[レポート]横浜 三溪園 夏の鶴翔閣公開2026【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KAN AGAWA】
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原三溪が育んだ文化サロン、その素顔に触れる
三溪園で開催中の「夏の鶴翔閣公開2026」は、通常は公開機会の限られる鶴翔閣(旧原家住宅)を見学できる貴重な催しである。鶴翔閣は製糸・生糸貿易で財を成した実業家・原三溪(原富太郎)が暮らした住宅であり、近代日本美術を支えた文化サロンとしても知られている。

原三溪は古美術と近代日本美術の優れた蒐集家であった。明治末頃からは岡倉天心を通じて日本美術院の画家たちを支援し、研究奨励金の提供、作品購入、制作場所の提供、蒐集品の鑑賞会開催など、多方面にわたる後援活動を展開した。鶴翔閣には横山大観、下村観山、前田青邨らが集い、滞在しながら制作を行ったという。

現在「旧原家住宅」として知られる建物群は、楽室棟、茶の間棟、書斎棟、仏間棟、客間棟、倉の六棟が接続して構成される。居住機能と迎賓機能を兼ね備えた近代和風住宅として高い価値を持ち、平成10年度に横浜市指定有形文化財となった。指定時には後世の改変が著しかったため、明治期の写真や発掘調査、建物調査をもとに建築当初の姿への復原整備が実施されている。

見学ルートに沿って各棟を紹介する。
楽室棟
鶴翔閣の中心となる建物で、来客を迎え、音楽などを鑑賞した空間である。
天井が高く、創建当初から洋間として使用されていた。鴨居高さ(内法高)は6尺8寸(約206cm)とされ、当時としては珍しい洋風利用を意識した設計が特徴である。

昭和期には広間(談話室)や控室(応接室)、車寄が改築され、瓦葺きとなって規模も縮小していた。しかし平成の整備によって、茅葺きによる創建当初の壮大な姿へ復原された。入側も幅6尺から当初の9尺へと戻されている。

室内では原三溪筆の掛軸《濱自慢》が展示されていた。横浜港の空を舞う白い鴎とともに、「復興小唄」の歌詞が記されている。大正14年(1925)、関東大震災からの復興事業が進む横浜を祝福して三溪自ら作詞したもので、節や振付も付され、市民や花柳界で広く親しまれたという。
茶の間棟
原家の日常生活の中心となった住居部分である。
和室三室が並ぶ構成で、全体的に装飾を抑えた簡素な造りが特徴となっている。華やかな迎賓空間である楽室棟とは対照的に、家族の生活空間としての実用性が重視されていたことがうかがえる。現在は炉が新設され、お茶会にも対応できるよう整備されている。

書斎棟
原家歴代当主の書斎兼寝室として用いられた建物である。
この棟は茶の間棟より約2尺8寸(約85cm)高い床面を持つ。当初は他の建物と同じ高さで計画されたものの、後に現在の高さへ変更されたと考えられている。建物全体の見え方や、室内から池を望む眺望を考慮した改修であったと推察される。

室内は創建当初、畳敷きの和室であったとみられるが、その後板の間となり、洋風の室内装置が設けられた。今回の復原整備では板敷きとされている。
和風住宅の中に近代的な洋風要素が取り込まれていく過程を示す空間としても興味深い。
浴室
現在の浴室は、隣接する倉を改修した後の姿を復原したものである。
整備工事前には檜風呂が設置されていたが、床の解体調査により焚き口や煙道が発見された。さらに敷地内に残されていた釜の大きさとも一致したことから、当初は五右衛門風呂であったことが判明した。
床と内壁は人造石研ぎ出し仕上げで、意匠は三溪園内の白雲邸に残る五右衛門風呂を参考としている。

倉
原三溪が蒐集した美術品を収蔵していた倉である。
重厚な漆喰扉は防火戸の役割を果たし、貴重な収蔵品を火災から守っていた。この建物は「一番倉」と呼ばれ、西側には食器類を収めた「二番蔵」が存在していたという。

白雲邸建設後は家族の衣類庫としても活用された。調査の結果、当初は木骨レンガ造であった可能性が高いことが判明している。平成の整備では、洗い出し仕上げの外壁など既存意匠を損なわないよう細心の注意を払いながら構造補強が行われた。
原三溪が収集した文化財を支えた、いわばコレクションの舞台裏である。

客間棟
鶴翔閣の中でも特に文化サロンとしての役割を色濃く伝える建物である。
来客の居室あるいは画家たちの画室として使われ、横山大観や下村観山らが滞在したと伝えられる。三溪に招かれた画家たちはここで制作に励み、前田青邨の《紅葉》などの作品もこの場所から生まれたという。

建物全体は数寄屋風の意匠でまとめられており、他所から移築された可能性を示す痕跡も数多く見られる。床の間に面した二室は座敷として用いられ、客間㈵は前室として利用されていたと考えられている。
現在は炉が新設され、お茶会利用にも対応した空間となっている。

近代日本美術を支えた住まい
鶴翔閣は単なる実業家の邸宅ではない。原三溪の暮らしの場であると同時に、日本美術院の画家たちが集い、交流し、新たな作品を生み出した創造の拠点であった。
今回の公開では、復原された明治後期の近代和風住宅を体感しながら、原三溪が築いた文化的ネットワークの実像に触れることができる。美術史、建築史、そして横浜近代史が重なり合う空間として、鶴翔閣は今なお特別な存在感を放っている。この機会に是非、訪れていただきたい。

見頃となった蓮 早朝観蓮会
取材した当日は、早朝観蓮会の最終日でもあった。前回のレポートではまだ見頃となっていなかったが、この日は天候にも恵まれ、大輪の蓮が見頃を迎え来園者を楽しませていた。

原三溪の美術蒐集における美意識と思想は、三溪園の蓮池に咲くハスの景観そのものに色濃く反映されている。
東洋古美術の名高いコレクターであった三溪は、特に平安から鎌倉時代にかけての仏画や仏像を数多く収蔵していた。仏教においてハスは、泥中にありながら清らかな花を咲かせる泥中蓮華の教え通り、清浄や悟りを象徴する重要なモチーフである。三溪園の蓮池は、彼が深く傾倒した仏教美術の世界観を園内という立体的な空間に具現化した意図的な景観といえる。

また、三溪自身も日本画を手掛け、自らの作品や好みを反映させた茶道具などにもハスの意匠を取り入れた。横山大観や下村観山をはじめとする近代日本画の巨匠たちを支援したパトロンとしても知られるが、彼が演出した三溪園の自然と蓮の情景は、画家たちに豊かな創作上の霊感を与え続けた。

池越しに重要文化財である旧燈明寺三重塔を望む意匠は、単なる植物鑑賞の場を超え、まるで一幅の仏教絵巻や歴史画を鑑賞するかのような高度な計算のもとに構成されている。古美術の真価を見抜く類まれな鑑識眼を持っていた三溪だからこそ成し得た、庭園全体をひとつの「生きたコレクション」に見立てる独自の美学がそこには息づいている。
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