[レポート]特別公開「長崎―開港都市横浜の前提」【横浜開港資料館】
- heritagetimes

- 7月26日
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令和7(2025)年5月24日から横浜開港資料館で開催されている<特別公開「長崎―開港都市横浜の前提」>を見学した。
本展は、江戸時代における長崎が開港後の貿易都市としてどのように形成され、その歴史的経験が幕末の横浜開港へとつながったかを、約50点の貴重な館蔵資料によって読み解こうとするものである。
出島と唐人屋敷
江戸時代、長崎での貿易が許可されていたのはオランダ人と中国人に限られていた。オランダ人は寛永13(1636)年竣工の出島に、中国人は元禄2(1689)年完成の唐人屋敷(唐館)に収容された。両施設とも、日本人との接触を制限する目的で設けられており、当時の絵図などからその隔離構造がうかがえる。
幕末に整備された横浜の外国人居留地も、掘割によって日本人との接触が抑制されたが、その空間構想の背後には、長崎の出島・唐人屋敷の制度が参照されていたことがわかる。


長崎の旅行記
国際都市であった長崎の地図は、国内外で刊行された。初期のものは不正確な点も多いが、オランダ人の観察情報をもとに、次第に精度の高い地図が現れた。一方、国内でも市街地の発展とともに町名を記した詳細な地図が発行され、旅人によるスケッチも登場する。
たとえば「パリで刊行された地図」には、中央に出島、左に長崎市街が描かれ、急峻な崖や入り組んだ海岸線といった長崎湾の地形がリアルに再現されている。港を中心に町が構成され、外国人の隔離居住地が設けられ、町人地が武家地よりも目立つ構造は、後の横浜にも共通する特徴である。

商館長の日本観察
オランダ商館長は、オランダ東インド会社の支配下にあったバタビア(現ジャカルタ)の総督から日本に派遣された。商館長と館員は毎年(寛政2(1790)年以降は4年に1度)、将軍に拝謁するため江戸に参府した。この途次に観察した日本の風俗や政治状況を記録し、著述する者も多く、長崎は西洋人による「日本学」の最初の拠点となった。
幕末に横浜を訪れた欧米人たちは、より近代的な方法で観察を行い、日本研究の新たな段階へとつなげていった。
中でも安永8(1779)年に来日したティチングは、蘭癖大名として知られる島津重豪や松浦静山と交流し、帰国後も日本研究を継続し、その成果は死後ロンドンで出版された。展示されているのは、その出版物の天明3(1783)年の浅間山噴火の様子を迫力ある絵画に描いた部分。

丸山遊廓
丸山遊廓は、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町と並ぶ、長崎の代表的遊女町である。市街地南端に造成され、日本人だけでなくオランダ人・中国人も客として受け入れていた。
外国人による遊興の費用が輸入品の代金として使用された例もあり、国際貿易都市ならではの特異な性格を有していた。丸山町・寄合町から成り、最盛期には約9,600坪の敷地に遊女1,500人を擁した。
横浜でも、港崎遊郭が町外れ(現・横浜公園)に造成され、丸山と同様に浮世絵の題材となった。展示資料の「肥前長崎丸山廓中之風景・肥前崎陽玉浦風景之図」を描いた歌川(五雲亭)貞秀は横浜でも多くの浮世絵・鳥瞰図を描いている。

長崎の海防
長崎には、通航を許されていない外国船の来航も相次いだ。正保4(1647)年にはポルトガル船が長崎湾に現れ貿易再開を求めた。これを契機に、長崎の海防体制は強化される。
19世紀には欧米艦船の接近が頻発し、警備体制も再編が迫られた。既存の台場に加え、新たな台場も築かれ、文化9(1812)年までに24か所が整備された。
展示資料には、外国船の来航に備える台場配置図や、実際に船を取り囲む様子が描かれており、当時の厳重な海防体制を示している。
なお、横浜でも開港と同時期に神奈川台場が建設されたが、これは修好通商条約締結後に設けられた、儀礼的・平和的な性格の強い施設であった。

幕末の開港
安政元(1854)年、長崎はイギリス・ロシアとの和親条約により、両国の船の寄港が認められた。さらに安政5年(1858)、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの五か国と修好通商条約を結び、外国人居留地が新たに設けられ、自由貿易が開始された。
同条約に基づき開港した横浜は、短期間で国際貿易港として急速に発展を遂げた。
展示では、幕末の古写真・古文書・明治期の絵葉書が多数展示されており、当時の具体像を知ることができる。中でも、長崎奉行与力・小笠原貢蔵に関連する資料は、外国との交渉の実態を示す点で貴重である。

まとめ
本展は、長崎という都市が「閉じながら開く」「管理しながら受容する」という二面性をもった空間であったことを、豊富な資料と緻密な構成によって説得力をもって提示していた。
出島・唐人屋敷という空間的制限、外国船来航の拒否という政治的対応、丸山遊廓という文化的越境という三つの視点から、近世日本の対外関係の複雑性が具体的に浮き彫りにされた。
加えて、こうした長崎の制度と経験が、幕末の横浜においてほぼ踏襲された事実も見逃せない。横浜は、長崎の制度的・文化的蓄積を受け継ぎつつ、新時代の国際都市へと変貌していったのである。
単なる地域展示にとどまらず、開港都市に共通する構造と精神史にまで迫る、意義深い企画展であった。
◆特別公開「長崎―開港都市横浜の前提」 基本情報◆
会期 令和7年(2025)5月24日(土)~7月27日(日)
※6月30日に一部展示替えを行います
開館時間 9:30~17:00(入館は16:30まで)
入 館 料 一般500円、小・中学生・横浜市内在住65歳以上250円
毎週土曜日は高校生以下無料、毎月第2水曜日「濱ともデー」は市内在住65歳以上無料、5月24日・25日、6月2日(臨時開館)は入館無料
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、6月3日
会場 横浜開港資料館 企画展示室
主催 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団(横浜開港資料館)
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