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[レポート]国指定重要文化財「臨春閣」特別公開【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】

臨春閣外観
臨春閣外観

三溪園内苑の景観の中心となる国重要文化財で通常内部は非公開となっている臨春閣の特別公開に参加した。このイベントは三溪園開園120周年を記念したイベントの第1弾で、「神奈川・横浜デスティネーションキャンペーン プレキャンペーン」関連企画としても位置付けられている。

見学は予約制で各回15名、20分の完全入替制で行われた。見学した順に見どころを紹介する。


目次







玄関棟


玄関棟から内苑を望む
玄関棟から内苑を望む

第一屋


鶴の間


玄関等から見た「鶴の間」
玄関等から見た「鶴の間」
狩野周信「鶴図」

松竹梅の中に戯れる鶴たちが描かれている。狩野周信(1660 - 1728)は江戸幕府に仕えた御用絵師で、最も格式の高い奥絵師4家のひとつ木挽町狩野家の3代目。


狩野周信「鶴図」
狩野周信「鶴図」

瀟湘の間


狩野常信「瀟湘八景図」

瀟湘八景は中国の山水画の伝統的な画題で、中国の瀟湘地方の8つの名所を描いたものである。狩野常信(1636 - 1713)は江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。子に後を継いだ長男・周信、別に浜町狩野家を興した次男・岑信、さらにそれを継いだ甫信がいる。


瀟湘の間 狩野常信「瀟湘八景図」
瀟湘の間 狩野常信「瀟湘八景図」
波の透かし彫り欄間

狩野探幽門下四天王のひとりで、薩摩島津家の絵師である桃田柳栄の下絵をもとに作られたと伝わる欄間。現在黒色に見えるのは、表面の銀が酸化したためと考えられている。


波の透かし彫り欄間
波の透かし彫り欄間

花鳥の間


狩野探幽「四季花鳥図」

四の花木の風景に、大小の鳥が彩りを添えている。狩野探幽(1602 - 1674)は若くて江戸幕府に仕える御用絵師となった早熟の天才。江戸城・二条城など公儀のほか、大徳寺などの有力寺院の障壁画も制作した。


花鳥の間 狩野探幽「四季花鳥図」
花鳥の間 狩野探幽「四季花鳥図」

台子の間


蓮の茎の戸

枯れ茎を使った戸。以前は蓮の茎が折れたり割れたりしていたが、「令和の大修理」の際、三溪園の蓮池から新たに材料を採集したものを利用し修理が行われた。


台子の間 蓮の茎の戸
台子の間 蓮の茎の戸

第二屋


琴棋書画の間


琴棋書画の間 狩野探幽「琴棋書画図」
琴棋書画の間 狩野探幽「琴棋書画図」
狩野探幽「琴棋書画図」

「琴棋書画」とは古来、中国で高士(こうし)の風流ごととして尊ばれた嗜みのこと。「琴」は楽器を奏でること、「棋」は囲碁の遊び、「書」は文学や書を嗜むこと、「画」は絵画鑑賞や画業を示している。横幅の広い壁面と4面の襖に4 種類の場面が描かれており、残り3面の襖は別作品を持ってきたと考えられている。作者は狩野探幽(1602 - 1674)。


菊・桐の透かし彫り欄間・浪華十詠和歌色紙
菊・桐の透かし彫り欄間・浪華十詠和歌色紙
菊・桐の透かし彫り欄間・浪華十詠和歌色紙

「琴棋書画の間」と「浪華の間」に設えられた欄間。繊細で瀟洒な菊の文様の欄間。菊の花葉、桐の葉枝の繊細な透かし彫りは、金梨地・銀梨地を置いた黒漆塗の額縁を支え、額縁の中には金砂子で雲や霞を表した色紙が収められている。

菊の欄間に収められている色紙には、江戸時代の公卿たちが浪華(難波・大阪のこと)や浪華から観える周辺の名所・景勝地の中から十景を厳選し、詠った和歌「浪華十詠」と呼ばれる和歌がしたためられてい。なお隣室「浪華」の室名はこの和歌色紙に因む。


