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[カレンダー]神奈川県内の歴史的船舶・船渠・灯台・水門【7/20 海の日】


毎年7月第3月曜日は国民の祝日「海の日」。平成8(1996)年に「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とし制定。当初は7月20日だったが、平成13(2001)年の法改正により平成15(2003)年から7月第3月曜日に変更された。

この日はもともと、明治天皇が明治9(1876)年の東北地方巡幸の際、軍艦によらず灯台視察船の汽船「明治丸」で青森から函館を経由し、7月20日横浜に帰着したことに起源とし、昭和16(1941)年から「海の記念日」として国民行事が行われてきたことに由来する。


THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAでは、この「海の日」あわせて、神奈川県内の歴史歴な船舶・船渠・灯台を紹介する。



  1. 旧横浜船渠株式会社第一号船渠

  2. 旧横浜船渠株式会社第二号船渠(ドックヤードガーデン)

  3. 京浜港ドック

  4. 浦賀ドック(住重旧浦賀工場1号ドック)

  5. 旧石川島造船浦賀分工場船渠(川間ドック)

  6. 在日米軍横須賀基地第一号ドック(旧横須賀造船所第一号ドック)

  7. 在日米軍横須賀基地第二号ドック(旧横須賀造船所第二号ドック)

  8. 在日米軍横須賀基地第三号ドック(旧横須賀海軍工廠第三号ドック)

  9. 在日米軍横須賀基地第四号ドック(旧横須賀海軍工廠第四号ドック)

  10. 在日米軍横須賀基地第五号ドック(旧横須賀海軍工廠第五号ドック)

  11. 在日米軍横須賀基地第六号ドック(旧横須賀海軍工廠第六号ドック)




歴史的船舶

歴史的建造物の保存に維持管理の困難さはつきものだが、歴史的船舶の保存はさらに困難なものとなる。ここでは、戦時従軍や老朽化による解体の危機を乗り越え、神奈川県内の海上、船渠内、陸上にそれぞれ保存されている貴重な歴史的な船舶を紹介する。

  1. 氷川丸


  • 所在地:横浜市中区山下町山下公園地先

  • 構造・規模:貨客船 / 鉄製 / 全長163.3m / 全幅20.1m / 排水量11,622t

  • 建造年:昭和5(1930)年

  • 設計・施工:横浜船渠

  • 指定・認定:国指定重要文化財(歴史資料)


氷川丸は、昭和5(1930)年に竣工した日本郵船の貨客船である。北太平洋のシアトル航路に就航し、当時の最新鋭設備とサービスから「北太平洋の女王」と称された。

太平洋戦争時は海軍に徴用され、病院船として運用された。戦時中に3度の触雷被害を受けたが、戦前の日本の大型優秀船の中で唯一沈没を免れ、終戦を迎えた。戦後は復員輸送や引き揚げ任務に従事した後、昭和28(1953)年に再び北太平洋定期航路へ復帰した。

昭和35(1960)年の引退までに通算254回の太平洋横断を記録した。翌昭和36(1961)年より横浜の山下公園に係留され、宿泊施設や観光施設としての運用を経て、現在は博物館船として公開されている。平成28(2016)年には、戦前の造船・内装技術を今に伝える貴重な遺構として、国の重要文化財に指定された。

  1. 帆船日本丸


  • 所在地:横浜市西区みなとみらい(日本丸メモリアルパーク)

  • 構造・規模:補助機関付帆船 / 鋼製 / 全長97.05m / 全幅20.1m / 排水量2,278.25t

  • 建造年:昭和5(1930)年

  • 設計・施工:川崎造船所

  • 指定・認定:国指定重要文化財(歴史資料)・日本船舶海洋工学会ふね遺産


帆船日本丸は、昭和5(1930)年に文部省の航海練習船として竣工した大型練習帆船である。その端正な姿から「太平洋の白鳥」と称された。

昭和5(1930)年から昭和16(1941)年までの戦前期には、主に太平洋を舞台に練習船として運航された。第二次世界大戦中および終戦直後の昭和20(1945)年からは、帆装を外して機帆船として運用され、海外からの復員輸送や緊急の貨物輸送に従事した。

昭和27(1952)年には帆装が再建され、再び練習船としての活動を再開した。その後、昭和59(1984)年に後継の日本丸II世に任務を引き継ぐまで、54年間にわたり約11,500名の修了生を送り出した。

