[カレンダー]遠藤於菟と横浜・神奈川【2/17】
- heritagetimes

- 13 分前
- 読了時間: 12分

遠藤於菟(えんどうおと)は、明治から大正期にかけての日本建築界において、鉄筋コンクリート造(RC造)の普及に決定的な役割を果たした先駆者である。その建築家人生は、開港以来の急速な近代化を遂げていた都市・横浜と宿命的に結びついており、彼が残した足跡は今なお横浜の歴史的な街並みの骨格を成している。
遠藤は慶応2(1866)年、山形県米沢の地で米沢藩士・遠藤源右衛門の三男として生まれた。幼少期に東京へ移り、官立の工部大学校(現・東京大学工学部)で建築学を修めた。当時、同校ではジョサイア・コンドルが教鞭を執り、辰野金吾や妻木頼黄といった後の巨匠たちが輩出されていた。遠藤は明治20(1887)年に卒業後、一時母校の助教授を務めたが、実務への情熱から、建築界の重鎮であり官界の有力者であった妻木頼黄の門下に入る。
遠藤と横浜の縁を決定づけたのは、明治中期から後期にかけて行われた「横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)」の建設プロジェクトであった。遠藤は師である妻木の右腕として建築長に抜擢され、現場監理の陣頭指揮を執った。この明治37(1904)年に竣工する巨大プロジェクトを通じて、彼は石造や煉瓦造といった当時の最高峰の建築技術を習得すると同時に、横浜の都市形成に深く関わることとなった。この時の経験は、後に彼が自立して横浜を拠点とする大きな足がかりとなった。
独立後の遠藤の真骨頂は、「耐震・耐火」という都市の課題に対する技術的挑戦にあった。明治44(1911)年に竣工した「旧三井物産横浜ビル」では、日本最初期の全鉄筋コンクリート造事務所ビルを実現させ、煉瓦造の時代に終止符を打つ革新をもたらした。さらに、大正12(1923)年の関東大震災という未曾有の災害を経て、彼の技術は「復興建築」として結実する。大正15(1926)年竣工の代表作「旧横浜生糸検査所(現・横浜第二合同庁舎)」では、RC造による堅牢な構造の中に、アール・ヌーヴォーやセセッションの流れを汲むモダンな意匠を融合させた。これは、災害に強く、かつ国際都市にふさわしい華やかさを備えた「新しい横浜」の象徴であった。
遠藤の建築思想は、単なる技術の導入に留まらず、横浜の景観に対する深い愛着に裏打ちされていた。彼は横浜建築士会の会長を務めるなど、地域の建築界の発展にも尽力した。また、彼の設計には動植物をモチーフとした有機的な装飾が多用されており、単なる機能主義に陥らない芸術性が、今も横浜の街に温かみを添えている。
現在、北仲通地区や日本大通に残る彼の作品群は、一部が「横浜市認定歴史的建造物」として、あるいは「ファサード保存」という手法で現代の都市機能の中に組み込まれている。遠藤於菟という建築家がいなければ、現在の「歴史とモダンが共存する横浜」の風景は存在しなかったと言っても過言ではない。山形に生まれ、東京で学び、横浜を終の棲家とした彼の経歴は、横浜が近代都市へと脱皮していく苦闘と栄光の軌跡そのものである。昭和18(1943)年2月17日にその生涯を閉じるまで、彼は常に現場を愛し、横浜の発展に心血を注ぎ続けた。
2月17日は遠藤於菟の命日であることから、ここでは彼の横浜・神奈川における功績と関連する遺構を紹介する。
1.KN日本大通ビル(旧三井物産横浜ビル)