浪華の間


浪華の間 伝狩野永徳「芦雁図」 下部に黒柿の框
浪華の間 伝狩野永徳「芦雁図」 下部に黒柿の框
伝狩野永徳「芦雁図」

芦の生い茂る中にう雁を描いた図。ただし移築前(八州軒時代)にこの部屋には大木の桜が中心に描かれた濃絵(だみえ)が収まっており、現在の襖絵は原三溪の好みにより改められたもの。部屋名の「浪華の間」が欄間に収められた「浪華十詠」に因むことに併せて浪華にゆかりのある「芦」を描いた芦雁図が選ばれたとも、旧天瑞寺寿塔覆堂の傍らに桜が植えられていたことから、屋内の眺望を意識し、実際の桜と絵の桜の重複を避けるために変更したとも考えられている。

作者と伝わる狩野永徳(1543 - 1590)は安土桃山時代の絵師で、狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え、安土城・聚楽第・大坂城などの障壁画を制作した。


黒柿の框

框(かまち)とは段差や開口部を美しく仕上げる化粧材で、ここでは「柿の木」が用いられている。柿の木は内部が稀に黒くなることがあり、「黒柿」という銘木として知られている。これほどの大木は大変貴重である。


海老虹梁
海老虹梁
海老虹梁

禅宗建築で用いられる意匠。「海老虹梁」。廊下の途中、住之江の間と浪華の間の境に相当する場所にある。


住之江の間


卍崩しの天井
卍崩しの天井
卍崩しの天井

竿縁天井を風車のように方向違いに卍状に組み合わせた珍しい大胆な意匠である。竿には自然のままの丸太材が用いられているのも数寄屋らしい造形。この竿材は全体が均一な太さになるよう一本の木を二つに分け太さを揃えるようつなぎ合わせてある。


住之江の間 伝狩野山楽「浜松図」・黒漆螺鈿細楼閣人物図扉
住之江の間 伝狩野山楽「浜松図」・黒漆螺鈿細楼閣人物図扉
伝狩野山楽「浜松図」・川面義雄「浜松図」

住之江の間を彩る障壁画。「浜松図」は海辺の松林の風景を描いた名所絵で、室町時代のやまと絵の画題として盛んに用いられた。床の間側の障壁画の作者と伝わるのは狩野山楽(1559 - 1635)。浪華の間境の襖絵は芦雁図に改められた際に原三溪により設えられたもので、川面義雄(1880 - 1963)により床の間側の意匠に合わせて作成された。川面義雄は東京美術学校卒の版画復刻の技術者。明治41(1908)年審美書院に入社し、「東洋美術大観」( 大正7年7月全巻完成)を初め、同書院発行の古美術書16種の着色木版の製作に従事した。大正12(1923)年頃、原三溪所蔵の名宝の複刻模写を行っている。


黒漆螺鈿細楼閣人物図扉
黒漆螺鈿細楼閣人物図扉
黒漆螺鈿細楼閣人物図扉

地袋の扉で、螺鈿により楼閣と人物が描かれている。螺鈿とは貝殻の内側の内側にある真珠層を削り木工品に象り嵌める(象嵌)する技法。

絵柄はすべて貝の内側の真珠層の部分を切り出して黒漆の地に貼り付けてさらに線刻を施した「螺鈿」により作り出されています。二枚は絵柄は似通っているが意匠は異なっており、一枚は中国清朝時代の物、もう一枚は明朝時代の物とされている。

また、地袋との寸法もあっていないことから、おそらく朝鮮由来の何らかの調度品の一部であったものを地袋扉に仕立て直したものと推定され、設置された詳細な時期は不明である。

原三溪は臨春閣を「豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構」と考えており、この螺鈿の扉を秀吉が朱印船貿易によって入手したものと考えていたのかもしれない。


左に川面義雄「浜松図」・右奥に立涌文欄間障子
左に川面義雄「浜松図」・右奥に立涌文欄間障子
立涌文欄間障子

立涌文(たてわくもん)とは、日本の伝統的な文様の一つで、雲や波の立ち昇る様子を表現している。曲線部分は木を曲げて作ったものではなく、板から切り出している。組子の繊細さが見どころ。


湯殿・便所


三溪は移築にあたり、使用するはずもない御殿建物の水廻り部分を仕組みまで厳密に整えている。便所は床下に排泄物処理用の排水路や砂箱を設え、湯殿も排水路の石組を池に向けて設えている。砂雪隠という、茶事において茶室に入る前の待合場所である腰掛待合の横にある便所(実際に使う便所ではなく、飾り用の雪隠)を模したのかもしれない。


