[レポート]花と器のハーモニー2025【横浜山手西洋館】
- heritagetimes

- 6月15日
- 読了時間: 12分

横浜山手西洋館では、ガーデンネックレス横浜の一環として、令和7(2025)年6月6日(金)から6月15日(日)までの10日間、「花と器のハーモニー」が開催された。
今年で23回目を迎え、「~祝 7つの館に寄せて~」をテーマに、第一線で活躍するテーブルコーディネーターらが、それぞれの「祝」のシーンを演出した。
山手111番館

みなとみらい線・元町・中華街駅からアメリカ山公園のエレベーターを利用し、山手本通りを抜けて港の見える丘公園に至る。そこから右折しワシン坂通りを進むと、噴水のあるバス転回広場の先に、スパニッシュスタイルの山手111番館が姿を現す。

展示テーマは「ビジネス 〜祝う気持ち〜」である。使用された食器は、ハンガリーの名窯「ヘレンド」のものであり、静岡・三島の「市川バラ園」のバラとともに、上質なテーブルコーディネートが展開された。担当は、ヘレンド/モーゼル日本総代理店・星商事の塩谷博子氏。塩谷氏は、美術館やハンガリー文化センター、百貨店などでヘレンドの魅力を紹介し、販促物のデザインやテーブル装飾なども手がけている。
会場内にはヘレンドの歴史に関する展示資料もあり、単なるテーブルデコールにとどまらない文化的背景の提示がなされていた。

山手111番館は、大正15(1926)年、アメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。設計はJ.H.モーガン。ベーリック・ホールの設計者でもある。玄関前に施された3連アーチ、屋根のないパーゴラ形式の屋外空間、地階のガレージと使用人部屋、1・2階に設けられたホール、食堂、寝室、スリーピングポーチなど、当時の西洋住宅の生活様式を体現している。

平成8年(1996年)に横浜市が敷地を取得し、改修のうえ平成11(1999)年から一般公開。現在は喫茶室を併設し、モーガンに関する常設展示もあり、横浜市の指定有形文化財となっている。

横浜市イギリス館

山手111番館からワシン坂通りを山手本通り方向に少し戻ると、車寄せを備えた重厚な建物・横浜市イギリス館が姿を現す。

展示テーマは「祝 開港 ~西洋文化との出会い~」である。使用された食器は、明治15(1882)年創業の横浜本町「タカラダ」などのもので、開港期を想起させる趣向が凝らされていた。船内のランチビュッフェを思わせる演出がユニークであり、異国文化との邂逅を象徴する空間構成となっていた。

担当は松田千香子氏。平成15(2003)年より英国スタイルのフラワーアレンジメント教室「Hearty Style」を主宰。テーブルコーディネートと紅茶のレッスンを融合させた活動を展開している。香港駐在中に東西文化の融合に触れ、現在の創作に大きな影響を受けたという。

横浜市イギリス館は、昭和12(1937)年に上海の大英工部総署の設計により英国総領事公邸として建てられた鉄筋コンクリート2階建の建築である。1階南側にはサンポーチと客間、食堂が連なり、芝生の庭に面した広いテラスを備える。2階には寝室や化粧室、地下にはワインセラー、付属屋は使用人の住居であった。

玄関脇の王冠入り銘板や「British Consular Residence」の銅板が、往時の外交官邸としての格を物語る。昭和44(1969)年に横浜市が取得し、市民の文化利用施設として整備。現在は1階のホールでコンサート、2階の集会室で会議などが行われており、横浜市の指定有形文化財となっている。

山手234番館

港の見える丘公園から山手本通りに出て、西に進むと山手三塔の一つである山手聖公会の隣に、列柱が印象的な正面テラスをもつ建物が現れる。これが山手234番館である。
今回の装飾テーマは「人生の特別な節目を祝う食卓」。フランス・リモージュ地方で創業した老舗磁器ブランド「アビランド」の食器と花を用い、長寿祝いを想起させる華やかなダイニングが演出されていた。

