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[記者発表]F.ベアト撮影・ダグラス中尉旧蔵写真アルバム 横浜里帰り記念プレス発表会兼株式会社三陽物産と公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団の「横浜の歴史文化」の普及啓発に関する協定書締結式【三陽物産・横浜市ふるさと歴史財団】

更新日:2月1日



株式会社三陽物産代表取締役社長の山本博士氏は、イギリスに伝存してきたベアトが日本で制作した最初期のアルバムを取得し横浜開港資料館へ寄託、あわせて株式会社三陽物産は開港資料館等を運営する公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団との連携強化に関する協定を締結した。


〈協定書締結式〉



協定書の締結式に先立ち青木祐介氏(横浜開港資料館副館長)から協定書の概要説明があった。「三陽物産や山本博士氏にはこれまでも寄贈・寄託等により横浜開港資料館をはじめとした公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団の事業に多大なご協力をいただいてきた。」とし、「寄託された明治初年の神奈川台場の写真が発掘調査に役立った」、「昭和初期の開港記念会館写真に映り込んだ開通合名の煉瓦塀の様子が現地の紹介にも生かされている」などの事例を挙げ、寄託された資料が各館の展示や資料として役立っているだけではなく、「歴史を生かしたまちづくり」にも生かされていると紹介した。

青木氏は「当財団は先日、地元プロバスケットボールチームの横浜エクセレンツとも連携協定を締結した。今後は歴史や文化財に専門性がある団体だけではなく様々な分野の企業・団体とも連携を深めて、『ふるさと横浜を思う力』に変えていきたいと考えている。」と締め括った。



協定書では「公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団」と「株式会社三陽物産」が双方の特色を活かし、管理運営施設の事業において、「株式会社三陽物産および代表取締役山本博士が所蔵し、乙が管理運営する施設に寄贈または寄託する歴史資料の調査研究、維持管理に関すること。」、「双方が管理運営する歴史的建造物および文化財展示施設における展示・監修等に関すること。」、「双方が主催する展覧会や講座・講演会等の市民を対象としたイベントの実施に関すること。」等について相互に連携し協力することをが定められている。

協定書の署名・交換に続き、山本博士氏(株式会社三陽物産代表取締役社長)、佐藤信氏(公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団代表理事)、西川武臣氏(横浜開港資料館館長)が挨拶に立った。



山本氏は横浜生まれ横浜育ちで、「幼少期にはワクワクした開発がたくさんあった一方で、失われていく建物に寂しさを感じることもあった」と歴史的なものに興味を持ち始めた頃の思い出や、「小学校の時に開港資料館ができて、学校では行った方が良いと紹介された」、その後「歴史を生かしたまちづくりの研究のために社会人入学をした横浜市立大学のインターンとして開港資料館でも学んだ」こと、「三陽物産を父が経営していた時に喫茶室ペリー(現在のポーターズロッジ)を運営していた」など、自身が開港資料館との縁が深いというエピソードを紹介。

また、「三陽物産は『お菓子を通じて横浜の歴史・文化を継承する』を企業スローガンにしており、「企業活動を歴史文化と融合させて持続可能とすることを目指している。今回の協定もそれにつながっている」とし、「これまでに約150点を寄託、約100点を寄贈してきたが、歴史資料や文化財は保存されるということが重要だが、『どこにあるか』ということも重要。アメリカの骨董店の店先に埃を被って置いてあるのか、自分の部屋にあるのか、資料館にあるのか。そういう意味でも、国内最古級のアルバムを寄託できたのは意義あることだと考えている。」と語った。



佐藤氏「貴重な資料を寄託されたことに感謝する」



西川氏「山本氏は神奈川台場を紹介する冊子を1万冊以上作成し小学生に配布するなど、次の時代の子どもたちに『歴史文化を伝える活動』もしている。」



挨拶に続き、「今後の取り組み」として、小林光一郎氏(横浜市歴史博物館学芸員)から「企画展・ヨコハマの輸出工芸展(横浜市歴史博物館・2/3 - 3/10)」で真葛焼の展示と山本氏の特別公演会があること、伊藤泉美氏(横浜ユーラシア文化館副館長)から令和4年度に企画されながら施設の都合で延期された「山本博士コレクション展 YOKOHAMA・東西文化のランデブー(仮題)」が令和7年度企画展として開催されることについて紹介された。




