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[開港5都市]景観まちづくり会議2022新潟大会 - 06 分科会2「過去と未来が醸すまち」【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】

更新日:2022年11月13日



令和4(2022)年9月24日(土)、「開港5都市景観まちづくり会議2022新潟大会」2日目の朝は、5の分科会に分かれるエクスカーションで始まる。

THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAは、分科会1 「開港場新潟の底力-米・人・学問-」、分科会2「過去と未来が醸すまち」、分科会3「新潟市民も知らない湊新潟のディープ下町隠れた歴史巡り~全国有数の遊郭街跡と廻船問屋街を歩く~」、分科会4「食・町・文化をワイワイ巡る湊町新潟古町の新旧よいとこ探訪」、分科会5「水辺景観を活かしたにぎわい空間を創出する都市未来像~国際MICE CITYを目指して~」の全ての分科会に参加した。


分科会2のテーマは「過去と未来が醸すまち」。沼垂の歴史、遺構を訪ねるとともに、沼垂のブランディング再構築を掲げてリバイバルに 取り組む事業者が手作りで進める地域活性化について考える分科会となっている。


<新潟駅 >

このツアーの案内人は、全体会議Ⅰで基調講演を務めた坂井秀弥氏(新潟市歴史博物館館長)と高野善松氏(沼垂ストーリー形成連絡会)である。あいにくの雨ではあったが、新潟駅前から2人の待つまち歩きのスタート地点「沼垂小学校」へ向かう。

高野氏による開会の挨拶を経て、まち歩きの理解を深めるための基調講演が開催された。


<基調講演 坂井氏「沼垂350年~町並みに残る水郷と近代化の歴史」>

「沼垂の町は、旧阿賀野川の湊として発展してきた。現在の町は、信濃川、旧阿賀野川の氾濫に翻弄され、寛永8(1631)年から4度の移転を経て、貞享元年(1684)年にこの地に定着し、約350年を迎えている。」、「まち歩きのスタート地点である沼垂小学校は、新発田藩の御蔵が置かれた場所で、河川の氾濫から蔵を守るため、低湿地内でも比較的高い、砂丘上に建設された。このことから沼垂小学校は現在でも「御蔵の小学校」とも呼ばれている。砂丘上は新潟地震でも被害が少なかった場所でもある。」、「町の形成上重要な要素が、栗ノ木川である。これは砂丘を横断していることから、意図的に造れた人工河川だと思われる。この川と分岐する堀により、舟運が発展し、堀沿いに酒や味噌の醸造所が造られた。昭和49(1974)年にバイパス道路となったが、河川の形は維持されている。」、「今の町にどういった歴史が重なっているのかを追体験できることが、まち歩きの醍醐味であると思っている。」といった沼垂の町の成り立ちを説明いただき、まち歩きへの期待が高まる。



続いて、高野氏より沼垂ストーリー形成連絡会の活動について「各企業が集まり、マイクロツーリズム等をテーマに活動している。これからは地域に密着し、地域を活かしながらのビジネスが必要になる時代だと思っている。」等の活動紹介があった。


<沼垂小学校>

海蔵寺跡に明治6(1873)年、海蔵寺(現新潟市役所東地区事務所)を校舎に開学、来年(令和5(2023)年)に創立150年を迎える。明治37(1904)年、現在の場所に移転した。

坂井氏の基調講演でも紹介されたように、沼垂小学校はかつて新発田藩の御蔵跡地にあることもあり、広い敷地にゆったりとした造りとなっているそうだ。敷地の脇の道路はかつて堀であり、敷地との高低差に堀があった時代の痕跡が見られる。



広々とした敷地を持つ沼垂小学校

沼垂小学校脇の堀の痕跡が見られる高低差(堀は新発田藩の御蔵への運搬に使われていた)


<栗ノ木川遺構>

沼垂地区の近代化に大きく貢献したのが栗ノ木川である。かつては、栗ノ木川沿いに味噌や酒を醸造する蔵が設けられ、新発田藩の御蔵を含め、川を使った舟運が行われていた。

現在の国道7号はかつての栗ノ木川の流路であり、周辺敷地との高低差やかつての橋の欄干跡等がここに川があったことを物語っている。坂井氏より「こうした欄干遺構も貴重な文化資源として遺していけると良いと思っている」との紹介があった。