昭和60(1985)年からは旧横浜造船所第1号ドックで保存・公開が開始された。平成29(2017)年には、日本の近代造船史上、航海練習船として極めて高い価値を有することから、国の重要文化財に指定された。

  1. 戦艦三笠


  • 所在地:横須賀市稲岡町(三笠公園)

  • 構造・規模:戦艦 / 鋼製 / 全長131.7m / 幅23.2m / 排水量15,140t

  • 建造年:明治35(1902)年

  • 設計・施工:ヴィッカース社バロー・イン・ファーネス造船所

  • 指定・認定:日本遺産


戦艦三笠は、明治35(1902)年に英国のヴィッカース社で竣工した大日本帝国海軍の戦艦である。明治37(1904)年に勃発した日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、東郷平八郎司令長官が乗船。明治38(1905)年5月の日本海海戦において、三笠はロシアのバルチック艦隊を相手に勝利を収め、この戦果により、世界の海軍戦略に大きな影響を与えた。

しかし、明治38(1905)年9月、佐世保港内での火薬庫爆発事故により沈没。その後、明治39(1906)年に浮揚・修理され現役復帰したが、大正12(1923)年のワシントン海軍軍縮条約により廃艦が決定した。

大正15(1926)年からは、横須賀にて記念艦として保存・公開が開始された。第二次世界大戦後の占領期には荒廃が進んだが、昭和36(1961)年に復元工事が完了し、現在の姿となった。平成4(1992)年には、英国から「世界三大記念艦」の一つとして認定され、日本の近代史を象徴する史跡として現存している。


歴史的船渠

船舶を建造または修繕するための構築物である船渠(ドック)。海洋国家としての近代日本の発展を支えてきた船渠だが、産業構造や港湾地域の土地利用の変化などに伴い廃止され解体されるものが多く、その保存には多くの課題がある。

そうような状況下において神奈川県内には、日本最古級の選挙が保存され、その一部は都市機能の中で活用されている。

  1. 旧横浜船渠株式会社第一号船渠


  • 所在地:横浜市西区みなとみらい(日本丸メモリアルパーク)

  • 構造・規模:(構造)石造、煉瓦造及びコンクリート造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約204m / 幅約39m / 深さ約11m

  • 建造年:明治31(1898)年

  • 設計・施工:(設計)恒川柳作(施工)不明

  • 指定・認定:国指定重要文化財・経済産業省近代化産業遺産


旧横浜船渠株式会社第一号船渠は、明治31(1898)年に竣工した日本最古級の石造りドライドックである。横浜港の近代化を支えた横浜船渠(後の三菱重工業横浜造船所)の中核施設として建設された。

設計は、当時の土木工学の権威であった恒川柳作。全長約170メートルに及ぶこのドックは、それまで海外に頼っていた大型船舶の修理を国内で可能にし、日本の造船技術の向上に大きく寄与した。明治31(1898)年の完成から昭和57(1982)年にその役割を終えるまで、80年以上にわたり数多くの艦船のメンテナンスを担い続けた。

昭和58(1983)年に造船所が移転した後は、横浜市が実施する「みなとみらい21地区」の整備計画の一環として保存活用が決定した。昭和60(1985)年からは、先述の帆船日本丸を恒久保存する場所として一般公開されている。

平成12(2000)年には、明治期の土木技術を伝える貴重な近代化遺産として、国の重要文化財(建造物)に指定された。現在は「日本丸メモリアルパーク」の一部として、横浜の港湾史を象徴する歴史的構造物となっている。

  1. 旧横浜船渠株式会社第二号船渠(ドックヤードガーデン) 


  • 所在地:横浜市西区みなとみらい

  • 構造・規模:(構造)石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約204m / 幅約39m / 深さ約11m

  • 建造年:明治30(1897)年

  • 設計・施工:(設計)恒川柳作(施工)不明

  • 指定・認定:国指定重要文化財・経済産業省近代化産業遺産・横浜市認定歴史的建造物


旧横浜船渠株式会社第二号船渠は、明治29(1896)年に竣工した、現存する日本最古級の石造りドライドックである。第一号船渠と同じく、恒川柳作の設計によって建設された。

明治29(1896)年の完成当初は、全長約110メートルの規模を有していた。その後、船舶の大型化に伴い、明治40(1907)年に全長約148メートルへと拡張工事が行われた。この施設は、横浜船渠(後の三菱重工業横浜造船所)における主力ドックの一つとして、昭和48(1973)年にその役割を終えるまで、70年以上にわたり船舶の修理・メンテナンスに従事した。

