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[コラム]関東大震災100年 | 05 - 震災復興建造物 - ホテルニューグランド本館 / 旧横浜商工奨励館 / 外国人向け復興住宅 - ぼうさいこくたい2023連携企画【THE HERITAG-

更新日:2023年8月26日



横浜公園や日本大通りに代表される横浜市中心部は、観光にビジネスに、連日多くの人々が行き交っている。そんな街中を歩くと、装飾等で彩られた歴史的建造物に目を奪われる。これらの建造物の多くは、震災復興期に建てられた。地震に強い構造とされる鉄筋コンクリート造の建築物の外観を、タイルやモザイク、幾何学パターンの装飾で彩った様式は、「アール・デコ」と呼ばれる。ここで紹介する旧横浜商工奨励館(現:横浜情報文化センター)やホテルニューグランド本館はその代表格と言えよう。この様式は、昭和元(1925)年にフランスのパリにて開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会(パリ万博)」に幾何学的な模様や機能性を意識したシンプルでモダンなデザインの作品が多く出展されたのを機に、工業化も背景となって世界各地で流行していく。

この時期に横浜市主導で建設された復興建築を設計したのは、市の建築営繕組織である「建築課」である。公共建築の需要が高まった大正11(1922)年に発足した「建築課」だが、翌年に発生した関東大震災により、意図せずその業務の中心は震災復興への対応となっていく。同組織を率いたのは、初代建築課長の山田七五郎である。長崎県の技師であった山田は、東京駅や日本銀行の設計者としても著名な辰野金吾の指導の下、長崎県庁舎の設計を担当、後に長崎市の技師も兼任し、長崎市庁舎の設計に携わるなど長崎を拠点に設計活動を行っていた。大正2(1913)年に開催された開港記念横浜会館(現:横浜市開港記念会館)の設計コンペにて一等となった福田重義案の実施設計担当者として招聘され、その翌年横浜の地に降り立つ。当時の横浜市長であった荒川義太郎の前職が長崎県知事であったこと、コンペ一等となった福田は辰野の弟子にあたることも山田に依頼があった一因かもしれない。こうして、横浜市の技師として設計活動が始まっていくのだが、震災復興が始まった当初に開催され、「アール・デコ」様式が花開いたパリ万博の日本館の設計も山田が担当しており、「アール・デコ」様式に早い時期に触れていた可能性もある点が興味深い。

ここで横浜市建築課が関わった2つの震災復興建築と外国人向け復興住宅を紹介したい。


 

ホテルニューグランド本館(横浜市認定歴史的建造物)


震災復興により整備された山下公園の向かいに建つ、ホテルニューグランド。『横浜の復興概要』(1925年 横浜市)には「帝国の関門たる本市に良好なるホテルを有することは単に市の復興上必要なるのみならず、将来の繁栄上にも至大の影響あり。」と記載があるように、横浜市復興会にて決議された「外国人ホテル建設の件」を端緒にしたホテル建設計画の下、横浜市と民間で共同して整備され、昭和2(1927)年に開業した。設計は服部時計店(現:銀座和光)の設計者としても著名な渡辺仁だが、横浜市建築課も関与しているそうだ。歴史的価値等が評価され、平成19(2007)年には経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。構造は鉄骨鉄筋コンクリート造を採用することで、地震に強い造りとするだけでなく、角を湾曲させ窓を設けることも可能となっている。表層は軒下に歯のように並んだデンティルモール、角に設けられたメダリオンなど随所にアール・デコ様式の特徴が見られる。内部に入ると、正面の大階段はタイルで彩られ、エレベーター上部には天女をモチーフとした京都の川島織物の綴織、照明は灯篭型で、マホガニーの柱頭飾りには弁財天のレリーフ付く和洋折衷のデザインが特徴的である。ホテルのロゴやかつてメインダイニングとして使用されていたフェニックスルームには随所に不死鳥のモチーフが使用されており、復興への願いが込められている。平成26(2014)年、平成28(2016)年には、漆喰天井等の装飾を細部に至るまで計測し図面化した上で、内部の耐震改修工事が行われた。


 

旧横浜商工奨励館[横浜情報文化センター](横浜市認定歴史的建造物)


震災で被害を受けた横浜商工会の再起や産業振興を目的として、昭和4(1929)年に整備された施設である。1、2階には貿易品を紹介する陳列棚が設けられ、上層階には商工会議所の事務所が置かれた。設計は横浜市建築課の直営であり、長崎県の技師時代に山田の下で腕を振るった木村龍雄を中心とした技師たちによる。日本大通りに面した3階の一画には、皇室を迎えた「貴賓室」も設けられている。外観は、低層部は石張り、上層部は荷重なども考慮してか、石張り風に見えるよう加工した人造石仕上げとなっている。ホテルニューグランドと同じように、軒下に並ぶデンティルモール、角を湾曲させ窓を設けるデザイン、正面入口の六角形の窓枠等、随所にアール・デコ様式の特徴が見られる。内部は正面に大階段が連なり、大理石やタイル、金属を加工した柱頭飾りで彩られる。1、2階と3階の「貴賓室」前のタイルや手すりの仕様が異なるのも見どころの一つである。「貴賓室」の格天井内部に描かれた天井画は復興への願いを込めたのか、不死鳥がモチーフとなっている。昭和50(1975)年の商工会議所移転後は、長らく空き家となっていたが、平成4(1992)年に活用が検討され、平成11(1999)年に新築棟を加え、「貴賓室」等の内部空間の一部を保全した複合施設「横浜情報文化センター」として開館した。


 

外国人向け復興住宅


先に紹介した2施設に加えて、「外国人向け復興住宅」についても紹介したい。震災前の横浜は国内有数の貿易港として、外国人居留地のあった山下町や山手町を中心に多くの外国人住宅が建てられていた。震災により壊滅的な被害を受けたことで、その多くは東京や神戸等に移住してしまう。こうした状況を打破し、外国人を再び横浜の街に呼び戻すための外国人向けの住宅が整備されていく。山手の丘には横浜市主導の外国人向け住宅だけでなく、民間でも同様の住宅が整備されており、山手西洋館の1館である山手234番館はその代表である。隣接する「えの木てい」も手掛けた朝香吉蔵の設計で、中庭を囲うように配置された3LDKの同一の間取りを4つ持つ共同住宅として整備された歴史を持つ。

今回紹介した施設は、いずれも一般公開されており、横浜観光の拠点となっている。今日の横浜の街を歩くと一面の瓦礫の中からこれらの施設が建ち上がってきたことは容易には想像できないかもしれない。それでも関東大震災の復興から100年を契機に、改めて横浜の街に目を向け、先人たちが積み上げてきた歴史に想いを馳せてみてはいかがだろうか。



【参考文献】

  • 『横浜市都市発展記念館紀要 第13号』 2017年 横浜市都市発展記念館

  • 『横浜の復興概要』 1925年 横浜市

  • 『横濱市商工奨勵館 : 歴史的建築物とこれからの都市づくり』 1997年 横浜産業振興公社

  • 『開港150周年記念 横浜建築家列伝』 2009年 横浜市都市発展記念館


この特集については、9/17-18横浜国立大学を会場に開催される「ぼうさいこくたい2023」にポスター出展する予定。(コラムタイトルは仮題)





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