<F.ベアト撮影・ダグラス中尉旧蔵写真アルバム 横浜里帰り記念プレス発表会>




最後に吉崎雅規氏(横浜開港資料館主任調査研究員)による解説とともに寄託されたアルバムが披露された。

今回、開港資料館に寄託されたアルバムは Japan Society(日本協会、ロンドン)が旧蔵していたもので、元々はイギリス艦船エンカウンター号(HMS. Encounter)乗り組みの海軍中尉ダグラス(A.Douglas)が1892年に同協会に寄贈したものであった。

令和4(2022)年、山本氏がオークションで落札、今回の寄託に至った。

撮影者のフェリーチェ・ベアト(Felice Beato 1832 - 1909)は幕末に開港した横浜の当時の様子を撮影した外国人カメラマンとして最も著名な人物の一人。ベアトは 文久3 (1863年)に横浜にスタジオを構え、幕末から明治初期の日本各地を撮影し、質の高い風景・風俗写真を残している。



このアルバムの希少性を表しているのが1頁目の左端の「No.10 F Beato」と記されている エディションナンバーと署名である。ベアトが日本における撮影活動の初期に制作したアルバムとしてきわめて資料的価値が高いと言える。ベアトのアルバムはいくつか発見されているが、エディションナンバーが記されているのはこれのほかオランダ・アムステルダムのNo.9が知られているが、国内では知られている限り唯一となる。



表紙見返しには「Yokohama December 20th 1863」と日付が記されている。ダグラス中尉が乗船するエンカウンター号は1864年1月1日には中国に戻っており、このアルバムはダグラスが日本を離れる直前に入手したことを示している。つまり本アルバムの写真撮影年代は1863年12月以前というこということになる。

アルバムは和製本の四つ目じで、赤茶の絹表紙(1冊)。サイズはヨコ 46.8✕タテ35.8✕厚さ3.5cm。台紙42枚に写真38枚(内1枚はワーグマンの水彩画を撮影したもの)とワーグマンの水彩画 2枚が貼付されている。



写真台紙には手書きのキャプションが記されており、野毛から見た横浜遠景、横浜の運河、弁天社、横浜の警備小屋といった横浜居留地を写したものが多く含まれている。

そのほか、鎌倉鶴岡八幡宮、高徳院の大仏、愛宕山からの江戸市街、東禅寺山門、といった鎌倉・江戸の風景写真にくわえて、日本の役人、火鉢の傍に座る和服の女性、脈を診る医師、手を合わせる僧、走る飛脚など、日本人の風俗をとらえた写真も含まれ「風景と風俗」を写した写真アルバムということになる。38枚の写真には、既に開港資料館が所有しているものと同じ写真もあり、初出のものについては今後調査していくとのこと。



最後に、青木氏は、市民に向けた公開時期について「現在、進められている文化観光拠点計画に基づく整備を終え、新たな姿になった開港資料館をお披露目するのに良いタイミングなのではないかと考えている。」と語った。今後の企画展示で生かされることが今から楽しみである。





横浜に関連した歴史の理解に役立つ国内外の資料や文化財の収集・保管、調査・研究を行うとともに、その成果を活用し、児童・生徒や市民の求める「横浜の歴史」の学習意欲に応える展示、閲覧、出版等の普及啓発を行い市民と共有することで、市民文化の発展に寄与することを目的として、横浜市の出資により平成4(1992)年に設立された公益財団法人。横浜市歴史博物館、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館、横浜市三殿台考古館、埋蔵文化財センター(業務委託)、横浜市史資料室(業務委託)、横浜市八聖殿郷土資料館(管理委託)などの施設管理を行なっている。



昭和37(1962)年創業。市内で老舗洋菓子店「横浜モンテローザ」を経営。「お菓子を通じて横浜の歴史・文化を継承する」を企業スローガンに、「宮川香山眞葛ミュージアム」の運営や、戦前の西洋館「山手133番館」の取得・保全など、持続可能な歴史まちづくりにも積極的に取り組んでいる。

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