栗ノ木川やそこから分岐する堀に架かっていたと思われる橋の欄干跡


<今代司酒造>

今代司酒造は明和4(1767)年創業の酒造会社。日本一の蔵元数を誇る新潟県内において、玄関口である新潟駅から最も近くに蔵を構えている。酒蔵を閉ざすのではなく、オープンにすることで、少しでも多くの方々がよりいっそう地酒に親しめる環境を提供している。


今代司酒造外観


創業当初は酒の卸し業や旅館業、飲食業等も商いにしており、明治中期から酒造りに本格参入している。醸造アルコールの添加や副原料の追加を一切行わないことにより生み出される品質と積み重ねられてきた歴史により、新潟の清酒を代表する酒造の一つとなる。

暖簾をくぐり酒蔵の奥に入ると、9代目蔵元の山本吉太郎氏から「創業当時からある釜(写真)は現在も現役で、酒造りに使用されている。」、「近年日本酒は国内だけでなく、海外からも評価をされており、海外向けの輸出も増えてきている。」等、蔵や酒造りの歴史、最近の動向等についてご紹介いただいた。


酒蔵について解説する9代目当主山本氏


一通り説明を聞き終え、蔵を出ると甘酒と日本酒の試飲も物販スペースがある。砂糖を加えていない甘酒は米の味をしっかりと感じることができ、仄かな甘みが美味しい。またハロウィン期間限定の日本酒も香りも豊かで、飲みやすかった。あれこれと目移りしてしまう物販に後ろ髪を引かれながら、一行は今代司酒造を後にした。


<沼垂白山神社>

創建年代は不詳。社伝によれば、かつては水分(みくり)神社と呼ばれた。一番堀通町にある同名の神社と区別するために「沼垂白山神社」と呼ばれる。

水分(みくり)は水配の意味で、灌漑の神である。沼垂白山神社は、江戸時代初期の寛永年間には、王瀬山にあり、沼垂地域の総鎮守とされた。平成28(2016)年、栗ノ木道路事業における国道7号の拡幅工事に伴い、社殿の曳家が行われた。本殿の見事な彫刻は、日光東照宮の眠り猫等の彫刻を手掛けた名工、左甚五郎の作品とも言われているそうだ。


左甚五郎の作とも伝わる彫刻


<峰村醸造>

峰村醸造は、明治38(1905)年に初代峰村仲蔵が味噌醸造業を創業した際から続く老舗の醸造所である。屋号の○に仲「マルナカ」はこの仲蔵という名前に由来している。敷地内に残っていた「江戸後期から明治初期に建てられた土蔵」と、「大正時代に建てられた2Fに御座敷のある土蔵」の2件の歴史的建造物を前面のバイパス道路拡張に合わせて曳家し、内部を改修している。今回は味噌を醸造している蔵の内部を見学させていただいた。峰村醸造スタッフの方からは「味噌の仕込み樽を移動しやすくするため、室内に柱を設けず、大空間を確保できるトラス構造を採用している。」との説明があった。その後、味噌や関連商品を購入できる時間も取られた。


峰村醸造外観

峰村醸造味噌蔵見学の様子


<沼垂テラス商店街>

沼垂テラス商店街は、かつての堀を埋め立てた上に建設された市場の建物を再生した物件である。沼垂地区は、近代以降に工業地域として発展してきた一面も持っている。この通勤ルートに位置していたため、旧市場(沼垂テラス商店街)は工場労働者が多く利用していたそうである。しかし、住民の高齢化や相次ぐ工場の撤退などの影響により、空き店舗が多くなっていた。そんな中、田村寛氏(大衆割烹「大佐渡たむら」)がこの状況に危機感を持ち、平成22(2010)年に店舗の向かいにある旧市場の一画に惣菜などを扱う店舗「Ruruck Kitchen(ルルックキッチン)」を開業。これをきっかけに平成24(2012)年までに更に2店舗が開業した。高岡氏(沼垂テラス商店街)からは、「沼垂テラスと周辺の工業地域の関係、沼垂テラスでのイベント、周辺の空き家も含めた面としての展開」について紹介いただいた。この民間による商店街活性化の取組は高く評価され、平成28(2016)年に「地域再生大賞」準大賞、さらに平成29(2017)年に「グッドデザイン賞」を受賞している。


