令和3(2021)年11月23日(月)、「開港5都市景観まちづくり会議2021 長崎開港450周年記念大会」3日目、午後から参加予定であった「オプショナルツアー デミー博士と行く土木的軍艦島上陸ツアー〜コンクリート劣化」は、軍艦島の研究者デミー博士こと出水亨氏(長崎大学・噂の土木チームデミーとマツ)の解説の下、軍艦島への上陸が計画されていたオプショナルツアーではあったが、残念ながら悪天候のため欠航となった。
軍艦島上陸の代わりにホテルニュータンダにて出水氏による軍艦島のコンクリート構造物の最新の劣化状況が伝えられた。
ドローン撮影による3次元モデル解析等を通した調査では、吹き付ける潮風に晒された建物の劣化は著しく、日々景色が変わっているそうである。保存は先ず島の侵食を食い止める護岸が最優先であり、個々の建物の優先度は全体としては高くないそうである。島を維持していくには年間多額の費用が必要であり、ふるさと納税や日々の情報発信によりファンを獲得していくことの重要性が伝えられた。
なお、THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA別動取材班も当日午前中、一般のクルーズツアーを利用して軍艦島を目指したが、悪天候のため上陸はできなかったが、最寄りの高島に立ち寄り「高島石炭資料館」で模型による解説を受け、さらに接近し、間近に島を見ることができた。
軍艦島は通称で、正式名称は「端島」。小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになった。
最盛期の昭和35(1960)年には約5,300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度になっていた。島内には小中学校や病院などが完備され生活を全て島内で賄うことができ、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていた。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えてきたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山。島は無人となった。
平成27(2015)年7月5日、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として登録された。
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