便所
便所

繫の間


伝狩野山楽「板絵十二図額」

時代装束を身にまとった十二支が板に描かれている。繋の間は、三溪園移築後に新設された箇所だが、この板絵は八州軒時代から受け継がれたものと想定され、大阪にあって「八州軒」と呼ばれていた時代の「豊臣秀吉の夫人北の政所室に備へたりし十二支鏤刻の納戸」(『大阪府誌』大阪府編・明治36年)と記述されているものに相当すると考えられている。

画題については、十二支の動物たちが「歌合」をしたことから始まる、室町時代に作られた伽草紙(とぎそうし:短編の絵入り物語)「十二類絵巻」との関連性が検討されている。


繫の間 伝狩野山楽「板絵十二図額」
繫の間 伝狩野山楽「板絵十二図額」

「令和の大修理」の際、複製を作成する案が検討されたため、描かれた絵について詳細な調査が行われた。現在では技術の進歩により、褪色・劣化してしまった材料でも素材を調べる事が出来るため、どのような絵の具を使って描かれたかが分かる。また、特殊光撮影により、目に見えない線を見出すことが可能となる。これらの技術により、色鮮やかな色彩の衣をまとった、表情豊かな動物たちが描かれていたことが判明している。


繫の間 伝狩野山楽「板絵十二図額」(部分)
繫の間 伝狩野山楽「板絵十二図額」(部分)

作者と伝わる狩野山楽(1559 - 1635)は武士の家系に生まれた画家で、豊臣秀吉に重用され豊臣家の関係の諸作事に関わった。江戸幕府の時代に改まって以降は京都に留まり、

後に江戸狩野に対して「京狩野」と呼ばれる一派の活動の基盤を作った。


第三屋


次の間


次の間 花頭型の階段入口・雲澤等悦「山水図」
次の間 花頭型の階段入口・雲澤等悦「山水図」
花頭型の階段入口

禅宗建築で用いられる「花頭窓」の意匠を流用している。階段は江戸時代の建築にしてはかなりゆったり、朱漆の手摺にも華やかな意匠が見られる。


雲澤等悦「山水図」

雄々しい枝ぶりの松、荒々しい岩肌を持つ山にたたずむ寺院、湖に浮かぶ帆船。深山幽谷を思わせる景を、荒々しく、時に繊細な筆運びで描いた水墨画。雲澤等悦(三谷等悦と同一と

する説もあり・? - 1675)は久留米藩の御用絵師として活躍した人物。雪舟の流れをくむ雲谷派に属する。


天楽の間


天楽の間 楽器の欄間
天楽の間 楽器の欄間
楽器の欄間

雅楽で用いられる楽器が欄間状の装飾に収められている変わり種の欄間。楽器は、床の間側から龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)・篳篥(ひちりき)・笙(しょう)。楽器は実は簡単に取外しが可能。「天楽」の室名は、この楽器の欄間に因む。


天楽の間 狩野安信「四季山水図」
天楽の間 狩野安信「四季山水図」
狩野安信「四季山水図」

「次の間」の「山水図」に比すると繊細な風景、柔らかな筆運びで描かれた水墨画。数寄屋のたおやかな風情のある床の間とも良く似合う。狩野安信(1613 - 1685)は狩野探幽の弟で、狩野宗家の中橋狩野家の祖。


床の間

天楽の間は三溪時代、豊臣秀吉の側室である淀君の化粧用の部屋として考えられていた。床框が朱塗漆でたおやかな雰囲気、地袋戸も華やかで引手の菊の金具が繊細かつ豪華である。


天楽の間 床の間
天楽の間 床の間

今回の特別公開では短い時間であったが、「令和の大修理」以降の臨春閣の様子を間近に見ることができた。また、3年前の特別公開時には写真撮影が不可だったが、今回は定員が設けられ、撮影の許されていたため、じっくりと細部を確認することができたのも貴重な機会となった。今後の三溪園開園120周年を記念したイベントにますます期待が高まった。



琴棋書画の間から亭榭を望む
琴棋書画の間から亭榭を望む

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