[レポート]令和7年度第2回企画展 山本博士コレクション横濱 東西文化のランデブー 眞葛焼、横浜写真から横浜彫刻家具まで 記念講演会「こんなに集めてしまった・・・。横浜の記録を未来へ」【横浜ユーラシア文化館】
- heritagetimes

- 4 日前
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記念講演会「こんなに集めてしまった・・・。横浜の記録を未来へ」
場所: 横浜市開港記念会館1号室
日時: 令和8(2026)年1月10日(土)午後2時 - 3時30分
講師: 山本博士氏(株式会社 三陽物産 代表取締役)
開会:伊藤泉美氏(ユーラシア文化館)
本日は横浜ユーラシア文化館「山本博士コレクション 横濱東西文化のランデブー」の記念講演会にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。本日の司会を務めさせていただきます、ユーラシア文化館の伊藤と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
本日この講演会にご参加いただいた皆様におかれましては、本日(講演後)に限り、企画展を「ぜひお話を伺ったあとにもう一度見たいわ」という方もいらっしゃると思いますので、ぜひユーラシア文化館の方にお越しください。受付でお渡ししたチラシ、あるいは開催日間近のお知らせメール、どちらでも結構ですので当館受付にお出しいただければ、そのまま無料でご観覧いただけます。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、講演に先立ちまして、当館館長・西川武臣より一言ご挨拶させていただきます。
館長挨拶:西川武臣氏(ユーラシア文化館館長)
ユーラシア文化館館長の西川です。山本さんとは十数年前、神奈川台場の保存運動を通じて知り合いました。当時から横浜の礎石を残そうと情熱的に活動されていたのが印象的です。
山本さんは史跡保存に留まらず、幕末・明治に輸出され国内から消えた眞葛焼や芝山漆器などの貴重な工芸品を、私財を投じて積極的に収集し、横浜へ「里帰り」させてくださっています。特筆すべきは、それらを独占せず、市民や子供たちに広く公開し伝える活動をされている点です。行政や当館でも予算的に難しい収集・普及活動を個人で担ってくださり、感謝に堪えません。
この会場前の本町通りは、かつてそうした工芸品を扱う店が並んでいた場所です。空襲で面影は消えましたが、今日のお話を通じて当時の賑わいに思いを馳せていただければ幸いです。
講師紹介:伊藤泉美氏(ユーラシア文化館)
ありがとうございました。それでは改めて山本博士さんをご紹介いたします。
横浜生まれ横浜育ちで、横浜市立大学の大学院修士課程を修了され、現在は老舗洋菓子店・株式会社三陽物産(モンテローザ)の代表取締役でいらっしゃいます。「お菓子を通じて横浜の歴史文化を継承する」をスローガンに地域貢献活動に尽力されており、「山手133番館」や「眞葛ミュージアム」を運営されています。山本さんは見かけによらず(笑)、すごい上がり性だとのことですので、皆様ぜひガチガチにならないよう笑って聞いていただければと思います。それでは、よろしくお願いいたします。
講演:山本博士氏(株式会社三陽物産代表取締役)
「こんなに集めてしまった・・・。横浜の記録を未来へ」

皆様こんにちは。株式会社三陽物産の山本と申します。コレクション展をご覧になっていただけた方って、どれぐらいいらっしゃいますか?(会場挙手)……ありがとうございます。あのような形でたくさん展示していただけるのも、三陽物産のモンテローザのお菓子やカフェを利用してくださっているお客様がいらっしゃるからこそです。この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
これから、私が「なんでこんなに集めてしまったのか」ということについて、半分面白おかしくお話させていただきます。ところで、このタイトル「こんなに集めてしまった・・・。横浜の記憶を未来へ」ですが、これ、実はchatGPT(AI)に考えてもらったんですよ。「ちょっとユーモアに富んで興味が湧くようなタイトルを10個出して」と言ったら、これが出てきまして。なかなか面白いなと思い、選びました。
今日は二部構成でお話しします。一部では、なぜ横浜の歴史文化に興味を持ったのか、そして幼少期からあった「コレクション癖」について。二部では、今回の展示品の中からジャンル別に5つのトピックを選んで解説させていただきます。
第一部 横浜の歴史文化に対する興味とコレクション癖
生い立ちと歴史への目覚め
横浜の歴史への興味は私の生い立ちに根ざしています。1969年、元町の中心で生まれ、家業は「モンテローザ」というケーキ屋で、父が経営していました。長者町の本店のほか、昔は産業貿易センターや桜木町のゴールデンセンター地下にも店がありました。
母校の本町小学校は桜木町駅に近く、そこから紅葉坂を登ったあたりに青少年センターや音楽堂がありますが、あの一帯はかつての「神奈川奉行所」跡なんです。幼い頃からその周囲を散歩して遊んでいました。

