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[レポート]花と器のハーモニー2023【横浜山手西洋館】



横浜山手西洋館では、ガーデンネックレス横浜の一環でもある「花と器のハーモニー」がスタートした。令和5(2023)年6月3日(土)から6月11日(日)の9日間。

21回目を迎える今年は特別展として「いけばな七流派の家元が彩る洋空間」をテーマに家 元自らの花のおもてなしと、西洋館にゆかりのある国の食器をコーディネートし、いけばなの持つ多様性と魅力を世界へ発信する。

外国人居留地時代の面影が残る、異国情緒あふれる7館の西洋館各館に日本の伝統文化である華道七流派の家元によるいけばなと、世界各国の食器との競演が見られる。

 

山手111番館



みなとみらい線元町・中華街駅からアメリカ山公園のエレベーターを使い、山手本通りを経て港の見える丘公園に突き当たり、そこから右に折れてワシン坂通りを進む。しばらく横浜市イギリス館の塀が続くが、さらに進み、噴水のあるバス転回広場の先に山手111番館がある。



装飾を担当したのは、一葉式いけ花第四代家元の粕谷尚弘氏。「清爽の花の間」をテーマに「スペインの皇室御用達サルガデロスの食器の青の清々しさと共に、初夏のさわやかな緑と風のような花をいけられたらと思っています。」とコメントしている。

粕谷尚弘氏は、三代目家元であった父親から平成31(2019) 年に四代目家元を継承。華道指導の側ら諸流派展や個展、他分野の表現者とのコラボ等を行い、また、NYメトロポリタン美術館でのいけ花デモンストレーションをはじめ国内外で多くのいけ花ライブを行う等「いけ花の魅力」を伝える活動を積極的に行っている。



山手111番館はスパニッシュスタイルの西洋館。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。 玄関前の3連アーチが同じ意匠となっているが、山手111番館は天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与える。



大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残しているが、山手111番館は彼の代表作の一つと言える。赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造り。創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していた。



横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開している。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配置し、設計者モーガンに関する展示等も行っている。現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶室として利用されている。市指定文化財。


 

横浜市イギリス館



山手111番館からワシン坂通りを山手本通りに向けて少し戻ると横浜市イギリス館に入る車廻しがあり、そこから見えるのが横浜市イギリス館である。

横浜市イギリス館は、昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在地に建てた。鉄筋コンクリート2階建、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていた。



装飾を担当したのは小原流五世家元 小原宏貴氏。テーマは「万緑」。「季節に相応しい瑞々しい花材を使用して、 イギリス館に美しい緑の風を呼び込みます。」とコメントしている。器はイギリスで170年以上の歴史を持つ「Burleigh (バーレイ)」を使用し旧英国領事公邸ならではの装飾となっている。

小原宏貴氏は昭和63(1988)年、神戸市生まれ。6 歳にして五世家元を継承し、日本の伝統文化である「いけばな」の普及と、芸術家として国内外の活動に力を注ぐ。



主屋の1階の南側には、西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながっている。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓からは庭や港の眺望が楽しめる。地下にはワインセラーもあり、東側の付属屋は使用人の住居として使用されていた。

玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。

昭和44(1969)年に横浜市が取得し、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用されている。市指定文化財。




 

山手234番館



港の見える丘公園から山手本通りに向かい、さらに西に進むと山手三塔の一つ山手聖公会の隣に、列柱が並ぶ正面のテラスが目を引く山手234番館がある。

山手234番館は昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられた。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ、朝香吉蔵。



装飾を担当したのは古流松應会十世家元 千羽理芳氏。テーマは「江戸の様式美 - 古流生花 - を洋館に」。「江戸時代、町民の間で嗜まれた古流のいけばなは、質素でありながら、そこにこめられた審美眼は豊かであり、生活 様式が目まぐるしく変わった現在においてもその姿は変わ らず伝承され続けています。」とコメントしている。

器はフランスのフランスの中西部に位置する都市リモージュで、リモージュ焼きを創り続ける数少ない伝統の窯のひとつエルキューイ・ レイノー。

千羽理芳氏は「古流協会展」「日本いけ ばな芸術展」「いけばな協会展」「大地の芸術祭 越後妻有アート トリエンナーレ」「神戸ビエンナーレ」など多くのイベントに出品。一般社団法人いけばなインターナショナルを通じ、国内外にてデモンストレーションを多数おこなう。

2階のギャラリーを使ったダイナミックな展示にも注目していただきたい。



建設当時は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成であった。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられていた。また、洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえる。



第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開。1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてパネルを展示、2階は貸しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用されている。横浜市認定歴史的建造物。


 

エリスマン邸



山手234番館の道を挟んで反対側に位置するのがエリスマン邸である。エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅であった。大正14(1925)年から15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンド。



装飾を担当したのは未生流十世家元 肥原慶甫氏。テーマは「花と器、光と翳り」。「エリスマン邸の大きな窓から差し込む光と大崎漆器の伝統的な漆器ならではの陰影のある食器。これらの対称的な2つを植物や水、その他色々な素材をつかいうまく対比させたり融合させることができればと思っています。」とコメントしている。

