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[歴湯_11]湯河原温泉「ゆ宿 藤田屋」



「足柄の土井の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」と「万葉集」に詠まれた湯河原温泉は万葉の時代から知られた温泉地であった。夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介をはじめ多くの文士が逗留したことでも有名である。

その湯河原温泉の中でも温泉宿として一番古い歴史を持つのが今回訪れた「ゆ宿 藤田屋」。明治15(1882)年創業。東郷平八郎などの軍人や高浜虚子などの文人も多く滞在した。

今回も、前回の[歴湯_10]源泉上野屋に続いて、湯河原温泉の魅力を伝える街歩きイベント「湯探歩(ゆたんぽ)」の一環として企画された館内の見学と入浴が体験できるツアーに申し込んで参加した。



集合時間に藤田屋に向かう。木造二階建の東棟と西棟を雁行して建て、中央に入母屋造の玄関を構える。玄関から館内に入り、フロントで参加料を納めると、時間までの待機場所としてサロンに通された。サロンからは本館の前庭が一望できる。サロンに続いている休憩室には、天井にシャンデリアメダリオンが設られており、両部屋の扉には雪の結晶のようにも見えるシダ模様の結霜ガラスが嵌められているなど、歴史的建造物としての魅力が散りばめられており、これからの見学への期待が徐々に高まる。



時間になり見学が始まる。案内人はフロントの佐藤氏。まずは本館1階の内湯の案内。まだ、宿泊客も入浴していない時間帯なので男女両方の浴場を見学することができた。

最初に案内されたのは「望乃湯」。ここは昭和末の改修によって造り直されているが、浴槽の形はもとの形を踏襲しており、その円形が月の形ににていることから「望乃湯」と命名されたとのこと。中央に八角堂の構造の檜のみがき丸太による円錐型のドームを持ち頭頂部が湯気抜きになっている。開口部が大きく明るく開放感がある。



続いて、「漱玉乃湯」。こちらは露天風呂になっている。洗い場の石畳の下には温泉管が埋設されていて、冬には床暖房になるとのこと。「望乃湯」と「漱玉乃湯」は時間により男女入替となっており宿泊すれば、両方の湯を楽しむことができる。



一旦、浴場を出て客室を案内いただいた。

藤田屋の建物は、大正12(1923)年・昭和4(1929)年に建築され平成26(2014)年に国登録有形文化財になっている本館(東棟と西棟)と新館で構成されている。



本館1階から2階に上がった突き当たりには日露戦争で活躍した東郷平八郎の扁額がある。「清修自守(「心を清く潔白にして己を見失わないようにす る。」の意)」の書に自身の署名のほか「辛亥」と「加藤氏」とあるので、明治44(1911)年、藤田屋創業者の加藤氏宛に書かれたものであることがわかる。

湯河原温泉は、日清戦争(1894 - 1895)や日露戦争の傷病兵の療養地であったことから多くの軍人が訪れ、東郷平八郎も藤田屋を常宿としていたとのことである。



最初に案内された客室は、大正期に建築された本館東棟2階の客室。藤木川に向かって開口している8畳の和室で、高蘭、床の間を備えており、床間や欄間に繊細な意匠の組子細工や透彫が飾られている。歴史ある客室だが、トイレ、シャワーがないために宿泊料は館内で安価に設定されているとのこと。



次に昭和初期に建築された本館西棟の客室へ。東棟と西棟の間の読書コーナーには、昔の軽便鉄道の写真などが展示されている。

西棟で案内されたのは一番奥の特別室。川に向かって開口部がある構成は同じだが、10畳の和室に広縁・トイレがついている。折り上げ天井の天井板は神代杉。欄間や障子などに細やかな格子細工が施されている。ここで、案内は終了。参加者に希望をとり、男性が「望乃湯」、女性が「漱玉乃湯」に入浴することになった。



フロントで貸しタオルを受け取り、いよいよ入浴へ。先ほど案内された「望乃湯」に向かう。脱衣所で入浴の準備を整え、浴場へ。改めて見回すと、松ぼっくりを模した注ぎ口から湯が注がれている。泉質は弱アルカリ性でほぼ無臭透明。源泉の泉温は68度で、温度調整のため加水しているため熱すぎない温度になっている。

円形の浴槽は肩までしっかり浸かる深さで腰掛けられ、底は気持ちの良い洗い出し。

ゆっくりあったまりながら上を見ると、三角ドームの頂部からも光が注ぎ込み心地が良い。

風呂上がりに、脱衣所の脇にある休憩所で少し汗が引くのを待って、風呂場を後にした。



今回は湯河原温泉の街歩きイベント「湯探歩」の企画で参加することができた。「湯探歩」は今後も偶数月の第1週土日に開催され、登録有形文化財の温泉宿の見学会もあるので、ぜひイベントに参加し歴史ある温泉を堪能しに訪れていただきたい。



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