横浜市本牧、国指定名勝「三渓園」の内苑に位置する「臨春閣」(国指定重要文化財)。昭和33(1958)年、昭和63(1988)年に実施された昭和の大修理から約30年の月日を経て、5年に及んだ令和の大修理を終えたことを記念し、令和4(2022)年9月17日~25日かけ、通常非公開の内部が一般に公開されている。
故西和夫氏(神奈川大学名誉教授)の著書『三溪園の建築と原三溪』によれば、三渓は豊臣秀吉を好み、園内にも「旧天瑞寺寿塔覆堂」(秀吉が母の長寿を願って建立)のような秀吉所縁の建物を移築している。「臨春閣」もまた、秀吉が京都に建てた聚楽第の一部であるとして大阪市此花区春日出新田から移築された。当時は「桃山御殿」と呼び、秀吉所縁の調度品等も展示しており、長男の婚礼や三渓自身の葬儀もここで行われたことから、他と比較しても思い入れのあった建物であったことが窺える。現在は後の調査で、慶安2(1649)年に、和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」が、後に大阪市の春日出新田に新田会所(別荘のようなもの)として移築されたのではないかと考えられている。移築の際には、3棟から成る建屋の順序を入れ替え、園内に築造した池に沿って3棟を少しずつずらしながら接続し、各棟からから池が眺められるよう構成されている。
[ THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA ] もこの特別公開初日にあたる17日に現地を訪れた。残念ながら内部は写真撮影不可となっているので、見学を予定されている場合は、注意いただきたい。
唐破風の付いた玄関から屋内に入ると、今回の大修理の過程で発掘された玄関棟(戦災により失われたとされている)の床の一部が保存公開されている。靴を脱ぎ、第一屋に入る。第一屋は、鶴の間、瀟湘の間、花鳥の間から成り、鶴の間には、狩野周信「鶴図」が、花鳥の間には狩野探幽による「四季花鳥図」の障壁画が描かれている。瀟湘の間と花鳥の間の間にある鴨居には、波を模った立体的な彫り物が施されており、職人の技量の高さを感じることができる。池に面した第二屋は釣り殿(池に面して周辺を吹き放ちにした寝殿造りに見られる建物)となっており、琴棋書画の間、浪華の間、住の江の間、繁の間から成る。ここでも狩野派の絵師による障壁画の他、建屋内部からしか見えない建具に設けられた組子細工、石垣張り(障子紙を中央で重ねて張る)の障子等を見学できる。この第二屋にある住之江の間では、長男の婚礼や三渓自身の葬儀が行われている。第二屋から第三屋に続く廊下には、十二支をモチーフとした板絵十二支図額が設置されており、表情の異なる十二支が愛くるしい。こちらも外部からは見学できないので、この機会に是非見ていただきたい。第三屋は、唯一の2階建てであり、1階の天楽の間、2階の村雨の間から成る。天楽の間の鴨居には雅楽で使用する笙等の楽器がはめ込まれている。2階に上がる階段へと続く花頭窓の額縁も美しい。
三渓記念館の展示室では、修理の様子を記録した田中克昌氏の写真展「あとさき‐臨春閣‐」も同時開催されているので、合わせて見学いただきたい。
今回の大修理では、檜皮葺きや杮葺きの屋根の葺替えを中心に内部の鴨居や建具等が修復されたが、貴重な文化財を後世に渡り保存していくには定期的な修繕が必要となっている。
是非こうした機会に歴史的建造物に触れ、ファンになっていただきたい。
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