造船所の移転後は、みなとみらい21地区の再開発計画において保存活用が決定した。平成5(1993)年には、ドックの石組みを活かした商業施設「ドックヤードガーデン」として再生され、市民の憩いの場となった。

平成9(1997)年には、明治期の優れた土木技術を伝える貴重な遺構として、国の重要文化財に指定された。現在も、近代横浜の面影を残す歴史的建造物として、横浜ランドマークタワーの足元にその姿を留めている。



  1. 京浜港ドック


  • 所在地:横浜市神奈川区山内町

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約109m / 幅約35m / 深さ約8.5m

  • 建造年:大正15(1926)年

  • 設計・施工:(設計)恒川柳作(施工)不明

  • 指定・認定:土木学会選奨土木遺産


大正11(1922)年から整備が開始された横浜港第3期拡張工事(山内埠頭、高島埠頭、横浜港外側防波堤、瑞穂埠頭)を実施する上で必要不可欠なケーソンを築造した。ケーソン以外にも鉄筋コンクリート円環構造物やL型ブロックも多く建設され横浜港・川崎港・横須賀港の整備に使用されている。

ドライドック方式は、網走港(大正12年)、むつ小川原港(昭和58年)、鹿島港(昭和41年)と京浜港ドックの4施設しか国内で建設されていない希少性の高い構造物である。京浜港ドックで製作したケーソン函数はドライドック方式で国内最大であり、現在も、研究施設として活躍している稼働遺産である。



  1. 浦賀ドック(住重旧浦賀工場1号ドック)


  • 所在地:横須賀市浦賀

  • 構造・規模:(構造)煉瓦・石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約180.3m / 幅約25.7m / 深さ10.9m

  • 建造年:明治31(1898)年

  • 設計・施工:(設計)杉浦栄次郎(施工)不明

  • 指定・認定:経済産業省近代化産業遺産


住重旧浦賀工場1号ドック(通称:浦賀レンガドック)は、明治32(1899)年に竣工した、レンガ造りのドライドックである。浦賀船渠株式会社によって建設され、世界でも数少ないレンガ積みドックの一つとして知られている。

明治32(1899)年の操業開始から、平成15(2003)年に工場が閉鎖されるまでの100年以上にわたり、計1,000隻以上の艦船の製造や修理に携わった。全長は約136メートル、下部幅約18メートル、深さは約9メートルの規模を有し、フランス積みのレンガ技法が用いられているのが特徴である。

平成19(2007)年には、日本の近代化を支えた造船業の歩みを伝える貴重な遺構として、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された。その後、令和3(2021)年に住友重機械工業株式会社から横須賀市へ寄附され、現在は同市の管理下で保存・公開されている。

同施設は、現在もレンガ造りのドライドックとして日本に唯一現存する極めて稀少な産業遺産であり、横須賀市の歴史的景観を象徴する存在となっている。


  1. 旧石川島造船浦賀分工場船渠(川間ドック)


  • 所在地:横須賀市西浦賀

  • 構造・規模:(構造)煉瓦・石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約36.7m / 幅約16.4m / 深さ9.7m

  • 建造年:明治31(1898)年

  • 設計・施工:(設計)恒川柳作(施工)不明

  • 指定・認定:経済産業省近代化産業遺産


旧石川島造船浦賀分工場船渠(通称:川間ドック)は、明治30(1897)年に起工され、明治31(1898)年に竣工した、日本最古級のレンガ造りドライドックである。渋沢栄一が関与して設立された東京石川島造船所(現・IHI)の分工場として建設された。

構造的には、近隣の浦賀ドック(住重旧浦賀工場1号ドック)と同様、レンガを長手と小口を交互に並べる「フランス積み」の技法が用いられている。明治35(1902)年には、競合関係にあった浦賀船渠株式会社に買収され、同社の分工場となった。その後、昭和59(1984)年に閉鎖されるまで、長年にわたり船舶の修理・点検の場として活用された。

現在は、民間のマリーナ(シティ・マリーナ・ヴェラシス)の敷地内に位置しており、貴重な産業遺産として保存されている。

平成14(2002)年には、日本で2例しか現存しない明治期のレンガ造りドックとしての歴史的価値が認められ、横須賀市の指定重要文化財(建造物)に指定された。日本の近代造船業の発展と、浦賀地区の産業史を物語る重要な構造物である。



