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[レポート]横浜山手西洋館 世界のクリスマス2019

今年で20回目を迎える横浜山手西洋館年末の恒例イベント「世界のクリスマス」の様子をレポートする。


山手111番館[カナダ]


みなとみらい線元町・中華街駅からアメリカ山公園のエレベーターを使い、山手本通りを経て港の見える丘公園に突き当たり、そこから右に折れてワシン坂通りを進む。しばらく横浜市イギリス館の塀が続くが、噴水のあるバス転回広場の先に山手111番館がある。




今年の山手111番館のクリスマスは「カナダ」。多民族国家のカナダはクリスマスの過ごし方も多様だが、その中でも自然豊かな北方の地、ニューファンドランドの家庭でのクリスマスを紹介している。冬の凍てつく外の世界と対照的なハートウォーミングなツリーの飾り付け、食卓が来場者を楽しませる。今回の世界のクリスマスでは20回を記念してスタンプラリーを実施している。スタンプカードとゴール記念品の配布は山手111番館とブラフ18番館となっているので、まずはどちらかに立ち寄ることを勧めたい。



山手111番館は、横浜市イギリス館の南側にあるスパニッシュスタイルの西洋館。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。 玄関前の3連アーチが同じ意匠となっているが、山手111番館は天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与える。

大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残しているが、山手111番館は彼の代表作の一つと言える。赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造り。創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していた。


横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開している。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配置し、設計者モーガンに関する展示等も行っている。現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶室として利用されている。市指定文化財。



横浜市イギリス館[英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)]


山手111番館からワシン坂通りを山手本通りに向けて少し戻ると横浜市イギリス館に入る車廻しが見えてくる。そこを覗くとみあるのが横浜市イギリス館だ。

今年も横浜市イギリス館のクリスマスは「英国」。初参加となった平成13(2001)年の第2回から19年連続で「英国」を担当している。英国総領事公邸であったこの建物の由来を思えば当然かもしれない。



重厚な扉を開けて中に入ると、たくさんのリースが迎えてくれる。

休憩室、リビング、模型室、二つのテラスごとに「家、家族」のテーマ、メインカラー、コンセプトが決められ装飾されている。エリアごとのコンセプトを感じ取りながら楽しんでいただきたい。


横浜市イギリス館は、昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在地に建てた。鉄筋コンクリート2階建、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていた。 主屋の1階の南側には、西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながっている。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓からは庭や港の眺望が楽しめる。地下にはワインセラーもあり、東側の付属屋は使用人の住居として使用されていた。

玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。 昭和44(1969)年に横浜市が取得し、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用されている。また、平成14(2002)年からは、2階の展示室と復元された寝室を一般公開している。市指定文化財。


(寄り道)一年中クリスマスのお店「クリスマストイズ」


港の見える丘公園から山手本通りを西に進み山手十番館・山手資料館を過ぎた角にある看板に導かれて進むと通りの奥にクリスマストイズがある。

クリスマストイズは隣の横浜ブリキのおもちゃ博物館館長でもある北原照久氏が、1986年9月にオープンさせた店。季節を問わず一年中多様なクリスマスの商品が手に入る。



クリスマストイズの建物は、外国人宣教師の住まいをブリキのおもちゃ博物館・ガレージとともに改装したとのこと。

店内には、クリスマスカード、オーナメント、スノードーム、ぬいぐるみなど、多種多様な商品が所狭しと並べられており、見ているだけでも十分に楽しい。



また、他のお客様に迷惑をかけなければ、店内の商品の撮影もSNSへのアップもOKとのこと。手頃な金額の商品も数多く揃っているので、世界のクリスマス見学ついでに立ち寄ってはいかがだろうか。



山手234番館[ポーランド共和国]


