躍した路面電車の旧車両700形 702号が保存されている。

川崎市電700形 702号は、大正11(1922)年製で、東京都電で1500形1573号車として運行されていたものを、昭和22(1947)年、川崎市が31万円で買い取り206号として運行に供された車輌である。その後木部の腐食が目立つため、昭和40(1965)年、413万5千円をかけ、日本鉄道自動車で台車や電気系統を除き鋼体化改造を行ない、700形702号となった。この改造で、車体は前後扉から前中扉となり、屋根上に強制換気装置とパンタグラフが設置されている。その後、浜町三丁目 - 池上新田の単線化に伴い、交換時のタブレット交換の便を図るために前中扉から前後扉に改造され、併せて屋根上の強制換気装置の撤去がされてるなど改修を行いながら、川崎市電全線廃止まで使用された。昭和43(1968)年12月の諸元表によると、自重17.6t、定員96人、全長124,000mm、全幅2,455mm、主動力機SS60となっている。登場時の塗装はクリーム色と深緑のツートンカラーであったが、1960年以降に白基調に緑の帯が入った新しい塗装へと変更されている。現地で保存車輌を見ると、概ね最終の運行状態がそのまま残されていると考えられる。方向幕は前後とも川崎駅前となっている。



川崎市営の軌道電車事業は、昭和19(1944)年10月、川崎駅東口の現在の小川町から渡田3丁目の2.76kmが開通し、軍需工場が数多く操業していた川崎臨海部工業地帯への工場従業員の輸送機関として重要な役割を果たしていた。 しかし昭和20(1945)年5月と8月の空襲による壊滅的な影響を受け、戦後の営業再開時に運行可能な車輌はわずか2輌であった。それを補うために昭和20(1945)年12月、東京都交通局から都電1500形を5輌譲り受けた。続いて昭和22(1947)年4月にも都電1500形 3輌を購入しており、このうちの1輌が、後の700形702号である。

その後は、さらに車輌導入しながら、順次路線を延長し昭和27(1952)年1月には、京浜急行塩浜駅(現在の塩浜3丁目)に達し、営業路線6.95kmとなる。これにより東海道本線以東の市街地の北半分を京浜急行、南半分を市電が受け持ち、沿線の人々の足として大いに利用された。

しかし、交通手段の変化と共に順次廃止され、昭和44(1969)年3月31日に最後の川崎駅 - 池上新田間4.64kmの廃止をもって、24年余りの軌道電車事業は終わりを迎えた。



川崎市電700形702号が展示されている桜川公園は昭和25(1950)年10月に開設された都市公園。昭和44(1969)年に児童交通公園となっており、時を同じくして廃止になった川崎市電の車輛が交通公園のシンボルとして設置されたのではないかと考えられるが、当初、設置されたのは設置されたのは702号ではなく701号であった。露天に置かれ、劣化も著しく、間も無く702 号と入れ替えられているようである。この時も同じく露天展示であったために間も無く状態が悪くなったために、昭和53(1978)年に公園内に保存館が設置された。この保存館は雨風が凌げる反面、中が見にくいという欠点があり、平成13(2001)年の公園改修に伴い撤去され、702号は再び露天展示となる。

桜川公園は平成17(2005)年、交通公園としての役割を終え、リニューアルされ、現在では702号もプラットホーム付きの上屋の下に移設されており、良好な保存状態が保たれている。

モータリゼーションによりその役割を終えた路面電車の車輌が、モータリゼーションに伴い必要となった交通公園のシンボルとして設置され、交通公園廃止後もその姿をとどめているのはなんとも皮肉に思えるが、いずれにしても川崎市電唯一の保存車両であり、川崎市臨海部のまちづくりの変遷を今に伝える貴重な歴史資産と言える。





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