所在地: 横浜市中区日本大通14
建築年:[当初] 明治44(1911)年 / [増築] 昭和2(1927)年
構造・規模: 鉄筋コンクリート造、地上4階・地下1階
設計・施工:[当初](設計)遠藤於菟(施工)三井土木部(現・三井住友建設) / [増築] (設計)遠藤於菟(施工)三井物産
指定・認定: 未指定
KN日本大通ビル(旧三井物産横浜ビル)は、明治44(1911)年に竣工した、日本最初期の全鉄筋コンクリート造(RC造)事務所ビルである。当時、煉瓦造から耐震・耐火性に優れたRC造への転換期において、遠藤於菟がその先駆的な技術を実践した記念碑的な建築である。竣工当初はL字型の3階建てであったが、昭和2(1927)年には遠藤自身の手によって4階部分の増築と、建物正面を日本大通り側に拡張する工事が行われ、現在の重厚な姿となった。
意匠面では、垂直性を強調した列柱状の装飾や、幾何学的なパターンを多用したデザインが特徴である。これは遠藤が得意としたアール・ヌーヴォーやセセッション(ウィーン分離派)の影響が反映されたもので、古典主義様式からモダン建築へと移行する過渡期の独特な美しさを備えている。内部には現在も手動式の蛇腹扉を持つ日本最古級のエレベーターが稼働しており、当時の先進的なオフィスビルとしての機能を今に伝えている。
「横浜市認定歴史的建造物」などの公的な指定・認定は受けていないが、日本大通りの歴史的景観を形成する極めて重要な建築物として広く認識されている。戦後の接収解除を経て、現在もオフィスビル「KN日本大通ビル」として現役で使用されており、日本最古のRC造ビルという歴史的価値を保持しながら、都市の営みの中に生き続けている。
2.横浜第2合同庁[旧横浜生糸検査所]
所在地:横浜市中区北仲通5-57
建築年:[当初]大正15(1926)年 / [復元]平成7(1995)年
構造・規模:[当初]鉄筋コンクリート造、地上4階 / [復元]鉄骨鉄筋コンクリート造、地上23階・地下3階(低層部の外観を復元保存)
設計・施工:[当初](設計)遠藤於菟(施工)大林組 / [復元](設計)建設省関東地方建設局、建築・設備設計共同体(施工)大林組、大成建設、竹中工務店、戸田建設、住友建設、東急建設、松村組 JV
指定・認定:横浜市認定歴史的建造物

横浜第二合同庁舎は、日本の近代化を支えた輸出の要、旧横浜生糸検査所の伝統を今に伝える建築物である。大正15年(1926)年に竣工した当初の建物は、主要輸出品であった生糸の品質保証を担う国家機関として機能した。検査作業に適した採光と、貴重な生糸を火災から守る高い耐火性能を備えた実用的な官庁建築であり、市民からは「キーケン」の愛称で親しまれた。
意匠面での最大の特徴は、正面玄関上部のペディメント(三角冠)に刻まれた紋章である。羽を広げた蚕の成虫(蛾)を中心に、その食草である桑の葉と菊花を配したこのレリーフは、アール・ヌーヴォーの流れを汲む有機的なデザインであり、生糸貿易の拠点としてのアイデンティティを鮮烈に象徴している。この建物は、周辺に建ち並ぶ帝蚕倉庫群と共に、世界的な生糸貿易港・横浜を象徴する景観を形成してきた。
平成2(1990)年には、その歴史的価値から横浜市認定歴史的建造物に選定された。老朽化に伴う改築に際しては、認定第1号の旧川崎銀行横浜支店と同様、低層部に旧庁舎のファサードを原寸大で緻密に復元し、背後に高層ビルを配置する「街並み保存」の手法が採られた。かつての機能美を象徴する蚕のペディメントは、隣接する倉庫群の遺構とともに、今も北仲通地区の歴史を語り継ぐ象徴となっている。
3.旧横浜生糸検査所付属倉庫事務所
所在地: 横浜市中区北仲通5-57-2
建築年:[当初] 大正15(1926)年 / [復元] 令和2(2020)年
構造・規模:[当初]鉄筋コンクリート造、地上3階 / [復元]鉄筋コンクリート造、地上3階
設計・施工:[当初](設計)遠藤於菟(施工)大林組 / [復元](設計)鹿島建設(施工)鹿島建設
指定・認定: 横浜市指定有形文化財