装飾を担当したのは、フラワー&テーブルコーディネーターであり、「ミューゼ」代表の鬼頭郁子氏である。鬼頭氏は、花とテーブルの教室を主宰し、さまざまなテーマでアール・ド・ヴィーヴル(暮らしの美学)を学び体感できるレッスンやイベントを開催している。著書も多数出版しており、HAVILAND(アビランド)の日本代理店、一般社団法人「花・芸術文化協会」理事長を務めるなど、多方面で活躍している。

山手234番館は、昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として現在の地に建てられた。これは、関東大震災からの復興事業の一環であり、横浜を離れていた外国人居住者を呼び戻す目的があった。設計は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じく、建築家・朝香吉蔵によるものである。

建設当初、建物は中央の玄関ポーチを挟んで対称に配された4つの同形式の住戸から成り、上下2層構造となっていた。各住戸の間取りは3LDKとされ、合理的かつコンパクトに設計されていた。上げ下げ窓や鎧戸、煙突といった洋風住宅の典型的な意匠も、簡素ながら採用されており、震災復興期の洋風建築の特徴を示している。

第二次世界大戦後は米軍に接収され、その後も昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元(1989)年、横浜市が歴史的景観保全のために建物を取得。平成9(1997)年から保全改修工事が行われ、平成11(1999)年より一般公開されている。
エリスマン邸

山手234番館の道を挟んで反対側に位置するのが、エリスマン邸である。
今回の装飾テーマは「成長を迎える子どもの誕生祝い ~想いと願いを紡ぐ~」。まもなく成人を迎える子どもの誕生日を、家族三代で祝うテーブルを想定し、大正8(1919)年創業の老舗磁器メーカー「大倉陶園」や、輪島塗の「中門漆器店」の器、そして胡蝶蘭の花を用いて華やかに演出している。

装飾を担当したのは、フラワー・テーブルコーディネートおよび食空間のプロデュース会社「花生活空間」の代表である浜裕子氏である。浜氏は、テーブルコーディネートのレッスンや講演活動のほか、旅館や料亭における器のコンサルティングも手がけている。
これまでに料理や食器に関するテーブルコーディネートの書籍を30冊以上出版し、海外にも展開。NPO法人食空間コーディネート協会の副理事長も務めている。

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅である。大正14(1925)年から翌15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられた。
設計を手がけたのは、「近代建築の父」と称されるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドである。

創建当初は木造2階建て、和館付きの建物で、建築面積は約81坪。屋根はスレート葺き、上階は下見板張り、下階は竪羽目張りの白亜の洋館であった。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸など洋風住宅の意匠を取り入れつつ、軒の水平線を強調するモダニズム的要素も備えていた。設計者レーモンドの師である世界的建築家フランク・ロイド・ライトの影響も随所に見受けられる。

昭和57(1982)年、マンション建設に伴い解体されたが、平成2(1990)年に元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)へ移築・復元された。
1階には暖炉付きの応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、当時の簡潔で機能的なデザインが再現されている。家具もまた、レーモンド自身の設計によるものである。

かつて寝室が3部屋あった2階には、写真や図面を用いて山手の洋館に関する資料が展示されている。また、旧厨房部分は喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されており、来館者の憩いの場や地域活動の拠点として親しまれている。

ベーリック・ホール

山手234番館を出て山手本通りを西に進むと、右手に広い敷地を持つ西洋館が見えてくる。ベーリック・ホールである。
今回の装飾テーマは「漆とガラスで彩るウェディング」。和と洋が織りなす装飾が施されている。

ダイニングルームは「結納後の食事会」、ホールは「披露宴」、夫人寝室・サンポーチは「バータイム」と、それぞれの空間で幸せな結婚式を時系列で追体験できる構成となっていた。中でも圧巻なのは披露宴会場であるホールである。長テーブルに並ぶ器と花が、今にも宴が始まりそうな気配を漂わせていた。