肥原慶甫氏は平成9(1997)年からいけばなの修業を始め、現在は流の企画・運営に携わる傍ら数多くの花展出瓶、献花、国内外でのデ モンストレーションを行うなど、流派の発展・指導はもとより、日本の伝統文化である「いけばな」の普及に努めている。平成26(2014)年、未生流十世家元継承した。



創建当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っている。設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られる。



昭和57(1982)年にマンション建築のため解体されたが、平成2(1990)年、元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に移築復元された。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現している。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したもの。かつて3つの寝室があった2階には、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示されている。また、昔の厨房部分は、喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されている。

 

ベーリック・ホール



山手234番館を出て、山手本通りを少し西に進むと右手に大きな敷地の西洋館が見える。ベーリック・ホールである。

ベーリック・ホールはイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈された。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。



装飾を担当したのは、草月流第四代家元 勅使河原茜氏。テーマは「明日への贈り物」。「心を込めて整えた食卓とおもてなしの花のある空間には笑 顔と心を解いた会話が生まれます。互いを思い合う気持ち こそ、未来に届ける贈り物。ベーリック・ホールを舞台に、 瑞々しい初夏の花と伝統あるマイセンの器が出会い奏でる心躍るハーモニーをどうぞお楽しみください。」とコメントしている。

前庭も含めて館内外をところ狭しと大胆に使ったダイナミックな演出が印象的であった。

平成13(2001)年家元就任。自由な創造を大切にする草月のリーダー として、多様化する現代空間にふさわしい新しいいけば なの可能性を追求する。美術、音楽、舞踊など他分野アー ティストとのコラボレーションや「いけばなライブ」に 取り組む一方、いけばなで子どもたちの感性と自主性を 育む「茜ジュニアクラス」を主宰する。



現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されている。内部も、広いリビングルームやパームルーム、アルコーブや化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物である。



平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受けた。復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開している。横浜市認定歴史的建造物。


 

外交官の家



山手公園から山手本通りに戻り、さらに西に進み、案内標識に沿って右に曲がると山手イタリア山庭園に辿り着く。ここは、明治13(1880)年から明治19(1886)年まで、イタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれている。イタリアで多く見られる庭園様式を模し、水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園です。「バラと光輝く噴水の庭」というテーマでリニューアルされ、新たなバラの名所となった。

山手イタリア山庭園には、外交官の家とブラフ18番館があるが、まずは外交官の家に向かう。




装飾を担当したのは華道家元池坊 次期家元 池坊専好氏。「出会う」をテーマに「日本の中で育まれてきた美意識である「優しさ」「調和する心」を和花に込めています。かつてのに ぎわいある情景を思いつつ、そして花と器、人と人、心と心、 それぞれがつながり生まれるハーモニーを表現します。」とコメントしている。器は「オークラホワイト」と称される横浜の陶磁器メーカー大倉陶園である。

池坊専好氏は、いのちをいかすという精神に基づき、西国三十三所の各寺院やニューヨーク国連本部で世界平和を祈念した献花を行う。また、音楽や能、テクノロジーなどの他分野とのコラボレーション活動も展開している。公益財団法人 日本いけばな芸術協会副会長、公益社団法人2025年日本 国際博覧会協会 理事・シニアアドバイザーなども務める。



外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナー。

建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残している。1階は食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。



これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動アーツ・アンド・クラフツのアメリカにおける影響も見られる。




横浜市は、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの建物部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原し、一般公開した。同年、国の重要文化財に指定された。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを体験できるようになっている。各展示室には、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示している。また、付属棟には、喫茶室が設けられている。


 

ブラフ18番館



外交官の家を出て、庭園にまわり階段の上に立つと一段下の敷地にブラフ18番館が見える。

ブラフ18番館は関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅であった。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていた。同年に横浜市が部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開している。震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、部材として利用されていることが解体時の調査で判明している。



装飾を担当したのは龍生派家元 吉村 華洲氏。「暮らしの中の小さないけばな」をテーマとして「当時の生活スタ イルを想像しながら、龍生派が提案する小さないけばな「ひびか」で、繊細な花の魅力をお楽しみください。」とコメントしている。

吉村 華洲氏は昭和61(1986)年より建築設計事務所に勤務の傍ら、龍生派三代家元吉村華泉に師事。平成15(2003)年個展「リンゴの唄 in Sendai」(せんだいメディアテーク)、平成21(2009)年個展「継がれ継ぐ」(アートスペース VEGA)。平成27(2015)年に四代目家元に就任している。



建物は木造2階建て、1・2階とも中廊下型の平面構成で、白い壁にフランス瓦の屋根、煙突は4つの暖炉を1つにまとめた合理的な造りとなっている。その他、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、洋風住宅の意匠を備えている。外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっている。




館内は震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時元町で製作されていた横浜家具を修復して展示している。さらに、平成27(2015)年には2階の展示室を寝室にリニューアルした。本館につながる付属棟は、貸しスペースとして、ギャラリー・展示会などに利用されている。横浜市認定歴史的建造物。



「花と器のハーモニー2023」で横浜山手西洋館7館を巡ったが、どの館にも多くの来館者があり、盛況な様子であった。なにより「いけばな7流派」の家元の作品をいっぺんに、しかも歴史的建造物で見ることができる機会であることが、来場動機となっていると考えられる。今後も、歴史的建造物の活用事例として注目していきたい。


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