  1. 在日米軍横須賀基地第一号ドック(旧横須賀造船所第一号ドック)




  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約137.5m / 幅28.7約m / 深さ9.1m

  • 建造年:明治4(1871)年

  • 設計・施工:(設計)ヴェルニー、L.F.フロラン(施工)橋本長左衛門・蔵田清右衛門

  • 指定・認定:日本遺産


在日米軍横須賀基地内にある第一号ドック(旧横須賀造船所第一号ドック)は、慶応3(1867)年に着工し、明治4(1871)年に竣工した、日本最古の石造り乾ドックである。徳川幕府の勘定奉行・小栗忠順とフランス人技師ヴェルニーによって計画・建設された。

構造には真鶴産の安山岩が使用されており、フランスの造船技術を導入した精巧な石組みが特徴である。明治4(1871)年の完成式典には明治天皇も行幸され、日本の近代化の幕開けを象徴する国家的プロジェクトとして位置づけられた。その後も、帝国海軍の中核を担う横須賀鎮守府の重要施設として、数多くの軍艦の建造や修理に使用された。

昭和20(1945)年の終戦後は、在日米軍の管理下に置かれた。現在も米海軍横須賀艦隊基地(CFAY)の施設として現役で稼働しており、竣工から150年以上が経過した今なお、艦船のメンテナンスに使用され続けている。

平成10(1998)年には、日本の造船発祥の地としての歴史的価値から、国の重要文化財に指定された。米軍基地内にあるため通常は立ち入りが制限されているが、日米親善デーなどの特定行事の際にその姿を間近に見ることができる。



  1. 在日米軍横須賀基地第二号ドック(旧横須賀造船所第二号ドック)


  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約150.1m / 幅約31.8m / 深さ11.4m

  • 建造年:明治17(1884)年

  • 設計・施工:(設計)ジュエット(施工)横須賀造船所

  • 指定・認定:日本遺産


在日米軍横須賀基地内にある第二号ドック(旧横須賀造船所第二号ドック)は、明治14(1881)年に着工し、明治17(1884)年に竣工した石造り乾ドックである。第一号ドックに続き、フランス人技師ヴェルニーの指導のもとで建設された。

構造には第一号ドックと同様に真鶴産の安山岩が使用されており、当時の最新技術が投入された。明治17(1884)年の完成により、第一号ドックを上回る規模の船舶の修理・建造が可能となり、横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)の能力を大きく飛躍させた。

昭和20(1945)年の終戦後は、米国海軍の管理下に置かれた。第一号ドックと同じく、現在も米海軍横須賀艦隊基地(CFAY)の施設として現役で稼働しており、米海軍艦艇のメンテナンス等に継続して使用されている。

米軍基地内に位置するため一般の立ち入りは制限されているが、日本の近代化遺産の中でも極めて保存状態が良く、稼働し続けている稀有な例として評価されている。



  1. 在日米軍横須賀基地第三号ドック(旧横須賀造船所第三号ドック)


  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約96m / 幅18.1約m / 深さ7.5m

  • 建造年:明治7(1874)年

  • 設計・施工:(設計)ヴェルニー、L.F.フロラン(施工)不明

  • 指定・認定:日本遺産

明治3(1870)年に着工し、明治7(1874)年に竣工した石造りドライドックである。フランス人技師ヴェルニーの指導により建設された。第一号・第二号ドックと同様、真鶴産の安山岩を用いた精巧な石組みが特徴である。昭和20(1945)年の終戦後は米海軍の管理下に入り、現在も米海軍横須賀艦隊基地(CFAY)内で現役の修理施設として稼働している。



  1. 在日米軍横須賀基地第四号ドック(旧横須賀海軍工廠第四号ドック)


  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)コンクリート造・石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約240.5m / 幅38.1約m / 深さ13.4m

  • 建造年:明治38(1905)年

  • 設計・施工:(設計)石黒五十二(施工)横須賀造船所

  • 指定・認定:日本遺産


明治31(1898)年に着工し、明治38(1905)年に竣工した。日露戦争期における艦隊整備能力を拡充するために建設された石造りドックである。全長約180メートルを有し、当時の主力戦艦クラスの入渠が可能であった。昭和20(1945)年の終戦以降は米海軍が管理し、現在も現役のドックとして活用されている。