クリスマストイズから山手本通りに戻り、さらに西に進むと山手三塔の一つ山手聖公会の隣に、列柱が並ぶ正面のテラスが目を引く山手234番館がある。

対面にはエリスマン邸があるが、今年は改修中のため、世界のクリスマスには参加していない。

今年の山手234番館のクリスマスは「ポーランド共和国」。ポーランドのクリスマスは家族で過ごすのが特徴。1か月ほど前から食材を買い始め、プレゼントの準備も始まる。クリスマスイヴには家族で食卓を囲み、12種類の伝統的な料理を楽しむ。伝統的な料理には肉料理が含まれず、その代わりに魚、特に鯉を使った料理が見られる。食卓には家族分のプレートと、もし、その温かい食卓を求めて訪ねてきた人にも分かち合えるように、1つ多くプレートを用意する伝統もあるとのことである。



ここでは、日本でも人気の高いボレスワヴィエツ陶器(ポーリッシュポタリー)による豪華なテーブル装飾に注目いただきたい。職人による手作業でいろいろな模様をスタンプで絵付けをする美しい色のこの食器はポーランドでも来客用に使われることが多いとのこと。



山手234番館の2階では、ポーランドの歴史や文化、日本との交流に関するパネル展示のほか、今年で20回目を迎える世界のクリスマスを振り返る展示「20回の思い出パネル展(

2019年12月1日(日)〜25日(水))」も行われている。

世界のクリスマスは平成12(2000) 年、外交官の家、ブラフ18番館、エリスマン邸、山手234番館、山手111番館の5館でスタートした。平成13(2001)年に横浜市イギリス館、平成14(2002)年にベーリック・ホール、平成17(2005)年に旧山手68番館が加わり、現在の8館体制となった。これまでに各国に大使館や政府観光局の協力を得ながら、計43か国のクリスマスを紹介してきたことなどを振り返ることができる。第1回では約3万6千人であった入館者数は、昨年(平成30(2018)年)は約25万3千人を数えるほどのイベントとなり、横浜山手の風物詩ともなっている。


昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられた。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ、朝香吉蔵。 建設当時は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成であった。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられていた。また、洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえる。 第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開。1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてパネルを展示、2階は貸しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用されている。横浜市認定歴史的建造物。


ベーリック・ホール[フランス共和国]


山手234番館を出て、山手本通りを少し西に進むと右手に大きな敷地の西洋館が見える。ベーリック・ホールである。

今年のベーリック・ホールのクリスマスは「フランス共和国」。フランスのクリスマスは、家族が集う一大イベント。部屋をデコレーションして、自宅で家族の時間を楽しむ。12月に入るとマルシェ・ド・ノエル(クリスマス・マーケット)が街中で開催され、クリスマスムードでいっぱいになる。



テーブルコーディネートのコンセプトは「花と花器と水のハーモニー」。花を最も美しく魅せるたために、物語を語らせるように空間を創りあげている。キラキラと輝く宝石箱イメージした装飾を楽しんで欲しい。



イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈された。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。 現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されている。内部も、広いリビングルームやパームルーム、アルコーブや化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物である。 平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受けた。復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開している。横浜市認定歴史的建造物。




旧山手68番館[パプアニューギニア独立国]


ベーリック・ホールを出て、山手本通りをさらに西に進むと山手聖公会と同様、山手三塔の一つ山手カトリック教会が見えてくる。その先の横断歩道がある角を左に曲がり、ブラフ積が連なる道を進むと山手公園に突き当たる。明治2(1870)年に、横浜居留外国人の手によってつくられた、国内初の洋式公園である。平成16(2004)年に、国の名勝に指定、平成21(2009)年には、近代化産業遺産に認定されている。

その山手公園のテニスコートの先に見えるのが旧山手68番館である。



今年の旧山手68番館のクリスマスは「パプアニューギニア独立国」。南太平洋に位置するパプアニューギニアは暑いクリスマスを迎える。まさに南の国のクリスマスである。教会、店はクリスマス装飾がなされ、街にはクリスマスソングが流れ、各家庭ではささやかで素朴なクリスマスパーティーな行われるという。

クリスマスの様子を再現した装飾を見てみると、クリスマスツリーに南国の花が飾られていたり、屋外でのパーティを思わせる展示など南国ならではの特徴的な様子が伺える。



旧山手68番館は、昭和9(1934)年に建てられた外国人向けの賃貸住宅で、昭和61(1986)年に山手公園にその一部を移築したもの。現在は、山手公園管理センターとして利用されている。横浜市登録歴史的建造物。



