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[コラム]関東大震災100年 | 09 - 歴史的建造物の防災 - 横浜市開港記念会館 - ぼうさいこくたい2023連携企画【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】



横浜三塔の一つ「ジャックの塔」の愛称で親しまれる「横浜市開港記念会館」(国指定重要文化財)。その前身は、大正6(1917)年に横浜開港50周年記念事業として市民から寄付を募り建設された「開港記念横浜会館」に遡る。赤煉瓦に花崗岩で白いラインを付ける特徴的な外観は、東京駅の設計で知られる辰野金吾が得意としたことから「辰野式」とも呼ばれており、同会館もこの様式の一端に位置付けられる。設計はコンペで一等となった東京市技師で辰野の弟子でもあった福田重義の案を基に、実施設計は長崎県から招聘した山田七五郎(後の初代横浜市建築課長)が担当した。


改修工事中の横浜市開港記念会館(2019)


時計塔やドームの屋根を持つ華やかな外観は絵葉書等の題材にもなるような当時の横浜を代表する建造物の一つであったが、大正12(1923)年の関東大震災で被災してしまう。煉瓦壁には碇聯鉄(ていれんてつ)構法と呼ばれる鋼材による補強を入れていたことで、全壊は免れたものの火災により、ドームをはじめとした屋根や木造床等を焼失し、時計塔と外壁を残すのみとなった。優先度は高くなかったためか、長らく工事の目途は経たず瓦礫のまま一時は解体も議論されていたが、大正15(1926)年からようやく復旧工事が始まる。創建時の実施設計を担った山田七五郎指導の下、監督には長崎県技師時代の部下であった木村龍雄が選出され、昭和2(1927)年に竣工した。復興に際しては、2階広間や公会堂内にアーチ状の補強壁を設置する等、煉瓦壁の内側に鉄筋コンクリートの補強を設ける工法を採用しており、創建時の外観を保存しながらも災害に強い内部空間を目指した苦労が見て取れる。こうした構造補強と共に、焼失した壁画やステンドクラス、照明等も震災復興期のデザインで一新している。しかし、創建当初に会館の屋根に設けられていたドームは復元されることはなかった。


横浜市開港記念会館(復元されたドーム部分) - 2015


その後横浜大空襲による被災を免れ、戦後は昭和33(1958)年まで「メモリアルホール」の名称で進駐軍兵士向けの映画館として接収されていた。翌年に返還されると、中区の公会堂「横浜市開港記念会館」となった。昭和60(1985)年に創建時の設計図が発見されたのを機に、ドームを乗せた創建時の姿に復元され、工事が竣工した平成元(1989)年に国の重要文化財に指定された。

関東大震災から復興を遂げ、長らく皆に親しまれてきた「横浜市開港記念会館」、令和4(2022)年度から始まった保存改修工事では、横浜のシンボルを次の世代に繋いでいくために経年劣化による内外装の補修や外壁の補強等を行っている。工事完了後の来訪時には是非こうした歴史的建造物を後世に引き継いでいくための、防災にも関心を持っていただきたい。




【参考文献】

  • 『横濱市商工奨勵館 : 歴史的建築物とこれからの都市づくり』 1997年 横浜産業振興公社

  • 『開港150周年記念 横浜建築家列伝』 2009年 横浜市都市発展記念館

  • 『「ジャックの塔」100年物語』 2017年 神奈川新聞社

  • 『横浜市公共建築の100年 ― これまでも、これからも、横浜らしく―』 2023年 横浜市建築局


この特集については、9/17-18横浜国立大学を会場に開催される「ぼうさいこくたい2023」にポスター出展する予定。(コラムタイトルは仮題)






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