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[開港5都市]開港5都市景観まちづくり会議2026長崎大会 - 13 まちあるき分科会6「江戸時代のまちづくり-朱印地と町人文化の足跡(北巡り)」【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】

18 時間前
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参加者の集合写真(諏訪神社)
参加者の集合写真(諏訪神社)

令和8(2026)年11月1日(日)、「開港5都市景観まちづくり会議2026長崎大会」2日目の午後は、午前中のテーマ分科会に続く「まちあるき分科会」 として7つのエクスカーションに分かれて見学と意見交換を行われた。

それぞれ、分科会1は「『宣教師の丘』東山手を巡る旅」、分科会2は「過去と未来が石畳に響く『学園の丘』東山手ツアー」、分科会3は「新旧建物探訪」、分科会4は 「港まちが経験したパンデミックや被災経験を活かしたまちを歩く」、分科会5は「 平成初期から続く『斜面市街地再生』と『唐人屋敷顕在化』のいま」、分科会6は「江戸時代のまちづくり-朱印地と町人文化の足跡(北巡り)」、分科会8は「 『岬のエリア』の歴史資産とまちづくり」をテーマとしており、[THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA]は各分科会に参加した。

※分科会7は都合により中止となった。


分科会6のテーマは「朱印地」。朱印地とは江戸時代に幕府より承認された領地のことで長崎のまちを囲むように建立された。分科会6では、勝海舟・お久が暮らした本蓮寺、長崎東照宮、安禅寺跡、氏神様、諏訪社まで歩き、長崎のまちづくりの礎を学ぶことを目的としている。分科会の運営は長崎町人町プロジェクト。参加者には横浜・函館、地元長崎の一般参加者も加わった。集合場所の長崎市役所前広場からタクシーに分乗し、本蓮寺まで移動。長崎町人町プロジェクトの岩崎直哉氏と兒島正数氏の案内と解説でまち歩きが始まった。


(右)岩崎直哉氏(左)兒島正数氏(長崎町人町プロジェクト)
(右)岩崎直哉氏(左)兒島正数氏(長崎町人町プロジェクト)
本蓮寺

元和6(1620)年、大村本経寺住職日恵により開かれた日蓮宗の寺院。この地には、日本で最初のハンセン病の病院「サンラザロ病院」と「サンジョアン・バウチスタ教会」があったが、キリシタン禁止令により破壊され、その跡地に本蓮寺が建立された。

また、幕末には、長崎海軍伝習所に入門した勝海舟が、本蓮寺境内の塔頭・太乗院(宿坊)に安政2(1855)年から4年間身を寄せ、長崎の女性・梶くまとの間に一男一女をもうけた。


本蓮寺
本蓮寺

岩崎氏「長崎市の市街地は、湾へ向かって伸びる三つの尾根と、その間の谷筋や入江を埋め立てることで形成されてきた。地形はアルファベットの「W」の字にたとえられ、その独特の起伏が長崎の歴史とまちづくりを規定している。この地形を理解することは、長崎の朱印地の成り立ちを知るうえでも重要である。

朱印地とは、江戸時代に幕府が寺社へ与えた朱印状によって認められた土地であり、長崎には六か所の朱印地が置かれた。これらはいずれも幕府公認の寺社であり、防衛や統治、信仰の面で重要な場所に配置されていた。今回のまち歩きでは、本来は北と南の朱印地を巡る予定であったが、諸事情により北側の朱印地を中心に見学することとなった。」


 本蓮寺
 本蓮寺

兒島氏「長崎はよく日本の「和」、中華の「華」、オランダの「蘭」をあわせて「和華蘭(わからん)文化」と言われるように、いろいろな国や地方の文化が混ざっている。本蓮寺は日蓮宗の寺院であり、その成立の背景には、長崎のキリスト教布教と徳川幕府による統制の歴史が深く関わっている。もともと長崎は大村領であったが、大村純忠は南蛮貿易による利益を求めてキリスト教に改宗し、長崎の町をイエズス会に寄進した。このため長崎は一時、外国勢力の影響が強い土地となった。しかし豊臣秀吉のバテレン追放令、さらに徳川幕府による禁教政策のもとで、長崎を再び日本の統治下に確実に置く必要が生じた。その中核となったのが寺院の建立である。

