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[レポート]3代目井上良斎登り窯特別公開 良斎作品とオリジナルブレンド茶を楽しむ会【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】



多くの人には横浜と「焼き物」という言葉は、結び付かないかもしれないが、明治〜昭和初期にかけ、横浜から海外に焼き物が輸出され、外貨獲得の役割を担っていた。横浜で作陶した陶芸家の一人が3代目井上良斎である。井上良斎は大正3(1914)年〜戦後にかけ、活躍した陶芸家で、「神奈川焼」と呼ばれた作品を作っていた。当初は高島町近くに釜を構えていたが、関東大震災で被災し、南区永田東の斜面地に拠点を移した。この時造られた登り窯と工房が今も現地に保存されている。令和5(2023)年9月に登り窯が横浜市の歴史的建造物に登録されたのを記念した特別公開イベントが12月2日に開催された。



主催団体である「登り窯と永田の自然を守る会」は良斎の孫にあたる川井氏が登り窯と永田の自然を次世代に継承することを目的に平成12(2000)年に設立。これまでに様々なイベントを開催してきた。この程、同地区の有志で構成される「ふるさと創生の会」や地域コーディネーター、ケアプラザの職員らが、「登り窯と永田の自然を守る会」の支援団体である「登り窯まるごと整備プロジェクト」を立ち上げ、活動をサポートしている。戦後登り釜は使用されていないが、斜面に沿って煉瓦を積んで作られた登り窯には、焼成の際に使用した松薪から出た松脂も見られ、当時の姿を今に留めている。




当日は神奈川県立歴史博物館の学芸員による良斎作品の解説が行われた。良斎は掻き落しの技法を用いた線刻文様等を得意としたそうで、参加者は興味深そうに聞き入っていた。

また、敷地内には湧水や豊かな自然環境が保全されており、平成19(2007)年に横浜市の横浜市民まち普請事業に応募し、水路や池を整備、ホタルが成育できるようにしてきたそうだ。

イベント当日は大人から子どもまで100名を超える来訪があり、単に歴史資産の保全だけでなく、この場所が地域の人々の交流拠点になっている様子が感じられた。





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