例えば私はこんな本を持ってます。『紅葉ヶ丘遺跡の発掘調査報告書』。普通の人、買わないですよね(笑)。これを見ると、奉行所跡から出土したお茶碗とか瓦の写真がたくさん載っている。「自分が育った場所で、かつて奉行所があって、このお茶碗を使ってたのかな」と想像するとワクワクする、そんな生活をしております。
他にも、自転車でよく「徘徊」しています。何のためかというと、横浜は貝塚が多いのですが、それを見つけるためです。最近は崖がコンクリートで固められて見えづらいですが、吉野町から磯子へ向かう「稲荷坂(いなりざか)」付近で面白いものを見つけました。この稲荷坂の右側は発掘調査されていて、縄文人の人骨やイルカの骨、土偶が出ています。実は、岡本太郎さんが大阪万博で作った「太陽の塔」は、この稲荷坂から出た土偶がモデルだと言われています(真偽は諸説ありますが)。ここは縄文時代の高台の集落でした。私が自転車で通った時、発掘調査がされていない側の崖の地肌に貝殻らしきものがあるのを見つけたので、横浜市教育委員会にお知らせしました。そんなことを日常的に楽しんでいます。
話を本町小学校に戻します。校歌に「文化の灯火、明治の昔、初めてここから輝いた」という歌詞があります。実は本町小学校は、日本で初めてガス灯が灯った「ガス事業発祥の地」に建っているんです。明治5年に使われたガスは、この場所にあった製造所で作られました。先生からも「ここはガス事業発祥の地なんだよ」と常に言われていました。校舎増築時に出土したガスタンク遺構が壊されると聞いた際は、西川さんに相談し、弊社創業50周年事業として横浜都市発展記念館とユーラシア文化館の中庭にへの移設費用を寄付しました。後輩たちがいつでもオリジナルの実物を見られる環境を残したかったのです。

その後、関内駅近くの吉田中学校に進みました。校歌には「苫屋の煙、たなびきし、平和の漁村、横浜に」とあります。昔は漁村だったことがわかる歌詞です。小中学校を通じて、横浜の歴史に対する関心が強くなりました。
決定打は、小学校高学年の時に「横浜開港資料館」が開館したことです。夏休みにそこへ行き、歴史の世界に触れたのが私の原点です。
大学卒業後は日産自動車に就職し、本社の法務部に配属され、コンプライアンス(法令遵守)の意識が非常に高まったことが、今のコレクションにも繋がっています。
例えば、お菓子のパッケージに古い写真を使いたい時、他人の写真を無断でスキャンして使うことは絶対にできません。でも、使用許諾を取るのは手間もお金もかかります。それなら、古本屋で明治時代の絵葉書などを自分で買ってしまえば良い。自分で買ったもので、著作権が切れているものなら自由に使える。この「不正をせず、自分で買ったものを正しく使う」という意識が、収集の動機の一つになりました。
その後、家業の三陽物産・モンテローザに入りました。三陽物産は三本(みつもと)コーヒーのグループ会社です。三本コーヒーは叔父が創業者で、父が副社長を務めていました。
歴史文化に興味があったので、「ロリケット」という世界最古のお菓子を復刻したり、横浜三塔(キング・クイーン・ジャック)や勝海舟にちなんだお菓子を作ったりしてきました。「ロリケット」は、味が想像しづらくてあまり売れていないのですが(笑)、今日は皆様にお土産として用意しましたので、ぜひ食べてみてください。