本蓮寺を開いたのは、大村家ゆかりの日蓮宗僧・日経である。大村喜前が加藤清正との縁から日蓮宗に改宗したことを背景に、日経は長崎へ派遣された。創建当初は危険も多く、十人の僧を伴い、武装まで許されていたと伝えられる。本蓮寺の寺名は「南無妙法蓮華経」の一字をとったもの。」


本蓮寺山門跡の礎石
本蓮寺山門跡の礎石

かつて広大な敷地を誇ったこの寺は、晧台寺、大音寺と共に長崎三大寺といわれていたが、昭和20(1945)年の長崎原爆で焼失。現在の本堂は1955年に再建されたもの。二天門も原爆による爆風と火災で焼失。現在は大きな花崗岩の礎石のみが残り、当時構えられていた巨大な山門の面影を今に伝えている。


墓所内に祀られている「土神様」
墓所内に祀られている「土神様」

長崎独自の広々とした「拝所」や土地神を祀る「土神様」の風習は、中国由来の風水思想や琉球・東南アジアとの交流史が複合的に混ざり合った文化遺産である。お盆に家族が集い爆竹や飲食で賑やかに先祖を迎える独特の墓地景観は、多国籍な歴史を宿す長崎ならではの風景である。


聖無動寺(階段下で解説)

正保元(1644)年利生音が利正を創速、万治元(1658)年聖無動時と改称した。当時は、江戸時代、オランダ船の航海安全等、出島乙名や阿蘭陀通詞等に海上安全・家運繁盛の守札を配付し、江戸参府の際には、海陸祈安の守札を贈っていた。また、江戸時代中期の頃には、出島の火災時のオランダ人の避難場所に定められていた。昭和49 (1974)年に放映された大河ドラマ「勝海舟」(演・渡哲也が途中降板し松方弘樹)をきっかけに発見された梶くま(演・大原麗子)の墓がある。


聖無動寺・階段下
聖無動寺・階段下
福済寺(門前で解説)

元治元(1864)年、坂本龍馬が勝麟太郎(海舟)と同行して来崎した際、この福済寺に宿泊しました。時、幕府の軍艦奉行並だった勝は、外国艦隊の下関攻撃を阻止するため長崎に出張し、2月23日から4月4日まで約1ケ月あまり長崎に滞在。長崎では、大浦の外国領事館や長崎製鉄所・長崎養生所などを訪れている。長崎で龍馬は勝と相撲をとり、大男の龍馬と小柄な勝が組み合った様子は、「まるで鶴にタカがちょっととまったようだった」と言われたそうだ。


福済寺・門前
福済寺・門前

兒島氏「奥に見える観音像は、原爆の犠牲者などの慰霊のために建立された。地球の自転を示すフーコーの振り子が安置されている。」


福済寺・万国霊廟長崎観音
福済寺・万国霊廟長崎観音
セントヒル長崎

宿泊施設「セントヒル長崎」の1階ロビーには、長崎くんちで実際に使われる「龍踊(じゃおどり)」の本物の龍(じゃ)が展示・保管されている。

龍踊りは中国で農耕のための雨乞い儀式として始まり、唐人屋敷を通じて長崎に伝わり、享保年間(1716年〜)頃に、諏訪神社の「長崎くんち」の奉納踊として取り入れられ、現在まで300年以上にわたり継承されている。

