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[レポート]トシヒロバンバ テン【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA 】

更新日:11月10日



[THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA ]の元メンバーで令和5(2023)年12月に急逝された、建築家・番場俊宏氏の業績を振り返る展観会「トシヒロバンバ テン~建築家・番場俊宏が見ていた風景~」が令和6(2024)年10月23日から27日まで象の鼻テラス(横浜市中区海岸通「象の鼻パーク」内)で開催された。その展覧会の様子を準備段階も含めてレポートする。


番場氏ゆかりの象の鼻テラスで展示会を企画


昨年12月の番場氏の逝去。仲間たちにとって、その喪失感は大きく、葬儀に全国から集まった参列者の中からは、「葬儀とは別に番場氏について語る会をやりたい」との声も上がっていた。

その後、約半年が過ぎた令和6(2024)年6月頃、のちに発起人となる主要なメンバーが集まり話し合いが行われ、ご遺族で番場氏が代表を務めていた建築設計事務所「エイバンバ」を引き継いだ番場絵理香氏の了解も得られたことから、いよいよプロジェクトとして始動。約半年間、多くの関係者の協力と熱意が結集し、急ピッチで作業が進められ、今回の開催となった。

展覧会の名称は「番場俊宏=バンバトシヒロ」を転じて「トシヒロバンバ」とすると、その中に「トシ=都市」、「ヒロバ=広場」、「バ=場」という番場氏が関わっていたフィールドが内包されているという発見から決められた。

展覧会は大きく「展示」「冊子」「スナック」の三つのコンテンツで構成され、番場氏の論文テーマだった「多重解像度」をキーワードに、番場氏が見た世界、番場氏がいた世界を来場者と共有していく仕掛けとなっている。



開催前夜に集う創造都市の仲間たち


会場の設営開始は開催前日10月22日午後6時の閉館後。「番場氏が活動の中心に置いていた『建築』を体現させる」ために採用された建築現場でよく用いられる単管足場が職人により手際良く組み上げられていく。

そこに写真がプリントされた布とスチレンボードパネルで構成された展示物を吊るしていくのだが、写真がプリントされた布の裏に真四角に切り取ったスチレンボードを貼り付けていく作業は膨大なものとなった。しかし、この日は番場氏を知る多くのボランティアが集まり、それぞれが自主的に役割を果たすことで、作業は順調に進み、象の鼻テラスの施錠時間となる午後11時には展示作業を終えることができた。

今回、作業に集まったメンバーの多くは横浜の創造都市の界隈で番場氏と知り合い、それぞれ刺激しあいながら共に活動して来たクリエーター、デザイナー、建築家であった。それはまるで創造都市施策の黎明期のイベント前夜のような雰囲気であり、それぞれが持つ番場氏への思いが熱量として伝わって来た。


撮影:ヤマワキ タカミツ


徐々に番場氏の世界観が明らかになっていく「多重解像度」


改めて会場の構成を見てみる。象の鼻テラスの正面を入ると中央に単管足場の構造物があり、その外側と内側にたくさんの正方形に切り取られた画像が並んでいる。外側は主に番場氏の建築作品や、番場氏が撮影した写真、つまり番場氏の視点、「建築家・番場俊宏が見ていた風景」を、一方、内側には番場氏が関係したプロジェクトや交流の現場で関係者が撮影した番場氏、つまり、関係者が見ていた「建築家・番場俊宏がいた風景」をカテゴリーごとに分けつつ緩やかに連続させて、さらに、それぞれのカテゴリーにどのように番場氏が関わっていったのかを示す年表やマインドマップを加えることによって、徐々に解像度が上がっていく仕掛けとなっていた。



奥に向かってメイン展示の左手奥には「横浜市電保存館しでんほーる」など国内外で番場氏が手がけた作品の模型が、さらにその先の壁面にはその作品群が写真で紹介されている。

反対側のエリアには受付がおかれている。

番場俊宏氏が代表を務めていたエイバンバでは、設計した建築物が竣工するごとにプロカメラマンにより撮影されたアルバムが作られており、それが並べられている姿も圧巻であった。



これらの構成によって、番場氏を知らなかった見学者も違和感なく、徐々に建築家・番場俊宏の世界観に触れ、その体験を通じて横浜の創造都市に対する理解を深めることができたのではないだろうか。