装飾を担当したのは、食空間およびフードコーディネーターのひがしきよみ氏である。ホテルやレストラン、食関連企業など幅広い分野で空間演出を手がけており、自ら主宰する「ひがしきよみテーブル&フードコーディネートスクール」(1997年設立)を中心に活動している。第1回フードコーディネーター選手権TVチャンピオン、東京ドームTWFコンテスト最優秀賞など、受賞歴も多数である。
ひがし氏は、「明治時代、輪島市の門前町からこの横浜に移転した總持寺。輪島と横浜の縁を感じながら、能登に想いを馳せ演出した」と語っている。

ベーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として昭和5(1930)年に建設された。第二次世界大戦前までは住宅として使用されたが、昭和31(1956)年、遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、平成12(2000)年まではセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われていた。

本館の設計を担当したのは、アメリカ人建築家J.H.モーガンである。モーガンは、山手111番館、山手聖公会、根岸競馬場なども設計しており、横浜に多くの建築作品を残した。ベーリック・ホールは現存する戦前の山手外国人住宅の中で最大規模を誇り、約600坪の敷地に建つ。

建物はスパニッシュスタイルを基調とし、玄関の三連アーチ、クワトレフォイル(四つ葉模様)の小窓、瓦屋根を持つ煙突など、外観には多彩な装飾が施されている。内部には、広いリビングルームやパームルーム、化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、子息の部屋にはフレスコ技法による壁画の復原がなされるなど、建築学的にも高い価値を有している。

平成13(2001)年、横浜市が敷地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物は宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受けた。その後、復原・改修工事を経て、平成14(2002)年より建物と庭園が一般公開されている。横浜市認定歴史的建造物である。

外交官の家

山手公園から山手本通りに戻り、さらに西へ進んで案内標識に従い右へ折れると、山手イタリア山庭園に辿り着く。この地は、明治13(1880)年から明治19(1886)年までイタリア領事館が置かれていたことに由来し、「イタリア山」と呼ばれている。
庭園は、イタリアで多く見られる様式を模して造られ、水や花壇が幾何学的に配されたデザインが特徴である。「バラと光輝く噴水の庭」をテーマにリニューアルされ、新たなバラの名所としても注目されている。
この庭園内には、外交官の家とブラフ18番館が建つ。まずは外交官の家に向かった。

今回の装飾テーマは「七夕の祝い 〜寄物陳思〜」。七夕を題材とし、館全体を使って季節の室礼が表現されている。
装飾を手がけたのは、室礼三千を主宰する山本三千子氏である。山本氏は、南宋瓶華四世・田川松雨氏に師事し、室礼の道を学び、平成7(1995)年から教え始めた。現在は、カルチャースクールで講師を務めるほか、雑誌やテレビなど多方面で活躍している。

山本氏は次のように語っている。「七夕といえば、牽牛と織女の物語が思い浮かびます。同時に、七夕は夏の収穫期にあたり、神様に作物の実りを感謝し祝う日でもありました。室礼とは『季節を盛る』『言葉を盛る』『心を盛る』こと。収穫できた喜びと感謝の心を結果物に託す、そんな七夕の室礼をお楽しみください。」

外交官の家は、明治政府の外交官であった内田定槌(さだつち)氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。設計者はアメリカ人のJ.M.ガーディナーで、来日当初は立教学校の教師を務め、その後建築家として活動した人物である。

建物は木造2階建てで塔屋が付属し、天然スレート葺きの屋根と下見板張りの外壁を有する。華やかな装飾が随所に見られ、アメリカン・ヴィクトリアン様式の影響を色濃く残している。1階には食堂や大小の客間など重厚な部屋が配され、2階には寝室や書斎といった生活感ある空間が広がる。

室内の家具や装飾には、アール・ヌーヴォー風の意匠とともに、19世紀イギリスで展開された美術工芸改革運動「アーツ・アンド・クラフツ」のアメリカにおける影響も見て取れる。