38歳で社長になってからは、「奇行」が目立つようになります。
「開国博Y150(2009年)」では、社長なのに真っ昼間からボランティアガイドをしていました。社員には「ちょっとガイド行ってくる」と言って(笑)。この時は観光客の方々には大変喜んでいただきましたし、横浜シティガイド協会嶋田昌子さん(故人)にご縁ができたのがこの時でした。
また、「歴史を活かしたまちづくり」を学ぶために、横浜市立大学の大学院に入り、北沢猛先生(故人)の弟子である鈴木(伸治)教授に師事し、修士論文も書き、インターンシップとして夏休みに1か月間、開港資料館で古写真の整理などをしていました。
他にも、南太田の近くにあった眞葛焼の窯跡が忘れ去られているのが寂しくて、私費で「宮川香山記念館」を民家の一角に作ったり、「横浜三塔協議会」の会長や「神奈川台場地域活性化推進協会」の理事長や「開港5都市景観まちづくり会議2024横浜大会」の実行委員長に就任したりしてきました。

私は小さい頃から、ものすごいコレクション癖があります。テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』に、私は5回も出ているんです。おそらく最多クラスじゃないでしょうか。
ジョニー・デップが映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で実際に着た衣装や、幕末の貴重な「薩摩切子」、初代タイガーマスクが実際に使っていたマスクなどを出しました。タイガーマスクのマスクは、番組で1,000万円という鑑定額がつきました。
今日は、その鑑定団に出た実物を持ってきています!(会場驚き)
1,000万円のタイガーマスクのマスク、ジョニー・デップの衣装、薩摩切子です。鑑定団ですべて「本物」と認められたものです。5分ほど休憩しますので、ぜひ近くでご覧になって、写真も撮ってください。
(休憩・展示品見学)



第二部:ジャンル別コレクション解説
さて、お戻りください。ここからは少しアカデミックにお話しします。私の「環境による歴史への興味」と「コレクション癖」が融合し、対象が横浜の歴史に特化していった結果、今の活動があります。
① 横浜古写真
古写真は800枚以上持っています。なぜ、そんなに集めてしまうのかというと、古い写真を収集していると、たまに「大発見」があるんです。
神奈川台場を写した写真で、これまで知られていたものより古い、現存最古の写真をアメリカで発見しました。また、横浜中華街の現存最古の写真も見つけました。これまでは1880年頃が最古と言われていましたが、私が見つけたものには「ガス灯」が写っていない。つまりガス灯が整備される1874年より前のものだと断定できました。

そして究極の発見が「フェリーチェ・ベアトのアルバム」です。サザビーズのオークションに出ているのを、元横浜開港資料館の斎藤先生に相談したところ、「これは1863年にダグラスという人物がベアトから直接買って持ち帰った、ものすごい貴重なものです。里帰りさせたら大変なニュースになります」と言われました。
オークションでは競合がおらず、スタート価格で落札できました。今は円安ですので、5年前に買えていて良かったです。160年ぶりに日本に戻ったこのアルバムは、現在開港資料館に寄託して研究に役立てていただいています。

中には、今の横浜スタジアム付近にあった遊郭「岩亀楼(がんきろう)」が写る江戸時代の写真や、生麦事件で切りつけられたリチャードソンが乗っていた馬の写真まで入っています。シリアルナンバーは「10」。ベアトが横浜に来た最初期に作ったアルバムです。
古写真の活用としては、開港記念会館の本町通りを渡ったコインパーキングに残る明治時代のレンガ壁(震災遺構)の解説パネルに、私の写真が使われたり、豪華列車「ロイヤルエクスプレス」の車内で展示を行ったりしています。
② 眞葛焼(まくずやき)
皆様、眞葛焼をご存知ですよね。日本の焼き物で明治時代に作られ、現在国の重要文化財になっているのは、たった4点しかありません。そのうち2点が、横浜の宮川香山(初代)による眞葛焼なんです。
しかし、あまりに外国人に人気で輸出されたため、日本にはほとんど残っていませんでした。私は25年前の横浜美術館の展示で初めてその素晴らしさを知り、世界中から買い戻しを始めました。

