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[レポート]令和4年 中山恒三郎家公開【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】


<令和4年度 中山恒三郎家公開>

令和4(2022)年11月26日・27日の二日間、横浜市認定歴史的建造物「中山恒三郎家書院及び店蔵」を含む敷地内(横浜市都筑区川和町)が、(公財)横浜市ふるさと歴史財団、横浜開港資料館、横浜市歴史博物館、横浜都市発展記念館の主催で一般公開された。

THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA では現地の様子(11月26日)を取材した。



<書院>

開場前から待機列ができるほど多くの見学者が集まっていた。受付を済ませると、表門手前の敷地西側の少し高くなっている場所に建つま書院に案内される。

この書院はもともと中山恒三郎家の本邸(主屋・現存せず)に付随する接客施設として敷地の東側の一番奥に建っていたが、平成28(2016)年の敷地整備で現在の場所に移築さ

れ、その歴史的由緒に基いて「松林庵」と名づけられた。その名が掲げられている玄関から中に入ると、畳敷きの続き間ではこの公開に合わせたミニ展示「山家伝来書画と川和の歴史」が行われていた。



展示されていたのは医師で歌人の「佐藤汶栖(ぶんせい)の書」、県立第一横浜中学校(現県立希望ケ丘高校)教諭であった小櫃守衛撰「奉賀大典之碑」、第3代中山恒三郎が神奈川県下の養菊団体として組織した秋光会の幹事として会の中心的な役割を果たした長崎矗堂の書「穆如清凮」、神奈川県知事周布公平の書「去華就實(きょかしゅうじつ)」、第日本正菊協会総裁・海軍軍人樺山資紀(武相荘の主人・白州次郎の妻、白州正子の祖父)書「愛卉千古説淵明」、土方久元の書「貞心晩節」が解説とともに並べられていた。また、全国の菊の番付など、菊の歴史に関する資料も並べられていた。




<園庭と松林社>

書院を出た先で園庭に案内された。園庭の背後には築山があり、その手前の小高くなっている場所には以前から薬師如来が祀られていたが、一連の整備に合わせ、主屋・書院・店蔵などの各所に祀られていた祭神を一つの所にまとめて「松林社」が創建されている。「松林社」からは中山恒三郎家の敷地を一望することができ、かつて皇族や著名人も数多く訪れたという観菊会が行われた「松林圃」を想い起こすことができた。



<店蔵>

園庭を出た先には店蔵がある。今回は外観のみの公開である。中山恒三郎の家業であった「中山恒三郎商店」では、酒卸売・醤油醸造・呉服・雑貨・薬・塩・煙草などを手がけていたが、店蔵はその本店にあたり、主に酒卸売を行なっており、敷地内で最も古い建物の一つであると伝えられている。



<諸味蔵・八号蔵・麹室>

中山恒三郎家の敷地内では、明治期から昭和30(1955)年頃にかけて醤油醸造が行われていた。かつて醤油工場だった一角には、醤油の醸造に必要な麹をつくるための煉瓦蔵の麹室、醤油のもととなる諸味を保存するための諸味蔵、そして敷地内に多数あった蔵の内の一つである八号蔵が現存している。



今回、八号蔵と麹室は外観のみの公開であったが、諸味蔵はその内部を見ることができた。

内部には、まだ整理中の民族資料等が所せましと並べられていて、その一角で資料整理の写真撮影をしている様子も見学することができた。



この日は、見学している間、絶えることなく多くの見学者が訪れていた。多くの見学者にとって、日頃、公開されていない歴史的建造物の貴重な見学機会であり、地域の歴史に改めて眼を向けるきっかけになったに違いない。

来年度以降もこうした見学機会があることを期待したい。





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