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[歴飯_80]そば処 ふか沢

更新日:2021年10月12日



国道246号線から山北町の大野山山頂に向かう車一台がやっと通れる山の中の道を上がっていった中腹に深沢集落がある。集落の中程に静かに佇む古民家を改装してオープンした蕎麦屋こそ、今回訪れた「蕎麦処ふか沢」である。

一枚板に「ふか沢」と書かれた看板を見ながら路地を入った先を曲がり振り返ると、引戸の玄関があり、靴を脱いで床に上がる。上がった先には、古い趣のある戸棚に、店主の趣味なのか車やオートバイにちなんだものが所狭しと並べられている。



玄関から見て左手に二間つづきの客間がありそのさらに屋が調理場になっている。客間には、立派な 一枚板のテーブルが3つ、囲炉裏のテーブルがある。入店時にはそれぞれのテーブルに先客が付いていたが、入口から一番手前の掘り炬燵になっているテーブルに相席で案内された。ご夫婦二人でお店を回しており、接客や配膳は、ややゆっくりしている印象をうけるが、調理場の方からから聞こえてくる掛け合いも微笑ましい。ゆっくりとメニューを眺めながら考えていると、しばらくして注文を取りに来たので、天せいろをオーダーした。



改めて店内を見回すと、車グッズのコレクション以外も、店内にはシンガーミシン、薪ストーブ、バイク、民芸品、黒電話と興味をそそるものがたくさん置いてあるので、一つ一つを堪能しているとあっという間に時間も過ぎてしまう。

そうしているうちに、注文した天せいろが運ばれてきた。せいろには中細の蕎麦と秋田の「蕎麦かっけ」のような布状の蕎麦も添えられていてアクセントになっている。そこに、お皿の上にこんもり盛られたボリュームたっぷりの野菜天ぷらとかぼちゃの煮物、卵焼きが添えられている。山間の柔らかい光が差し込み蕎麦と天ぷらが光っていた。

蕎麦屋なので、ここは蕎麦から食べるのが道理なのだろうが、目を引いた天ぷらから、つい手をつけてしまった。かぼちゃ、さつまいも、ナス、インゲン、じゃがいも、にんじんゴーヤ、ズッキーニ、舞茸、こんにゃくと種類も豊富な天ぷらの下には、さらにかき揚げまであった。



いずれも地場のものなのだろうか、新鮮、揚げたてで歯応えもあり美味しい。

蕎麦は、蕎麦本来の香りと蕎麦の実の食感を残し、コシが強いながら、喉越しの柔らかい、優しい仕上がりとなっている。

ボリューム満点の野菜天ぷらと蕎麦を交互に食べ進め、満腹となる。と、そこへ蕎麦湯が運ばれてくる。豊かな香りのする蕎麦湯をいただきながら、外に目をやると、山野草や手水鉢が並んでいる庭が見えた。



会計を済ませて、腹ごなしに外へ出ると、改めてこの古民家が切り立った地形の中腹で森の豊かな木立に囲まれているかがよくわかった。

元々、この古民家が佇む深沢集落は幾度の災害による苦難を乗り越えてきた皆瀬川村に属していた。元禄16(1703)年の小田原大地震では村の9割の家屋が倒壊する被害に見舞われ、4年後の宝永4(1707)年、富士山・宝永大噴火により積もった火山砂が、大雨のたびに川に流れ込み、天然のダムを作り、満水になれば破堤し下部をいっきに壊滅させるといった災害を繰り返している。皆瀬川村が都夫良野村と合併し共和村となった後も苦難は受難は続き、大正12(1923)年9月1日の関東大地震でも斜面が崩壊。 続く9月15日の大雨により、地震で軟弱となっていた斜面を巻き込んだ土石流が発生し、村は壊滅的な被害を受ける。

さらに大正13(1924)年1月の余震でも前年崩れ残った斜面が崩壊し、その年の8月と翌年の8月にも大洪水に見舞われでいる。

帰りがけに駐車場をみると、外国の旧車が2代ほど並んでいた。なるほど、店主の趣味の仲間なのかもしれない。

古民家と旧車。一見、ジャンルは違うかもしれないが、古き良きものの価値を知り、それを守り育てるマインドというのは、共通しているのかもしれないと思いながら、店を後にした。




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