初代香山は京都真葛ヶ原生まれ。幕末の混乱を避け、商人の誘いで明治3年に横浜へ移住し、南区の大田村に窯を築きました。器の表面に生きているような動植物を緻密に表現する「高浮彫(たかうきぼり)」は、一つの作品に2年かけることもありました。
後に中国の清朝磁器を研究し、美しい色彩の作品へと作風を変え、世界中で絶賛されました。ライバルはマイセンやロイヤルコペンハーゲンと言われましたが、当時の評価では香山が一歩リードしていました。
残念ながら3代目とその家族のほとんどが横浜大空襲で亡くなり、窯は途絶えてしまいました。そのため人々の記憶から消えかけていたのです。
最近の発見では、ニューヨークの大富豪ヴァンダービルト家の邸宅の写真に、私たちのミュージアムにあるものとそっくりの眞葛焼が飾られているのを見つけました。世界の大富豪が飾っていたことがわかった貴重な資料です。

また、宮川家本家に代々伝わっていた「たぬき亭」という半年間しか作られなかった幻のブランドの酒器も、宮川香山真葛ミュージアムの名誉館長もお願いしている香山の玄孫(やしゃご)にあたる方から「山本さんが持っているべきだ」と譲り受けました。真葛焼コレクション中で1番の宝物です。物が物を呼ぶとはこのことだと思っています。
こうしたコレクションの活用についてですが、一番の拠点はポートサイド地区にある「宮川香山 眞葛ミュージアム」です(土日開館)。本日は皆様へのお土産の中に招待券を同封しましたので、ぜひ実際に足を運んでいただければと思います。
また、外部への貸し出しも積極的に行っています。今年の夏には、大阪中之島美術館で開催された『未来の国宝を探せ ― 兵庫、大阪、京都、そして横浜 ―』という展覧会に、当館から3点の作品を出品いたしました。かつて海外へ渡った作品を里帰りさせたからこそ、こうして国内の大きな展覧会で多くの方に見ていただける機会が生まれています。今後もこうした活用を通じて、横浜が誇る眞葛焼の魅力を伝えていきたいと考えています。
③ 神奈川台場
明治初期の地図を見ると、海の中にコウモリが羽を広げたような形をした「神奈川台場」が突き出しています。勝海舟が設計し、松山藩が1年で作り上げました。横浜開港の年に着工された、まさにメモリアルな遺構です。
今は埋め立てられていますが、地面の下に当時の石積みがしっかり残っています。横浜中央卸売市場の中などに、露出している部分もあります。
私は「神奈川台場地域活性化推進協会」の理事長として、西川館長にも執筆いただいた子供向けのブックレットを作り、地元の小学生全員に配る活動をしています。

現在、私がもっとも力を入れている「ビッグプロジェクト」についてお話しします。それは神奈川台場のデジタル復元です。先ほど申し上げた通り、神奈川台場は現在、地面の下に埋もれており、目に見える形では残っていません。そこで、高精細なCGを用いて幕末当時の姿を再現し、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)で体験していただこうというプロジェクトが進行中です。
このプロジェクトは非常に大規模なものです。横浜市の教育委員会、にぎわいスポーツ文化局、都市整備局からそれぞれ1,000万円ずつ予算を捻出していただき、さらに地元の商工会議所からも1,000万円近い寄付を集め、総額約4,000万円の事業として進めています。今年の3月には完成する予定です。
このデジタル復元には、大きく分けて3つの機能を持たせています。1つ目は教育ビデオの制作です。復元したCGを使い、15分程度の解説動画を作成します。これを市内の小学校に配布し、郷土学習の教材として活用していただきます。2つ目は体験型VRです。専用のパソコンとジョイスティックを使い、ゲームのような感覚で台場の上を自由に歩き回れるシステムです。どこに弾薬庫があり、どこに砲台があったのかをリアルなスケールで体感できます。鳥渡り道から神奈川宿の方を振り返れば、当時の神社や街並みが見えるよう、時代考証に基づいて再現しています。そして3つ目が、AR機能付きスマホガイドです。ハンマーヘッドや臨港パーク、星の野公園など、ゆかりのある4箇所のスポットでスマホをかざすと、目の前の風景に当時の台場が重なって現れる仕組みです。
神奈川台場は、横浜が開港した翌年に完成した非常に重要な史跡です。これまではブックレットの配布など、紙での啓発が中心でしたが、いよいよデジタルによって可視化される段階に来ました。行政の枠を超えた横断的な活用により、3月頃には大きなニュースとしてお届けできると思います。目に見えないからといって忘れ去られるのではなく、最新技術を使ってかつての威容を目の当たりにすることで、地域の歴史に対する理解と愛着を深めてほしいと願っています。
また、京都の古本屋で見つけた勝海舟の未発見の手紙もユーラシア文化館に展示しています。手紙には「神奈川の貿易で金銀のレートが不利で金が流出している」といった当時の生々しい状況が記されています。これも開港資料館に寄託しました。
私が収集を続ける中で、まさに「物が物を呼ぶ」と実感したのが勝海舟の手紙のエピソードです。最初の一通は京都で見つけたのですが、これは当時未発見だった貴重な手紙でした。勝海舟を訪ねてきた村田巳三郎という人物に対し、「神奈川宿に出張していたため返事が遅れて申し訳ない」という内容が記されていました。この土地に関連する重要な資料であるため、現在は横浜開港資料館に寄託し、研究や展示に役立てていただいています。