「セントヒル長崎」がある「筑後町(ちくごまち)」は、長崎くんちで龍踊を奉納する踊町のひとつ。昭和48年(1973年)から龍踊を奉納しており、令和8(2026)年には10年ぶり8回目の奉納となった。筑後町の龍踊は他の踊町とは異なり、3頭の龍が繰り広げる「巴踊り(ともえおどり)」が最大の魅力・見せ場となっている。


龍踊の龍(セントヒル長崎)
龍踊の龍(セントヒル長崎)
聖福寺

日本に黄檗宗(おうばくしゅう)を伝えた隠元禅師の孫弟子、鉄心道胖禅師により創建された聖福寺。大雄宝殿・天王殿・鐘楼・山門が国指定重要文化財に、石門・梵鐘・惜字亭(せきじてい)・黄檗三禅師次韻(おうばくさんぜんじじいん)が長崎市指定有形文化財に指定されている。「鉄心の大鐘」として親しまれている梵鐘は長崎最大で、戦時中の金属回収を免れ現在まで残っている。映画『解夏』(2004)のロケ地にもなった境内には、他にも数多くの見どころがあるが、現在、大雄宝殿、天王殿、鐘楼、山門の4棟は大規模修復工事中。改修工事費に充当するための寄付を募っている。

聖福寺方丈は、幕末に紀州藩と坂本龍馬率いる土佐藩(海援隊)との「いろは丸事件」の会談が行われた場所と言われており、令和2(2020)年に有志により「坂本龍馬像」が寄贈された。


聖福寺山門(国指定重要文化財)
聖福寺山門(国指定重要文化財)

兒島氏「3つの黄檗宗の寺院(興福寺・福済寺・崇福寺)を長崎三福寺と呼ぶが、聖福寺を加えて長崎四福寺とも呼ばれている。」


聖福寺惜字亭(長崎市指定有形文化財)
聖福寺惜字亭(長崎市指定有形文化財)

兒島氏「惜字亭は不要な書物を焼却した炉で、市の文化財に指定されている。壁面には幕末に日本が初めて製造法を学んで作ったとされる初期の『こんにゃくレンガ』が残る。かつて存在した門などは撤去されており、現在もこの煉瓦が残る極めて貴重な遺構である。」


聖福寺・坂本龍馬像
聖福寺・坂本龍馬像
長崎県防空本部跡(立山防空壕)

長崎県防空本部は、太平洋戦争中に県の防空施策の中心的役割を担った地下防空壕である。壕内には知事室や防空監視隊本部などが配置され、応急対応の指揮が執られた。昭和20(1945)年の原爆投下時には、ここから国へ凄惨な被爆情報を打電するとともに、市外・県外へ迅速な救援指令を発した。被爆の実相と平和の尊さを後世へ継承するため、耐震・安全補強工事を経て、平成17(2005)年11月より一般公開されている。


長崎県防空本部跡 外観
長崎県防空本部跡 外観
長崎県防空本部跡 内部
長崎県防空本部跡 内部
長崎公園・安禅寺跡

長崎公園は、明治6(1873)年の太政官布告に基づき開設された、日本で最も古い都市公園の一つである。その地はかつて、キリシタン大名の大村純忠によって寄進されたキリスト教の「大教会が建っていた場所であり、禁教令後はその跡地に第二の朱印地として安禅寺が創建された場所。明治期の公園開設後は、日本最古級の民営動物園とされる動物広場が併設され、長年にわたり市民の憩いの場として愛されてきた。


長崎公園・安禅寺石門
長崎公園・安禅寺石門
長崎公園・明治11(1878)年頃に造られた日本最古の装飾噴水
長崎公園・明治11(1878)年頃に造られた日本最古の装飾噴水
長崎甚左衛門純景の銅像

純景は戦国時代の長崎領主であり、元亀2(1571)年にポルトガル船の入港に伴い長崎港を開港した人物として知られる。甲冑を身に纏い凛々しく立つ武者姿の像は、中世の港町形成から現代の国際都市・長崎へと至る歴史の原点を今に伝え、地域ゆかりの開港の祖としての功績を顕彰している。


