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[歴飯_162]箱根口ガレージ(報徳広場) [歴鉄_21]小田原市内線モハ20系202号



昭和10(1935)年から昭和31(1956)年まで小田原駅 - 板橋駅の国道1号線を走り「チンチン電車」の愛称で当時の人々に親しまれていた小田原市内線。そこで活躍していたモハ202号が小田原城南側の国道1号沿いの「箱根口ガレージ(報徳広場)」内に設置され保存されている。



今回、歴飯で訪れた「箱根口ガレージ(報徳広場)」は地域が観光で賑わい、3世代が交流する地域コミュニティづくりの拠点として令和3(2021)年に完成、報徳二宮神社 (まちづくり会社「報徳仕法株式会社」)が運営する複合施設。カフェレストランやパティスリー、フラワーショップなどが入っている。

広場の国道側入口には二宮金次郎像が建ちモハ202号とともに目印となっている。

その奥にある複合施設の扉を開けると、大屋根の下に手前からドライフラワーや地元産の商品が並ぶショップ、中央に飲食ができるテーブル、左手がキッチンとなっている。訪れたのは3連休の中日の午後2時を少し過ぎた時間であったが、店内はほぼ満席であった。



キッチンには、報徳二宮神社の境内にある「きんじろうカフェ」の姉妹店「きんじろうCAFE&GRILL」と「Patisserie HINNA」があり、両店の商品がカウンターでオーダーできる。メニューからは、小田原漁港で水揚げされたアジのフライを地場野菜たっぷりのサラダ仕立てにした「冬もヘルシーきんじろうドン オダワラアジフライ」や「サーロインステーキ」、「北海道山中牧場のソフトクリーム」、パティスリーケースに並ぶケーキ、各種のドリンクが選べるが、今回は「北海道山中牧場のソフトクリーム」とパティスリーケースから「ダブルチーズケーキ」、「開運土徳オリジナルブレンドコーヒー」を選んだ。



改めて店内を見渡すと、広場を見渡せるガラス戸の開口部、キッチンカウンターの上には古い小田原エリアの写真、広場側の壁には小田原城や報徳神社・北条五代をモチーフとした絵と二宮尊徳の教えが絵本調にひらがなで書かれている壁画がぎゅっと詰まっているが、全体として落ち着いた空間にまとまっている。



しばらくすると注文の品が出来たと知らせがあり受け取りに行く。

「Patisserie HINNA」の「ダブルチーズケーキ」はカトラリーが入った丸い台に乗せられいる。店名のヒンナとはアイヌ語で「いただきます・ごちそうさま」にも使われる食への感謝を表す言葉。同店のパティシエである有野孝氏は北海道出身。小田原を第2の故郷としながら北海道開拓の精神的な礎となった報徳の絆をも大切にし、地場柑橘なども使ったスイーツをご提供する。



「北海道山中牧場のソフトクリーム」にも二宮金次郎像のシルエットを模ったクッキーとともに「二宮尊徳翁と北海道のはなし」と題したエピソードが付されている。それによると、明治時代、北海道開拓において尊徳の孫や弟子達が礎を開き、第一次世界大戦後の恐慌も報徳仕法(協同組合づくり)と報徳思想(自主自立の助け合い)の力で乗り越えた。このソフトクリームはその精神を受け継ぐ山中牧場の生乳も加えて作っているとのこと。



オリジナルブレンドのコーヒーとともにスイーツをゆっくり楽しんで、すっかり時間が経ってしまったので、今度は店を出てチンチン電車=小田原市内線モハ20系202号に向かう。

小田原電気鉄道(小田原市内電車)は国府津 - 湯本間12.9kmを結ぶ軌道線として明治33(1900)年、我が国で4番目に開業した。大正9(1920)年、熱海線国府津 - 小田原間が開通すると、軌道線は同区間を廃止し小田原駅に乗り入れた。昭和10(1935)年、小田原駅 - 箱根板橋間2.4kmの町内(昭和15(1940)年より小田原市内)電車となり、国道1号線を走る「チンチン電車」の愛称で親しまれたていたが、昭和31年(1956年)5月31日、自動車の普及に伴い廃止された。



この車両(小田原市内線モハ20系202号)は王子電気軌道木造ボギー車 400形409号として大正14(1925)年に東京瓦斯電気工業で製造された。昭和17(1942)年に戦時統制で王子電気軌道が東京市電気局に事業移管されると車番は都電100形 109号に、さらに昭和23(1948)年、戦災で廃車になった車両の番号を詰めて102号に改められる。昭和25(1950)年に廃車となった後は箱根登山鉄道に譲渡され小田原市内線モハ20系202号となる。しかし、小田原市内線が昭和31(1956)年に廃線となっため、箱根板橋車庫で改軌・全長短縮・車体鋼製等の改造を行い201号 - 205号の5両と共に長崎電気軌道に譲渡された。



昭和32年(1957)年、長崎電気軌道150形152号として入線。昭和40(1965)年に熊本市電の台車を譲渡装備し低床化するなど改修されながら、昭和60(1985)年頃まで現役車両として活躍。一時期は事業用とされるも、昭和62(1987)年、151号に番号振り替え、塗装も小田原時代を再現したイエローとスカイブルーの塗り分けされ、イベント用として活躍。平成31(2019)年3月にさよなら運行を行い引退した。

令和2(2020)年 、小田原ゆかりの路面電車保存会の情熱と600名以上の全国の支援者からのクラウドファンディングによって、令和3年(2021年)2月、現在の場所に202号として設営された。小田原と長崎の友好の架け橋となった歴史ある車両はウェディングなどで貸切もできるという。是非、一度訪れて活用のアイデアを考えてみてはいかがだろうか。




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