[歴湯_12]湯河原温泉「伊藤屋」
- heritagetimes

- 6月12日
- 読了時間: 6分
更新日:6月15日

湯河原・伊藤屋「政治と文学を宿す温泉建築」
「足柄の土井の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」と『万葉集』に詠まれた湯河原温泉は、万葉の時代からその名を知られていた。夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介をはじめ、多くの文士が逗留したことでも知られている。
今回訪れた「伊藤屋」は、その湯河原温泉の中でも、昭和の大事件「二・二六事件」の現場となり、また島崎藤村ゆかりの温泉宿として名高い。明治21(1888)年に創業された老舗温泉宿である。
今回も、[歴湯_10]湯河原温泉「源泉上野屋」、[歴湯_11]湯河原温泉「ゆ宿 藤田屋」に続き、湯河原温泉の魅力を伝える街歩きイベント「湯探歩(ゆたんぽ)」の一環として企画された、館内見学と入浴体験ができるツアーに参加した。
趣ある門をくぐり、玄関ロビーに集合すると、若旦那による館内ツアーが始まった。
まずは、伊藤屋の歴史について解説がある。
明治末から大正期にかけての湯河原は、東京から鉄道で数時間という地の利もあり、政治家や文化人の避暑・湯治の地として栄えた。伊藤屋もまたその流れに乗り、数寄屋造りの離れや書院造の客室を整備してきた。
昭和史の渦中にあった宿 「二・二六事件と光風荘」

昭和11(1936)年2月26日、陸軍の青年将校たちが起こしたクーデター未遂事件「二・二六事件」は、東京の政財界に衝撃を与えると同時に、遠く離れた湯河原にもその火の手が及んだ。湯河原は、東京以外で唯一、事件の現場となった地である。
伊藤屋が所有していた別邸「光風荘」は、当時静養中だった元内大臣・牧野伸顕伯爵の滞在先であり、襲撃目標とされていた。
襲撃部隊の河野寿大尉らは、数日前より伊藤屋本館に宿泊して現地調査を行い、事件当日未明に光風荘を襲撃、放火した。この襲撃で警備中の巡査が殉職、建物は全焼したが、牧野伯爵は女中たちの機転により女物の着物で変装し、裏山へと逃れた。逃走中に伊藤屋当主・岩本亀三と遭遇し、亀三は自身も銃弾を受けながら伯爵を安全な場所へ導いた。この救出劇は、のちに警察や政府関係者によって高く評価され、岩本亀三には感謝状と褒章が授与された。
その後、焼失した光風荘は再建され、現在は伊藤屋の施設ではないものの、二・二六事件の貴重な資料を展示する記念館として、週末を中心にボランティアによる一般公開がなされている。
文人墨客の宿「島崎藤村を筆頭に文学とともに歩む」

伊藤屋のもう一つの顔は、「文人の宿」としての歴史である。特に島崎藤村は幾度も伊藤屋に逗留した。案内をしてくださった方によれば、「湯河原を訪れた文豪の多くは、宿にこもって執筆することが多かったが、藤村は出版社への原稿提出後、約一週間、温泉保養を兼ねて伊藤屋に投宿するのが常であった」という。ロビーには、藤村が宿泊した際の宿帳と献立が展示されている。
与謝野晶子・鉄幹夫妻もこの宿に親しみ、短歌に湯河原の湯や風物を詠み込んだ。その他、志賀直哉、谷崎潤一郎、里見弴、山本有三、有島武郎、黒田清輝といった明治・大正・昭和の錚々たる文人たちが名を連ねた。伊藤屋はまさに「創作の場」「思索の地」として機能したのである。
こうした文学的遺産は、宿の構えや調度、庭の意匠にまで浸透しており、今日でもその余韻を感じることができる。
登録有形文化財の建築美「本館と奥棟、門柱と石垣」