  1. 在日米軍横須賀基地第五号ドック(旧横須賀海軍工廠第五号ドック)

  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)コンクリート造・石造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約323.7m / 幅50.0約m / 深さ15.2m

  • 建造年:大正5(1916)年

  • 設計・施工:(設計)(施工)不明

  • 指定・認定:日本遺産


大正5(1916)年に竣工した、コンクリート造のドライドックである。艦船の大型化に対応するため、従来の石造りから近代的なコンクリート構造へと移行した時期の施設である。昭和20(1945)年の終戦後は米海軍の管理下となり、現在も大型艦艇の維持管理に使用されている。



  1. 在日米軍横須賀基地第六号ドック(旧横須賀海軍工廠第六号ドック)


  • 所在地:横須賀市泊町

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造乾船渠(ドライドッグ) (規模)全長約365.8m / 幅67.5約m / 深さ17.0m

  • 建造年:昭和15(1940)年

  • 設計・施工:(設計) 海軍省建築局・吉田直(施工)不明

  • 指定・認定:日本遺産


昭和15(1940)年に竣工した、巨大なコンクリート造乾ドックである。戦艦「大和型」の建造や修理を想定して建設された。全長約330メートルを超える規模を誇り、空母「信濃」の建造が行われた歴史を持つ。昭和20(1945)年以降は米海軍の管理下に置かれ、現在は米海軍の航空母艦が入渠可能な極めて重要な拠点として運用され続けている。


歴史的灯台

灯台は、船舶交通の安全を支える重要なインフラ施設であるばかりでなく、我が国の近代史を知る上で重要な文化遺産である。神奈川・横浜は明治期のお雇い外国人技師であるJ.H.ブラントンが来日後の明治2(1869)年に灯台事業を担う役所として「燈明台局」を、更に、明治7(1874)年には「燈明番(いわゆる灯台守)」の教育及び建設する灯台の試験調整を行うための「洋式試験灯台」を設置した、いわば灯台発祥の地であると言える。

近年、光波灯台から電波灯台へ切り替えが進められ、その役割を終え廃止・撤去されることもある中、補助信号へと切り替えることなどによって保存するなどの取組も見られた。

最近では、これら灯台を観光スポット的にめぐるのを趣味とする女性、いわゆる「灯台女子」も増え、さらに灯台の保存や活用に注目が集まっている。


  1. 観音崎灯台


  • 所在地:横須賀市鴨居

  • 構造・規模:鉄筋コンクリート造(灯塔)白色八角筒形・塔頂高19 m (附属舎)平屋建

  • 建造年:大正14(1925)年

  • 設計・施工:(設計・施工)逓信省航路標識管理所

  • 指定・認定:


観音崎灯台は、明治2(1869)年に日本初の洋式灯台として起工・点灯した。江戸条約(改税条約)に基づき建設を約束された8基の「条約灯台」の中で、最も早く完成した灯台である。横須賀造船所の首長ヴェルニーらが設計を指導した。

初代はレンガ造りであったが、大正11(1922)年の地震で倒壊。翌大正12(1923)年に再建された二代目も同年の関東大震災によりわずか半年で崩壊し、現在の三代目は大正14(1925)年にコンクリート造の八角形塔型として完成したものである。

現在は「日本の灯台50選」に選ばれている。



  1. 湘南港灯台


  • 所在地:藤沢市江ノ島

  • 構造・規模:鉄造・白色円筒形・塔頂高18 m

  • 建造年:昭和39(1964)年

  • 設計・施工:(設計)(施工)

  • 指定・認定:


湘南港灯台は、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックのセーリング競技会場の整備に伴い、同年9月22日に初点灯された。江の島ヨットハーバーがある湘南港防波堤先端に設置されている。

本灯台は、海上保安庁が「地域の人々に親しまれるよう、その土地のシンボルとしての形状を取り入れた」と定義するデザイン灯台の一つである。平成6(1994)年改築。

構造はコンクリート造で、高さは地上から構造物頂部まで約18メートル。夜間は等明暗緑光(明3秒・暗3秒)を放ち、入港する船舶の標識として機能している。令和3(2021)年の東京2020オリンピックにおいても、セーリング競技会場のランドマークとなった。