この発見が新聞でニュースになると、さらなる縁が繋がりました。今度は京都の古美術商から「こういうものがあるが買ってくれないか」と電話があり、勝海舟が師である佐久間象山に宛てた手紙を二通譲り受けることができたのです。師弟間の手紙は現存数が少なく大変珍しいのですが、特筆すべきはその内容です。
手紙の中には「金川(かながわ)」の文字とともに、当時の貿易における金銀の交換比率の問題が記されていました。外国との不平等なレートにより、日本の金が海外へ激しく流出している現状を、海舟が象山に訴えかけているのです。教科書で習う歴史的な出来事が、生々しい直筆の言葉として残っている。こうした手紙も、現在はユーラシア文化館で展示されています。
④ 西川オルガンとドーリング商会
次に、横浜の洋楽器にまつわるエピソードをご紹介します。かつて山下町の109番館には、ドイツ系の「ドーリング商会」という外国商館がありました。ある時、私はネットオークションで、この商会が輸入販売した明治時代の「リードオルガン」を発見し、6万5,000円で落札しました。

ドーリング商会が扱ったピアノは数台確認されていましたが、オルガンが現存している例はこれまで一台もありませんでした。修復を終えたこのオルガンからは、明治時代の人々が聴いていたものと同じ、美しく豊かな音色が流れます。この音色を届けるため、モンテローザでクリスマスコンサートを開催したり、みなとみらいホールとコラボレーションしたりして活用を図っています。
さらに面白い歴史の繋がりがあります。日本で初めてオルガンを製造した西川虎吉という人物は、実はこのドーリング商会で修行を積んでいたのです。虎吉が独立して興した「西川楽器」の工場は、横浜の日ノ出町や長者橋の近くにありました。
もしドーリング商会が横浜になければ、西川虎吉のオルガンも、日本初の国産オルガンも誕生していなかったかもしれません。こうした歴史の点と点が結びつく瞬間こそ、コレクションを通じて横浜の記憶を掘り起こす醍醐味だと感じています。今回、ドーリング商会のオルガンに加え、イタリアから巡り巡って横浜に戻ってきた貴重なピアノ、そして西川虎吉による希少なオルガンも、あわせて収集することができました。

⑤ 山手133番館
「山手133番館」の復元については、時間がなくなってしまいましたが、お土産の中にYouTubeのQRコードを入れていますので、ぜひそちらをご覧ください。
私が一生懸命活動していると、不思議と「山本さん、こんなのあるよ」と物が集まってきます。でも、館長がおっしゃる通り、一番は「人が人を呼ぶ」のだと思います。
横浜の歴史文化を未来へ残すため、これからも全力で取り組んでいきます。本日はご清聴ありがとうございました。
閉会:伊藤泉美氏(ユーラシア文化館)
ありがとうございました。熱意と愛のこもったお話でした。「物は物を呼ぶ」とおっしゃいましたが、まさに山本さんという「人が人を呼んでいる」のだと感じました。
お帰りには、三陽物産様からのお土産を一人ずつお渡しいたします。展示の方も、ぜひゆっくりご覧になってください。本日は誠にありがとうございました。
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