冊子「トシヒロバンバ ボン 〜建築家・番場俊宏がいた風景」


展示の内容を補完し、冊子ではより多重的に番場氏への解像度をさらに高めていくために、より広範な関係者が番場俊宏氏の断片を持ち寄ることで、彼がいた風景を描くことが試みられている。

構成はほぼ展示に倣っているが、読みやすいようにある程度時系列に「1.建築」「2.横浜/創造都市」「3.交流」「4.個人としての番場俊宏」と構成している。

「1.建築」では「東海大学」「C+A(シーラカンス アンド アソシエイツ一級建築士事務所)」「小泉アトリエ」「アヘッド」「アーキビルダーズ」での関係者からの寄稿により、番場俊宏氏の活動の中心であり原点であった「建築」に対する思いを少しづつ明らかにしている。

「2.横浜/創造都市」では、「北仲BRICK &WHITE」「本町ビル45(シゴカイ)・宇徳ビルヨンカイ」「象の鼻テラス」「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」「ハンマーヘッドスタジオ 新・港区」「Open Wedding!!」「ライフデザインラボ」「都市デザイン 横浜展」での関係者の寄稿、さらに杉崎栄介氏(芸術文化振興財団)の「他分野のクリエイターとの協働」と題した総括により、横浜の創造都市界隈の中心で活躍していた番場氏の活動を明らかにしている。



「3.交流」では、「富山」「あそべるとよた」「JLAU観光部会」「旅女将」「開港5都市景観まちづくり会議」「ヘリテイジタイムズ横浜・神奈川」の関係者の寄稿から、番場氏の多岐にわたる活動を明らかにしている。

「4.個人としての番場俊宏」では小泉雅生氏(展覧会の実行委員長)や発起人、さらには家族の寄稿から見た一人の個人としての番場俊宏氏の人間像に迫っている。

全体では140人以上からが寄せられたテキストと写真を、展示と同様に正方形をモジュールとしてモザイク状に組み合わせ、徐々に多重的に解像度が上がっていく様子を視覚的にも得ることができる。

展示会に立ち寄ることが出来なかった方にも是非手に取っていただきたい。




番場俊宏を語り合う 「今こそシェアしたいトシヒロバンバの話」〜スナック象の鼻」


「スナックゾウノハナ」は象の鼻テラスが、より市民に開かれたテラスを目指し、人々の出会いと交流を生み出すサロンとして始めた夜のイベントの愛称である。本物のスナックではなく、営業時間の後に開かれるアーティストと来場者をつなぐ交流の場、音楽ライブ、その他講座などのイベントのことをさす。



今回の展覧会ではその「スナックゾウノハナ」の形を借りて、新たなつながりを作りたいと開催する交流会として、展覧会中日の10月25日夜「スナック象の鼻〜今こそシェアしたいトシヒロバンバの話〜」が開催された。

この企画には、平日夜にも関わらず、富山、神戸、長崎などの遠方から駆けつけた参加者も含めて約180人が参加した。



会場では本物のスナックを模したママ(番場絵里香氏・番場美莉氏)が、番場氏がコレクションしていたウィスキーを参加者に振る舞いながら、「番場氏とどのような活動をしていたのか」などの思い出を語りあった。

また、番場氏と関係の深い参加者はチーママ・チーパパと称し、その人から見た番場氏を参加者に紹介し、人と人とを繋いでいった。

多くの参加者が、密に楽しくそれぞれの番場俊宏を共有し、大いに盛り上がった。

帰りがけに本物のスナックの看板のように優しく光る看板サインで記念写真を撮る参加者の笑顔がこの会の雰囲気を物語っていた。


撮影:菅原 康太


展覧会はこのスナックの後も展示が続いた。最後の2日間は週末とあって、たまたま通りかかったという方、Facebookで展示会の盛り上がりを知り駆けつけたという方、などそれまで以上に多くの見学者が訪れ、会期中の象の鼻テラスの入場者は約8,000人を数え、無事終了した。

番場俊宏氏が建築に軸足を置きながら、様々なジャンルにアプローチし、そこで仲間に頼られ、家庭では家族に愛され、駆け抜けていった45年間の人生を、「多重解像度」的に追体験する展示会であった。



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