  1. 旧横浜外防波堤北灯台及び南灯台

旧横浜外防波堤北灯台


  • 所在地:横浜市鶴見区大黒ふ頭地先

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造・赤色・円筒形(規模)外径3.6m・塔頂高24.0m(付属舎)2階建

  • 建造年:昭和10(1935)年

  • 設計・施工:(設計)逓信省灯台局(施工)内務省横浜土木出張所

  • 指定・認定:横浜市認定歴史的建造物


旧横浜外防波堤南灯台


  • 所在地:横浜市中区本牧ふ頭地先

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造白色・円筒形(規模)外径3.6m・塔頂高24.0m(付属舎)2階建

  • 建造年:昭和10(1935)年

  • 設計・施工:(設計)逓信省灯台局(施工)内務省横浜土木出張所

  • 指定・認定:横浜市認定歴史的建造物


横浜港の第3期拡張工事の一環として整備され、昭和10(1935)年4月10日に初点灯した。横浜ベイブリッジの2本の主塔に寄り添うように海上に立ち、外海から入港する船舶に向かって右側の北灯台が「赤色」、左側の南灯台が「白色」となっている。

本灯台は、周囲の外防波堤の大部分が本牧・大黒の両ふ頭に組み込まれた中で、建造当初の位置に当時の姿のまま残されている極めて貴重な遺産である。デザイン面では、丸・三角・四角を組み合わせたアールデコ風の装飾が特徴的であり、外壁にはモザイクタイルが施されるなど、きめ細やかな造形美を誇る。

長らく航路標識として運用されてきたが、平成31(2019)年3月20日に光波標識として廃止された。しかし、横浜港を代表する歴史的シンボルとして、また市民に親しまれてきた景観的価値を継承するため、同年3月25日付で横浜市が取得し、現在は横浜市認定歴史的建造物として保全・活用されている。

特に白色の南灯台は、昭和56(1981)年に制定された「横浜港のシンボルマーク」のモチーフにも採用されており、名実ともに横浜港のアイデンティティを支える存在となっている。



  1. 横浜北水堤灯台


  • 所在地:横浜市(横浜港)

  • 構造・規模:(構造)鉄造・赤色・六角形(規模)塔頂高11.5 m

  • 建造年:明治29(1896)年

  • 設計・施工:(設計)H.S.パーマー(施工)

  • 指定・認定:


横浜北水堤灯台は、神奈川県横浜市の横浜港北水堤先端に立つ赤色の防波堤灯台である。明治29年(1896年)に初点灯し、日本の防波堤灯台の草分けとして建設された。点灯当初は石油灯を用い、その後ガス灯や電灯を経て現在はLED灯となっている。高さ約15メートルで光達距離は約4海里に及ぶ。白色の横浜東水堤灯台と対をなし、港の入口を示す重要な航路標識として今日までその役割を果たしている。


明治後期の横浜北水堤灯台(画像出典:横濱今昔写真)
明治後期の横浜北水堤灯台(画像出典:横濱今昔写真)

  1. 旧横浜東水堤灯台


  • 所在地:横浜市中区山下町山下公園地先

  • 構造・規模:(構造)鉄造・白色・六角形(規模)塔頂高11.5 m

  • 建造年:明治29(1896)年

  • 設計・施工:(設計)H.S.パーマー(施工)


旧横浜東水堤灯台は、神奈川県横浜市中区に所在する白色の防波堤灯台である。明治29(1896)年に建設され、赤色の横浜北水堤灯台と対をなして横浜港の入口を示した。防波堤の改修に伴い昭和38(1963)年に役目を終え、山下公園の桟橋先端へ移設された。現在は現役を退き、明治期港湾建築の遺構として保存され、近代港湾発展の象徴として市民に親しまれている。



  1. 横浜マリンタワー(旧横浜展望台燈台)


  • 所在地:横浜市中区山下町

  • 構造・規模:(塔体部)鉄骨造33階建鉄造・塔頂高106 m(低層部)鉄骨鉄筋コンクリート造4階建

  • 建造年:昭和36(1961)年

  • 設計・施工:(設計・施工)清水建設

  • その他:平成20(2008)年9月1日灯台廃止


横浜マリンタワーは、神奈川県横浜市中区山下町に所在する高さ106メートルの塔であり、昭和36(1961)年に建設された灯台併設の展望塔である。海上保安庁により正式な灯台として登録され、光度43万カンデラの光を約33キロメートル先まで照射した世界一高い灯台であった。平成20(2008)年に灯台機能を廃止したが、横浜港の発展とともに歩んだ都市型灯台として貴重な遺構である。



