関内周辺地区の震災遺構
1 横浜市役所出土遺構群 - 中区本町6-50-10(横浜市役所)
<横浜銀行集会所隆起地層>
横浜銀行集会所(明治38(1905)年竣工)の基礎と関東大震災による隆起地層(横浜市役所地下に展示)
<横浜銀行集会所建物基礎>
横浜銀行集会所(明治38(1905)年竣工)の柱の基礎
<航路標識管理所倉庫基礎>
航路標識管理所(旧灯台寮)の敷地内にあった倉庫(明治時代中期竣工)の基礎遺構
<航路標識管理所煉瓦造導水管>
航路標識管理所(旧灯台寮)の敷地内に埋設されていた煉瓦造の導水管
2 旧横浜税関事務所基礎遺構 - 中区新港1-1-1(赤レンガパーク)
旧横浜税関事務所(右突堤中央事務所・大正3(1914)年竣工)は船舶の係留、貨物の取扱い等の事務を行っていた。煉瓦造スレートぶき、3階建てで、1階はガラス張りの天井ホール、2階、3階には事務室と応接間があり、ガス暖炉、白熱電灯、給水管など当時の最新設備が備えられていた。関東大震災で倒壊し、再建されることはなかった。赤レンガパークの整備時に基礎遺構が発見され、展示されている。
3 開通合名会社煉瓦遺構 - 中区北仲通1-6
開通合名社は、横浜港から陸上される貨物の通関発送事務を営んでいた商社であある。関内周辺地区に遺る数少ない震災以前の歴史的建造物であるの外壁で、震災復興期に建てられた建物の内部に残されていた。解体時に発見され、所有者の意向により保存公開されている。
4 山下居留地89-A番館メダリオン - 中区山下町89-1
関東大震災前に山下居留地89-A番地に建っていた商館のメダリオン。関東大震災で倒壊し、埋め戻されていたが、工事の際に発見され、FANCLビルの1階風除室内に保存公開されている。
5 横浜地方裁判所慰霊碑 - 中区日本大通9
発災時に横浜地方裁判所にて殉職した犠牲者を記録し、慰霊するために建立された慰霊碑。
6 旧横浜英国総領事館 関東大震災の犠牲者銘板 - 中区日本大通3
発災時に領事館で殉職したイギリス人犠牲者4名の記録として設置された銘板。
7 旧英国7番館(戸田平和記念館) - 中区山下町7-1
関内周辺地区に遺る数少ない震災以前の歴史的建造物で、大正11(1922)年にバターフィールド&スワイヤ商会の横浜支店として建築された。関東大震災で全焼したが外装は残ったため再建された。
8 山下居留地遺跡 - 中区山下町25
「神奈川芸術劇場(KAAT)」の敷地において、工事に先立ち行われた(財)かながわ考古学財団による遺跡発掘調査にて出土した関東大震災以前の外国人商館の遺構群が展示されている。
9 旧横浜居留地48番館 中区山下町54
関内周辺地区に遺る数少ない震災以前の歴史的建造物。紅茶やダイナマイト等を扱ったモリソン商会の店舗として明治16(1883)年に建設されたが、関東大震災で被災し、2階部分が崩落した。復興事業では建物の一部が取り壊されたが、残存した部分が倉庫として使用されてきた。
10 山手80番館遺跡 - 中区元町1(元町公園内)
横浜に唯一現存する震災前に建てられた外国人住宅の遺構。煉瓦壁体が鉄筋により補強されたていたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大地震による被害状況を見ることができる。元町公園整備時に発見され、保存公開されている。
11 ジェラール水屋敷地下貯水槽 - 中区元町1-77(元町公園内)
横浜に居留したフランス人のA.ジェラールが谷戸の湧水を集めて貯水し、船舶給水業のために造った施設で、兼営していたフランス瓦煉瓦製造工場地下に設けられていた。震災で倒壊し埋め戻されていたが、同地の整備中に発見され、保存公開されている。
12 旧横浜フランス公使館メダリオン 中区山手町114(港の見える丘公園内)
明治29(1896)年に竣工したフランス領事館に付いていたメダリオンの遺構。フランス共和国を示す「R.F」の文字が彫られている。関東大震災で倒壊し、公園整備時に発見され保存公開されている。
13 大丸谷震災地蔵尊 - 中区石川町1-35
石川町大丸谷坂付近で犠牲になった方を記録し、その冥福を祈るため、震災50周年にあたる昭和48(1973)年に石川町一丁目町内会により建立された地蔵尊。
14 谷戸坂大震災追悼碑 - 中区山手町100 - 1 マンション擁壁下
震災の犠牲者を追悼するために建立された追悼碑。
関内周辺地区の復興関連施設リスト
※震災復興関連施設は復興橋梁を除き、『横浜の復興概要』に記載のある施設を掲載
1 野毛山公園 西区老松町63-10
大正15(1926)年開園の震災復興公園。
2 旧横浜生糸検査所(横浜第2合同庁舎) 中区北仲通5-57
震災直後の10月18日には、三溪園の開設者としても知られる原富太郎(原三渓)を会長とする横浜市復興会より「生糸検査所新設の請願」が国に提出され、大正15(1926)年には遠藤おとの設計による本館、倉庫棟、付属事務所棟を持つ復興建築としては最大規模の生糸検査所が建設される。
3 旧横浜商工奨励館 中区日本大通11
震災で被害を受けた横浜の商工業の振興を目的に建設された施設で、横浜市震災復興事業を担った建築課の設計による。ホテルニューグランド旧館と並び、横浜を代表する震災復興建築。
4 ホテルニューグランド 中区山下町10
『横浜の復興概要』(1925年 横浜市)には「帝国の関門たる本市に良好なるホテルを有することは単に市の復興上必要なるのみならず、将来の繁栄上にも至大の影響あり。」と記載があるように、ホテル建設計画の下、建設された震災復興の象徴的な施設である。設計は銀座和光ビルの設計者としても有名な渡辺仁だが、横浜市建築課も関与している。
5 山下公園 中区山下町279
震災瓦礫を埋め立てた上に造られた日本初の臨海公園で震災復興公園。昭和10(1935)年には、復興記念横浜大博覧会の会場にもなった。
6 インド水塔 中区山下町279(山下公園内)
横浜にて被災インド人への住宅手当等横浜市民が手を差し延べたことへの謝意と、同胞の鎮魂を込めて、昭和14(1939)年に横浜インド商組合が横浜市に寄贈した施設である。
7 元町公園 中区元町1
政府直轄事業で整備された野毛山公園、山下公園とは異なり、横浜市が整備した復興公園である。震災前の元町公園付近は、A.ジェラールが湧水を船舶給水用に貯水した「水屋敷」と呼ばれた施設であった。震災を契機に市有地となっていた同地の豊富な水源を活用したプールが計画され、復興公園費や昭和御大典を祝し横浜市連合青年団が募った寄附金を財源に整備し、昭和5(1930)年に開園した。プールや弓道場を備えた公園として親しまれてきた。
この特集については、9/17-18横浜国立大学を会場に開催される「ぼうさいこくたい2023」にポスター出展する予定。(コラムタイトルは仮題)
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