横浜市は、平成9(1997)年に内田氏の孫である宮入氏から建物の部材の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築・復原を行い、一般公開を開始した。同年、国の重要文化財にも指定されている。
館内は、家具や調度品が再現されており、当時の外交官の暮らしを体感できるよう整備されている。また、各展示室には、建築の特徴やガーディナーの作品、外交官の生活についての資料も展示されている。付属棟には喫茶室も設けられており、来館者の憩いの場となっている。

ブラフ18番館

外交官の家を出て、庭園内の階段を上がると、一段下の敷地にブラフ18番館が姿を現す。
今回の装飾テーマは「ブラフ18番館 100年の今昔」。これは、ブラフ18番館がかつて建っていた場所において、関東大震災後に建築されてから100年の節目を迎えることを記念し、その時代の「大正ロマン」の雰囲気を再現したものである。

装飾を担当したのは、食空間コーディネーターであり、「花音フルールエターブル」主宰の福田博子氏である。福田氏は、平成30(2018)年および令和元(2019)年の東京ドーム・テーブルウェアフェスティバルに入選、平成29(2017)年にはTalkテーブル作品展にて協会賞を受賞するなど、豊富な実績をもつ。
また、令和4(2022)年には横浜市イギリス館、令和6(2024)年には本館であるブラフ18番館において「世界のクリスマス」の装飾を手がけるなど、西洋館における季節装飾の分野でも活躍している。

ブラフ18番館は、関東大震災後の復興期に山手町45番地に建てられた、オーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅であった。戦後はカトリック横浜司教区(当時は天主公教横浜地区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として使用されていた。
平成3(1991)年、横浜市が建物部材の寄贈を受け、現在の山手イタリア山庭園内へ移築・復元し、平成5(1993)年より一般公開されている。なお、解体時の調査により、震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、現在の建物に部材として使用されていることが明らかになっている。

建物は木造2階建てで、1・2階とも中廊下型の平面構成をとっている。外観は白い壁にフランス瓦の屋根をいただき、4つの暖炉を1つにまとめた合理的な煙突をもつのが特徴である。その他、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーやサンルームなど、洋風住宅らしい意匠が随所に見られる。また、外壁には関東大震災の経験を踏まえ、防災を意識したモルタル吹き付け仕上げが施されている。

館内は、震災復興期(大正末期〜昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現する内容となっており、当時元町で製作されていた「横浜家具」が修復・展示されている。さらに、平成27(2015)年には2階展示室の一部を寝室にリニューアルし、より生活感のある展示へと改められた。
本館につながる付属棟は貸しスペースとして活用されており、ギャラリーや展示会など多目的な利用が可能である。なお、同館は横浜市認定歴史的建造物に指定されている。

横浜山手西洋館で開催された「花と器のハーモニー」は、器と花の美が建築と響き合う魅力的な催しであった。未訪の方は、ぜひ来年こそ足を運んでいただきたい。
<関連記事>
![[記事紹介]入場無料チャリティーコンサート 12月9日、ウクライナ支援で【タウンニュース】](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_d11c84fbf5b94f32b301d2432ea9ad43~mv2.png/v1/fill/w_554,h_554,al_c,q_85,enc_avif,quality_auto/36bc9a_d11c84fbf5b94f32b301d2432ea9ad43~mv2.png)
![[記事紹介]開港の原点「横浜道」を歩く、港北ボランティアガイドが11月29日(土)にツアー【横浜日吉新聞】](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_fa2b0118697944a9a830f68c899405f5~mv2.jpg/v1/fill/w_300,h_300,al_c,q_80,enc_avif,quality_auto/36bc9a_fa2b0118697944a9a830f68c899405f5~mv2.jpg)
![[イベント]食べて、歩いて、感じる。三溪園の魅力をまるごと体験「錦秋の三溪園鶴翔閣ビュッフェランチ&庭園ガイドツアー」【三溪園】](https://static.wixstatic.com/media/36bc9a_11cfcd87cc814aabb0d781047fe734d3~mv2.png/v1/fill/w_920,h_450,al_c,q_90,enc_avif,quality_auto/36bc9a_11cfcd87cc814aabb0d781047fe734d3~mv2.png)
コメント