日本の灯台の父と呼ばれるブラントンは1868年に明治政府のお雇い外国人第一号として来日。横浜を拠点に8年間で全国各地に25基の灯台を設計した。しかし、彼は母国イギリスでは一度も灯台の建造に携わったことが無かったそうである。
では、なぜ灯台を設計することができたのか、ブラントンと横浜の街の関係を紐解きながら、その謎に迫る。
ブラントンゆかりの灯台や横浜港の灯台の美しく輝く姿は必見。
<レポーター>
灰野真以氏
<解説>
不動まゆう氏(「灯台どうだい?」編集長)
渡辺裕吾氏(公益社団法人燈光会総務部長)
松永昭吾氏(横浜国立大学 元気なインフラ研究所 所長)
金近忠彦氏(元横浜市港湾局長)
仲田博史(犬吠埼ブラントン会 代表幹事)
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