  1. 城ヶ島灯台


  • 所在地:三浦市三崎町城ヶ島

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造・白色円筒形・頂部高9.1 m

  • 建造年:大正15(1926)年

  • 設計・施工:(設計)逓信省航路標識管理所

  • 指定・認定:


城ヶ島灯台は、神奈川県三浦市の城ヶ島西端に位置する白色の灯台である。初代灯台は明治3(1870)年に英国人技師ヴェルニーの設計で建設された日本最初期の洋式灯台の一つであった。関東大震災で倒壊したため、現在の灯台は大正15(1926)年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。



  1. 剱埼灯台


  • 所在地:三浦市南下浦町松輪

  • 構造・規模:鉄筋コンクリート造(灯塔)白色八角塔形・頂部高16.9m (付属舎)平屋建

  • 建造年:大正14(1925)年

  • 設計・施工:(設計・施工)逓信省航路標識管理所

  • 指定・認定:


劔崎灯台は、神奈川県三浦市南端の劔崎に位置する白色の洋式灯台である。明治4(1871)年に英国人技師ヴェルニーの設計により建設され、日本で6番目に点灯した近代灯台である。相模湾の東端に立ち、東京湾と相模湾を結ぶ航路を照らす重要な位置にある。大正12(1925)年の関東大震災で損壊後、昭和2(1927)年に鉄筋コンクリート造で再建された。現在も現役灯台として航海の安全を守り続けている。



歴史的水門(閘門)


大正から昭和初期にかけ、運河網が整備された背景には、都市を洪水から守る排水機能と、物流の要である船舶の航行維持という二つの目的があった。幾度かの港の拡張や機能移転を乗り越え保存されている水門を紹介する。


  1. 新山下旧貯木場閘門

  • 所在地:横浜市中区新山下

  • 構造・規模:(構造)鋼トラス塔・ストーニーゲート鋼引上戸(規模)塔高13m・閘幅7.5m・5馬力電動巻上機

  • 建造年:昭和8(1933)年

  • 設計・施工:

  • 指定・認定:


新山下貯木場は、大正12 (1923)年の関東大震災後、急増した輸入木材の港内公有水面氾濫繋留を解消する施設として、昭和8年12月にこの地に完成した。海側の「筏溜(いかだだまり)」と堀に囲まれた水面に木材を保管する「保管掘」を水路(閘室)で結ぶ構造で、その保管掘の水位を一定に保つ為に水路の両端に設けられたのがこの閘門である。

横浜港では戦後の昭和40年代に輸入木材量が最盛期を迎えたが、新山下貯木場は常時満庫状態となり貯木場として充分な機能を果せなくなっていたため、昭和49(1975)年4月、横浜市金沢区に埠頭施設、貯木施設、木材センタ ーを包含した金沢木材専用港を建設し、貯木場機能が移転された。新山下貯木場はその後貯木場としての役割を終え、平成10年(1998)には保管掘部分が埋立られ、対となっていたゲートのうち海側のゲートのみが保存されている。



  1. 川崎河港水門

  • 所在地:川崎市川崎区港町

  • 構造・規模:(構造)鉄筋コンクリート造(鉄筋煉瓦基壇)塔、・ストーニーゲート鋼引上戸(規模)塔高20.3m・幅10.0m

  • 建造年:昭和8(1933)年

  • 設計・施工:(設計)金森誠之(内務省多摩川改修事務所長)

  • 指定・認定:国登録有形文化財・経済産業省近代化産業遺産


川崎河港水門は、大正15(1926)年11月に着工、1年半後の昭和3(1928)年3月に完成した。当初は不足していた工場用地の拡大を図るための運河計画として開始されたが、計画地内に工場等が建てられたり、戦時体制に入ったこともあり、水門と小さな船だまりだけが残された。工事費54万円、設計者は当時の多摩川改修事務所長であった内務省土木技師の金森誠之。

この水門は、2つの塔と、それをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されており、渦巻き模様と飾り窓のついた塔の上には、当時の川崎の名産品であった梨・桃・葡萄をモチーフとした彫刻が配されている。塔の側面には川崎市の市章を巧みにあしらうなど、非常にユニークかつ優れた意匠を特徴としている。なお、令和元年東日本台風での浸水対策を機に、水門としての役割を終えている。



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