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[歴飯_90]そばと板わさ 美蔵


小田原の風祭で鈴廣かまぼこが拠点として展開しているか「かまぼこの里」。

毎年の1月2日から3日にかけて行われている東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)では、この場所が往路復路ともに小田原中継所としての役割を担っていることから、テレビ中継を通して知っている人も多いのではないだろうか。

ここには、老舗かまぼこ店である鈴廣の商品が買える店舗の他、手作り体験ができる博物館、そして食事どころが集積している。

その中でも食事どころの拠点となっているのが千世倭楼(ちよわろう)で、建物は明治期の書院造りの主屋と蔵、富山県八尾から移築した築260余年の合掌造りの古民家で構成されている。



主屋には庭園を望める喫茶「名水甘味 且座」と小田原・箱根にゆかりのあるアート作品や暮らしの道具、食品を売っている「ギャラリー&ショップ 千惠 」、主屋に続く蔵には「そばと板わさ 美蔵」、古民家には「会席 大清水」がそれぞれ店を構えている。

今回はそのうちの「そばと板わさ 美蔵」を訪ねた。

「そばと板わさ 美蔵」は千世倭楼の主屋を通って入る。

主屋は、曲屋形式を継承した明治中期の住宅で、木造一部2階建、入母屋造の屋根を架け、豪壮な外観となっておりこのエリアのランドマーク的な存在である。



大きく開いた玄関を入ると正面が「ギャラリー&ショップ 千惠 」で、左手に「そばと板わさ 美蔵」が続く。入口となっている戸口には重厚な観音扉となっている。

もともとこの蔵は、主屋と同じく江戸末期から明治期には全国的にも屈指の山林王であった菊池家が秋田県平鹿郡大森町に自宅住居として建てた民家を平成12(2000)年に移築したものである。

2階建、切妻造・桟瓦葺、妻入でで、主屋と共に国の登録有形文化財となっている。

受付を済ませて待っていると、平日のまだ昼前だったこともあり、比較的すぐに店内に入ることができた。一階の一番奥の席に座り、メニューの中から看板商品の「板わさ謹上蒲鉾」、「江戸前玉子焼き」、「かまぼこかき揚げそば」をオーダーした。



店内を見渡すと内部は過剰なほどの密度で総漆塗りの柱梁が組まれ、堅牢に見える。

あまり時間をおかず、まず「板わさ謹上蒲鉾」と「江戸前玉子焼き」が運ばれてきた。

贅沢に厚く切られたかまぼこの板わさは「本来のかまぼこの味を楽しんでいただくために醤油などつけずにどうぞ」と案内されたので、少しだけわさびを載せてそのままいただいた。口の中に広がる蒲鉾の香りと味もさることながらプリプリとした歯ごたえが、いかにも老舗が「謹上」と名づけるだけのことがある食べ応えであった。

玉子焼きには大根おろしが添えられていたが、こちらも何もつけずとも甘すぎず玉子本来の味と出汁の旨味が口全体に広がる。




板わさと玉子焼きはを食べ終えたところに、今度は「かまぼこかき揚げそば」が運ばれてきた。

そば、つゆ、薬味、天ぷら、塩が盆に乗せられている。

蕎麦は細い更科で、北海道深川産そばを石臼で丁寧に挽き、「箱根百年水」で打っているとのこと。軽い喉越しでスルスルと食べ進めることができた。

かき揚げは野菜と海老、そして賽の目にカットされたかまぼこが入っている。

まずは何もつけずに食べてみたが、野菜の甘みと海老の香ばしさがうまく組み合わさった中に、揚げられることによってより甘さをましはんべんのような食感も加わったかまぼこが美味であった。

食事を済ませて会計前に、スタッフにお願いをして2階も覗かせてもらい、1階と同様に柱梁が密度高く組まれた小屋組なども見ることができた。



小田原の海近くのかまぼこ屋が軒を並べている一角にあった鈴廣の本店を当時の社長、鈴木昭三が一念発起し、小田原風祭に本拠地を移したのは昭和37(1962)年とのこと。それから60年を経て、かまぼこのテーマパークのように発展させ、その中で老舗らしく上品に歴史的建造物を保全活用する姿勢に敬服しつつ、店を後にした。




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