沼垂テラス商店街


<寺町界隈>

寺町界隈では、明治30(1897)年に開業した旧北越鉄道(のちの国鉄信越線)鉄道路線敷の遺構等について説明があった。

旧北越鉄道(信越線)鉄道路線敷の遺構


<沼垂ビール(昼食・意見交換会)>

平成28(2016)年に創業した沼垂のマイクロブルワリー。沼垂ビアパブは、沼垂ブルワリーに隣接した、築50年の古民家をリノベーションして創った、レトロな雰囲気の「ブリューパブ」(醸造所併設のビアパブ)。沼垂の通りに面した板張り、障子戸の部屋と奥の畳の和室がある。オーナーの高野氏からは「新潟では、日本酒の酒造でも地元の農家に酒米を作ってもらい、その酒米で酒造りを行うという、地産地消の考え方がある。マイクロブリュワリーは地域に密着し、地域と繋がりながら商売をできるという魅力がある。」といったCtoCのビジネスモデルについて紹介いただいた。


沼垂ビール外観


席に着き、ビールを飲みながらの昼食となった。自家製の燻製や近隣の豆腐屋が製造した豆腐等、爽やかな旨みを感じるビールと良く合う。


沼垂ビールでの昼食

昼食後は今回のガイドの2人に田村寛氏(沼垂テラス商店街)を加え、今回のテーマや今後のまちづくりについて、参加者も交えて意見交換が行われた。


坂井氏:「若い世代が旧い町に入って行くからこそ、若い世代のセンスで町の魅力が引き継がれていくのだと感じた。全国の文化財に関わってきたが、その経験を自分の生まれ育った町に役立てたいと思った。新潟には何も歴史がないと思っていたが、歴史の積層があることが分かり、自分のルーツを感じた。」等の紹介があった。


高野氏:「旧いモノと新しいモノ、各世代が交わる町が魅力的だと思っている。こうした想いと地域の歴史的背景から、今回の分科会のテーマを「過去と未来を醸す町」と設定した。」、「長く東京で仕事をしていたが、地域の中で循環するビジネスを模索していた。シェアハウスや民泊なども研究したが、マイクロブリュワリーがあることで、4km四方に商売が成り立つことを知る。自分の父親がパン屋であったこともあり、地域と共存共栄できるビジネスの在り方としてマイクロブリュワリーが良いのではないかと思い立った。」等の紹介があった。


田村氏:「大学卒業後、暫く東京にいた。地元に戻ると、バブル崩壊後の不況や地域の衰退を目の当たりにした。自分の店だけ良くなっても、長い目で見ると周りが元気でないと商売が続かないと思い、地域の会合や行政の集まりに参加し始めた。こうした中で、近くにあった旧市場のシャッター街を活用していくことを思い立つ。1店舗だけでは盛り上がりにかけたので、建物を使って事業をやってみたい担い手を探していた。しかし、建物は当時組合が所有しており、次々と店舗を入れるには、組合員でないと営業ができないという組合法や組合構成員の高齢化を理由に交渉が難航していた。これを解決していくため、会社を設立し、旧市場の建物をまとめて購入、活用したいという事業者にリースをするに至った。店舗の営業時間がまちまちであったため、賑わいの創出にかけていた。これを解決するため、月1回は全ての店舗を開ける朝市を開催するようになった。現在は更に活動が拡がり、年1回の夜市も行っている。」等の紹介があった。


意見交換会の様子


こうしたパネリストの発信に対し、会場より「人の営みや暖かさを感じ、町の個性を観ることができた。」等の感想や沼垂テラスの活用についての質問があった。


今代司酒造や峰村醸造では、栗ノ木川と醸造の歴史を背景に、観光拠点としても力を入れており、これと合わせて、沼垂テラス商店街や沼垂ビールでは、地域の方々が利用でき、地域に根差した地産地消のローカルビジネスが展開されている。分科会2の参加をとおして、まちの成り立ちを辿る面白さと、それをまちづくりのストーリーとして活かしていく重要性を学んだ。



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