長崎甚左衛門純景の銅像
長崎甚左衛門純景の銅像
長崎東照宮

江戸初頭の寛永4(1627)年、長崎奉行の提案により徳川家康を祀る東照宮が創建された。その後、明暦2(1656)年に別当寺として大権現を奉祀する「神宮寺安禅寺」が建立され、格式高い官寺として栄えた。


長崎東照宮
長崎東照宮

兒島氏「天海僧正は徳川家康の崇敬を受け、家康に「東照大権現」の神号を授けた天台宗の僧である。天海は後に江戸に上野寛永寺を建立した。安禅寺は寛永寺の末寺として創建されたため、比叡山延暦寺を本山とする天台宗の系譜を引く寺院であった。明治維新期の廃仏毀釈によって寺院そのものは廃絶し、跡地は現在の長崎公園となっているが、徳川家の菩提寺として境内上部に祀られていた東照宮は、神社であったことから破壊を免れ、その権威と歴史を今に伝えている。」


願掛け狛犬

拝殿裏に置かれ、狛犬を廻して心願を祈願する狛犬。


願掛け狛犬
願掛け狛犬

兒島氏「遊女たちが客が出航できずにもう一泊するように「雨降れ、嵐来い」と願いながら回したと言われている。」


諏訪神社

長崎諏訪神社は、「お諏訪さん」と親しまれる長崎の総鎮守である。寛永2(1625)年、諏訪・住吉・森崎の三社を、修験者・青木賢清が諏訪神社跡に再興したことに遡る。

当時、長崎を直轄地とした江戸幕府は、キリシタン信仰を弾圧・禁絶するとともに、領民を仏教や神道へ改宗させて思想的統治を固めるキリシタン政策を推進した。その象徴として寛永9(1632)年、市街地と長崎港を一望する山手へ社殿が移転・造営された。

寛永11(1634)年に始まった秋の大祭「長崎くんち」も、キリシタンを排し神道の氏子であることを証明する踏み絵的役割を背景に発展した歴史を持つ。長石段の上から街を見下ろす景観は、キリシタンの町から和の伝統都市への再編を物語る重要な歴史遺産である。


諏訪神社
諏訪神社

兒島氏「明治政府が定めた近代社格制度は、神社を九つの段階に序列化した。最高位は皇室ゆかりの神を祀り中央から幣帛を受ける官幣大社で、以下、国幣大社、官幣中社、地方の有力社が並ぶ国幣中社、官幣小社、国幣小社、偉人を祀る別格官幣社と官社が続いた。その下に民社である府県社、そして最下位に地域に根ざした村社が位置した。長崎の諏訪神社は当初の県社から段階的に昇格を重ね、大正期には第四段階にあたる国幣中社に列せられ、高い格式を誇った。」


諏訪神社・拝殿
諏訪神社・拝殿
諏訪神社休憩室(意見交換)

諏訪神社休憩室で意見交換
諏訪神社休憩室で意見交換

横浜からの参加者「普段から歴史的建造物の保全活用に関する取材や発信を行っているが、長崎を訪れると東山手の西洋館や港エリアに目が向きがちであった。これまで深く知る機会の少なかった寺町の寺社文化に触れることができ、大変貴重な機会となった。」


函館からの参加者「長崎は日本・西洋(オランダ)・中国の異文化が高度に融合しており、その歴史や宗教、文化構造を紐解く面白さと難しさを実感した。神社仏閣、西洋の領事館等、そして伝統的なアイヌ文化という3つの構造で比較的整理しやすい北海道の図式では捉えきれない、長崎ならではの複雑で深みのある歴史的背景がある。特に江戸時代の黄檗宗寺院などの存在には感銘を受けた。本分科会への参加を通じ、自身の地域文化を捉え直す上で非常に大きな知見と課題を得ることができた。」


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