旧横浜生糸検査所付属倉庫事務所は、隣接する生糸検査所(キーケン)の本庁舎とともに、日本の生糸貿易を支えた歴史的施設である。大正15(1926)年、生糸の保管を担った帝蚕倉庫群の管理事務所として建設された。当時は周辺の倉庫群を統括する拠点であり、機能性を重視した強固な鉄筋コンクリート造を採用しながらも、本庁舎と調和する端正な佇まいを備えていた。
意匠面では、本庁舎と同様に赤茶色のタイル貼りや石造の装飾が施されているが、より簡潔でモダンな表現がなされているのが特徴である。かつては広大な帝蚕倉庫群が背後に控えており、この事務所はキーケン本体と倉庫群を繋ぐ、物流の最前線を象徴する建築であった。
北仲通北地区の再開発に伴い、一度は解体される危惧もあったが、歴史的景観の核として保存が決定。貴重な外壁タイルや階段室などの内部構造を最大限に活かしつつ、令和2(2020)年に商業・文化施設「北仲BRICK」の一部として再生された。かつて生糸の管理を担ったこの空間は、現在は飲食店やオフィスとして活用され、当時の物流拠点の面影を今に伝えている。
4.旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用B号倉庫及びC号倉庫
所在地: 横浜市中区北仲通5-57-2
建築年:[当初] 大正15(1926)年 / [復元] 令和2(2020)年
構造・規模:[当初]鉄筋コンクリート造、地上3階 / [復元(B号倉庫)]鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造、地上3階
設計・施工:[当初](設計)遠藤於菟(施工)大林組 / [復元](設計・施工)鹿島建設
指定・認定: 横浜市認定歴史的建造物

旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用B号倉庫及びC号倉庫は、検査を終えた生糸や絹製品を輸出まで保管するための施設として建設された。大正15(1926)年の竣工当時、最新の鉄筋コンクリート造を採用した「帝蚕倉庫」の一角をなし、日本の主要輸出品であった生糸貿易を物理的に支えた巨大な物流インフラであった。
意匠面では、隣接する生糸検査所本庁舎と共通する赤茶色のタイル貼りを用いつつ、倉庫としての機能性を追求した簡潔かつ力強いデザインが特徴である。これらは港湾都市横浜の隆盛を象徴する景観として、市民から「キーケン」の倉庫や「帝蚕倉庫」の名で親しまれてきた。再開発に伴う保存・復元に際しては、非常に特殊な手法が採られた。まず、解体されたC号倉庫の貴重なオリジナル部材(煉瓦タイル等)を再利用し、B号倉庫が建っていた位置に忠実に復元した建物が現在の「北仲BRICK」である。一方、C号倉庫については、超高層タワー棟「北仲WHITE」の低層部、棟間広場側のファサードに意匠が復元された。この緻密な復元プロセスを経て、かつての生糸貿易の記憶は、現代の都市空間の中に継承されている。
5.神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)
所在地: 横浜市中区南仲通5-60
建築年:当初: 明治37(1904)年 / [改築]昭和42(1967)年
構造・規模:[当初]石造・煉瓦造、地上3階・地下1階(中央にドーム)
現在: 鋼筋コンクリート造(内部補強)、地上3階・地下1階
設計・施工:[当初](設計)妻木頼黄(施工)直営工事(臨時建築部) / [改築](設計)神奈川県建築部、坂倉建築研究所(施工)鹿島建設
指定・認定: 国指定重要文化財・国指定史跡