外交官の家[アメリカ合衆国]


山手公園から山手本通りに戻り、さらに西に進み、案内標識に沿って右に曲がると山手イタリア山庭園に辿り着く。ここは、明治13(1880)年から明治19(1886)年まで、イタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれている。イタリアで多く見られる庭園様式を模し、水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園で、整形花壇では四季折々の花、植栽を見ることがでる。また、テラスからは横浜ベイブリッジやみなとみらい21を一望することができ、写真や絵画のモチーフとして人々に親しまれている。

山手イタリア山庭園には、外交官の家とブラフ18番館があるが、まずは外交官の家に向かう。



今年の外交官の家のクリスマスは「アメリカ合衆国」。アメリカでのクリスマスは一年で一番大切なファミリーイベントである。たとえ遠く離れて暮らしていても、クリスマスには家族や親戚が一同に集まる。常緑樹のクリスマスツリー、色とりどりのライトやキャンディーケイン、ジャッキークッキー、サンタクロースのオーナメント等で飾り付け、食卓にはローストターキー、ローストポークハムなどにクランベリーソースと野菜をたっぷり。ホリデーシーズンに家族を想いながら揃えたプレゼントを交換し、あたたかな時を過ごす。



広大なアメリカのクリスマスをテーマとするにあたり、オレゴン州ポートランドに注目した装飾が試みられている。

オレゴン州はクリスマスのシンボルであるモミの木の産地である。またポートランドは100年以上前からローズフェスティバルが行われているバラの町としても知られている。

ウェストヒルにあるピトック邸は外交官の家と同時期に建てられた洋館でポートランドの歴史を垣間見ることができるという。装飾の中に、オレゴンのモミ、ポートランドのクラフトビール、オレゴンワイン、ハーブティーなどオレゴンにちなんだものがふんだんに使われているので注目していただきたい。



外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナー。 建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残している。1階は食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。

これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動アーツ・アンド・クラフツのアメリカにおける影響も見られる。 横浜市は、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの建物部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原し、一般公開した。同年、国の重要文化財に指定された。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを体験できるようになっている。各展示室には、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示している。また、付属棟には、喫茶室が設けられている。


ブラフ18番館[オーストリア共和国]


外交官の家を出て、庭園にまわり階段の上に立つと一段下の敷地にブラフ18番館が見える。

今年はのブラフ18番館のクリスマスは「オーストリア共和国」。オーストリアのクリスマスはクリスマスマーケットが各地で開かれ、賑やかで楽しい。街の中心に4本のキャンドルのついたアドベントクランツが飾られ、キャンドルが1本点灯するごとにクリスマスへの喜びが高まっていくという。



装飾はオーストリアの名門ハプスブルク家の人々をイメージしたものとなっている。オーストリアの歴史を感じ、木の実や金銀で飾ったツリーやリースなどからは、オーストリアのクリスマス文化を味わっていただきたい。


ブラフ18番館は関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅であった。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていた。同年に横浜市が部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開している。震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、部材として利用されていることが解体時の調査で判明している。

建物は木造2階建て、1・2階とも中廊下型の平面構成で、白い壁にフランス瓦の屋根、煙突は4つの暖炉を1つにまとめた合理的な造りとなっている。その他、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、洋風住宅の意匠を備えている。外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっている。

館内は震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時元町で製作されていた横浜家具を修復して展示している。さらに、平成27(2015)年には2階の展示室を寝室にリニューアルした。本館につながる付属棟は、貸しスペースとして、ギャラリー・展示会などに利用されている。横浜市認定歴史的建造物。


世界のクリスママスの会場を回りスタンプラリーを完成させるとゴールで記念品としてもらえる。今回は横浜山手西洋館オリジナルクリアファイルとシールであった。

スタンプラリーは週末などに実施。スタンプカードは各日各館先着約200枚。ゴール賞(記念品)は無くなり次第終了。スタンプは日にちをまたいで集めても良いとのこと。

また、世界のクリスマスにあわせて、様々なイベントもあるとのことなので、是非、20回目の節目に足を運んでいただき、横浜の歴史を生かしたまちづくりの実施を体感していただきたい。


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