伊藤屋の建築群は、平成26(2014)年に国の登録有形文化財に指定された。対象は「本館」「奥棟」の2棟と、「門柱・石垣」の計3件である。
本館は大正15(1926)年築、南向きの総二階建。入母屋造桟瓦葺で上下階に庇をめぐらし、二階縁の南面では、腰部や欄間にもガラス窓を建て付け、開放的な形式となっている。客室の内部造作も座敷飾など繊細な意匠が施されている。
本館北側の傾斜地に建つ奥棟は、大正元〜7(1912〜1918)年築の木造二階建で、同じく入母屋造桟瓦葺。上下階とも客室を配し、本館同様、南面の全開口部にガラス窓を設けている。内部では違棚や床脇にも窓を開け、通風採光に配慮しつつ、細部の意匠も洗練されている。
門柱・石垣は、敷地南面の入口中央東寄りに門柱一対を立て、左右に石垣をのばす構造である。門柱は花崗岩製で瘤出し仕上げに丸面取りが施され、石垣は方形切石を高さ一〜二メートルに布積し、頂部に蒲鉾形の笠石を載せている。積石の丸面も相まって、重厚ながら柔和な印象を与える。
二・二六事件ゆかりの客室「本館19番」

最初に案内されたのは、本館19番。庭先に面した純和風の二階客室であり、二・二六事件の際に河野大尉と民間人の渋川善助夫妻が偵察のために宿泊した、事件ゆかりの部屋である。南面には大きく開かれたガラス戸があり、そこから襲撃現場である光風荘が望める。
間取りは8畳の本間に加え、6畳の次の間、廻り縁、踏み込み2畳ほどに洗面・トイレが付属する。水回りは改装されているが、極力往時の姿が残されているという。廻り縁との間には猫間障子が設えられ、庭の景色を室内に取り込む工夫が施されている。本間と次の間に欄間が造られていないことから、「もとは二部屋として使われていたのではないか」との説明があった。
本館(奥棟)52番「大正書院造の特別室」

伊藤屋の客室の中でも特別な存在が、本館52番である。この部屋は大正4(1915)年頃、明治天皇の侍従長・徳大寺実則公の滞在を目的として建てられた。
10畳の本間に6畳の次の間、4.5畳の化粧の間、広縁を備えた贅沢な造りで、障子、欄間、手すり、建具の細部にまで職人の手仕事が光る。今も使われている歪みのある昔の硝子からは、柔らかな光が差し込み、現代建築では味わえない趣を醸し出している。

床の間の床柱や床框には黒檀が使われており、下り壁の小口には左官の手で木目が描かれている。北側の壁には一見はめ殺しに見える窓が実は開戸となっており、これは緊急時の脱出口として設けられたものである。トイレも天井に網代が施され、通風口としての機能を持っていた。
19番同様、本間と広縁との間には猫間障子が配され、開口部には結霜ガラスがふんだんに使われている。窓の外には伊豆や熱海方面の山並みが広がり、湯河原の自然を一望できる。
歴史的価値と景観を兼ね備えたこの部屋は、まさに伊藤屋の象徴であり、「泊まれる文化財」と称するにふさわしい。
湯河原の名湯──自然と文学を溶かす湯
文化財の部屋を見学した後は、いよいよ温泉入浴体験となった。伊藤屋の湯は、ナトリウム・カルシウム-塩化物泉であり、湯河原温泉の源泉を引いている。神経痛、筋肉痛、疲労回復などに効能があるとされる。
宿内には男女別の内湯、貸切風呂、露天・半露天風呂が設けられており、静かな木造空間の中、湯のぬくもりと湯音に包まれる体験は格別であった。

文化と時間を宿す場としての伊藤屋
旅館伊藤屋は、130年を超える歴史の中で、昭和の激動を物語る政治的事件、文人たちの創作活動、日本建築の美、そして湯河原の名湯という四つの要素を絶妙に融合させてきた。そして、それらすべてが凝縮された象徴が「本館52番」である。
単なる宿泊ではなく、「文化体験」としての滞在──それこそが伊藤屋の真の価値であり、訪れる者の心に深く刻まれる理由である。歴史の一頁に身を置き、文学者の息遣いに耳を澄まし、湯のぬくもりに心身を委ねる。伊藤屋は、そうした贅沢な時間を今も変わらず提供し続けている。

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