神奈川県立歴史博物館の旧館部分は、明治37(1904)年に横浜正金銀行本店として竣工した、明治建築の最高傑作の一つである。設計は建築界の巨匠・妻木頼黄が手掛けたが、その現場監理(建築長)として実務の陣頭指揮を執ったのが、妻木の愛弟子であった若き日の遠藤於菟である。遠藤は、妻木が提唱した「壮麗なネオ・バロック様式」を具現化するため、膨大な石材の加工や当時の最新技術の導入において中核的な役割を果たした。
意匠面では、巨大なコリント式の石柱が並ぶ外観や、関東大震災で焼失したものの後に復元された中央のドームが圧倒的な威容を誇る。石積みと煉瓦造を組み合わせた堅牢な構造は、当時の日本の国際的地位と銀行の信頼性を象徴するものであった。遠藤はこの巨大プロジェクトでの経験を糧に、後に鉄筋コンクリート造の先駆者として独立し、横浜の近代建築を支える存在へと成長していく。
昭和42(1967)年に神奈川県立博物館として開館する際、戦災で失われていたドームの復元工事が行われ、創建時の華麗な姿が再現された。1969年には国の重要文化財に指定され、1969年には国の重要文化財に指定された。1995年(平成7年)には、新館の増築とともに自然史部門を分離し(神奈川県立生命の星・地球博物館へ移管)、「神奈川県立歴史博物館」へと名称を変更している。現在は「横浜三塔」と並び、開港都市・横浜の歴史的景観を象徴する極めて重要な建築資産となっている。師・妻木頼黄の美学と、それを現場で支え抜いた遠藤於菟の技術が結実した、横浜を代表する歴史的建造物である。
6.旧三井物産横浜支店倉庫(解体)
所在地:横浜市中区日本大通14
建築年:明治43(1910)年
構造・規模:鉄筋コンクリート造・煉瓦造・木造混構造、
現在:地上3階・地下1階
設計・施工:(設計)遠藤於莵 (施工)直営
指定・認定:横浜市指定有形文化財(解体後の建築部材)
旧三井物産横浜支店倉庫は、明治末期の明治43(1910)年に横浜市中区に竣工した、白レンガタイル張りが特徴の歴史的建造物。遠藤於菟設計による、煉瓦、木、鉄筋コンクリートを組み合わせた当時としては非常に珍しい混構造の倉庫であった。
前述のKN日本大通ビル(旧三井物産横浜ビル)とともに関東大震災と横浜大空襲という二度の大災害に耐え、第二次大戦後には、海外の日系人から送られ、戦後の食糧難を救った「ララ物資」を収める倉庫としても活用された。昭和34(1959)年からは、三井物産の系列会社である日東倉庫株式会社が所有することになり、長らく「日東倉庫」の名で親しまれていたが、平成25(2013)年に不動産会社の株式会社ケン・コーポレーションが「旧三井物産横浜支店倉庫」と「旧三井物産横浜ビル」を同時に取得。
平成26(2014)年に取り壊し計画が明らかとなり、これに対して多方面から保存活用を求める要望書が寄せられたが、平成 27(2015)年3月に解体された。そのような中で、所有者と交渉の結果、解体部材の一部は横浜市教育委員会が寄附を受けた。横浜市教育委員会が受け入れた旧三井物産横浜支店倉庫の建築部材は鉄筋コンクリート造・木造・煉瓦造による混構造の特徴を具体的に示すものであり、日本の鉄筋コンクリート造建築導入初期の様相を伝える実物資料として、極めて貴重であることから、令和7(2025)年12月に横浜市の有形文化財(歴史資料)として指定を受けた。

7.伊勢山皇大神宮旧禮典所車寄(現・伊勢山皇大神宮裏参道手水舎)
所在地: 横浜市西区
建築年:[当初]昭和2(1927)年 / [移築]昭和55(1980)年
構造・規模:[当初]木造2階建 / [移築]木造平屋
設計・施工:[当初](設計)遠藤於莵 (施工)
指定・認定:未指定

大正12(1923)の関東大震災で伊勢山皇大神宮は社殿のほとんどが消失した。皆無となった境内の復興にあたり、建築計画を担当したのが遠藤於兎であった。
本殿、拝殿、末社、神饌所などの再建のほか、新しい施設として遠藤が手腕を発揮して設計したのが「禮典所」であった。
禮典所は木造2階建の和風建築で昭和2(1927)年に竣工、主に結婚式などでご利用された。唐破風屋根の車寄くるまよせには十数台の自動車が玄関に横付けになっても余裕があることなどから、当時の新聞に「日本一の結婚式場」と紹介された。挙式者がこの車寄部分で記念写真を撮影され、その写真は今も御一家の思い出の品となっている。
昭和55(1980)年、記念館の整備に伴い解体されたが、車寄部分は切り離して移築され、裏参道手水舎に転用され、現在も当時のままの姿をここに留めている。
![[レポート]KANAGAWA HERI - PORT 2026(神奈川ヘリポート2026)神奈川歴史まちづくり自治体・活動団体報告会【SOWT】](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_34176db525254938a3a3161424bcd76f~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_653,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/36bc9a_34176db525254938a3a3161424bcd76f~mv2.jpg)
![[歴飯_01 - 150]まとめ](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_64610b1b52c141938dce07289858fc44~mv2.jpeg/v1/fill/w_980,h_551,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/36bc9a_64610b1b52c141938dce07289858fc44~mv2.jpeg)
![[イベント]保土ケ谷歴史まちあるき2026 ~オープンヘリテイジ~【横浜市保土ケ谷区】](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_ba387692843e4c1d940d294f0bc5c928~mv2.png/v1/fill/w_980,h_735,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/36bc9a_ba387692843e4c1d940d294f0bc5c928~mv2.png)
コメント