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[開港5都市]景観まちづくり会議2021長崎大会-07 分科会⑧「裏長崎」で「まち登山」~長崎アソビのニューノーマル~ 【THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWA】

更新日:2022年9月11日



令和3(2021)年11月21日(土)、「開港5都市景観まちづくり会議2021 長崎開港450周年記念大会」2日目の朝は、10の分科会に分かれるエクスカーションで始まる。

THE HERITAGE TIMES YOKOHAMA KANAGAWAは、そのうち


①営みとつながりが創る 新しい居留地物語~長崎居留地のグランドデザインをめぐる旅~

⑥港市長崎を「土木」で巡る旅

⑧「裏長崎」で「まち登山」~長崎アソビのニューノーマル~

⑨茂木地域まるごとホテルプロジェクト構想の未来を描く~アルベルゴ・ディフーゾを目指して~

の4コースに参加した。


<分科会⑧>

分科会8のテーマは「『裏長崎』で『まち登山』~長崎アソビのニューノーマル~。長崎観光ゴールデンルートの背後にある丸山から十善寺の斜面地を裏長崎と呼び、感覚を研ぎ澄まし、歴史遺構や昭和の風情、個性豊かなお店、空地活用の市民農園など知られざる地域資源を丁寧に味わいながら坂を登り、山頂ではピクニックや長崎ハタ揚げ体験など、長崎アソビを体験するコースとなっている。

午前9時に思案橋電停に集合。集合場所で待っていたのはこの分科会の案内役は長崎都市・景観研究所所長の平山広孝氏。



参加者は函館、横浜、地元長崎から10人が参加。

今回のテーマになっているのは、平山氏自身が、長崎の奥深さを知ったという「裏長崎」。「長崎の斜面地には頂上まで家がある。飲み物の自動販売機や飲食店などいろいろな店もあるので、準備をしなくても気軽に山に登れる。『まち登山』は長崎のアクティビティになると思っている。今日、是非皆様にも体験していただきたい。」との趣旨説明から始まった。


<思案橋>

スタートは思案橋。思案橋周辺は西九州最大の繁華街。その先の丸山地区に遊郭があったことから、遊郭にいくか、行かないのか思案する場所であったことが名前の由来であり、「いこかもどろうか思案橋」と伝えられているとのこと。ここから一行は繁華街へ。



<まちづくりスナックシグナル>

繁華街の中の雑居ビルの3階に連れていかれると、そこには昭和の雰囲気が残る「シグナル」と書かれた緑色の看板がかかっている店内に案内される。ここは10年間空き店舗となっていた場所を活用した、会員制のコワーキングスナック「まちづくりスナック・ニューシグナル」。多種多様な世代が気軽に集い、長崎のまちづくりについて自由に語り合うことができる場所とすることをコンセプトに、実際にスナックだった場所をリメイクし、会員は24時間、好きな時間に利用できるほか、まちづくりなどに関するイベントも随時開催されているとのこと。



<丸山公園(丸山遊郭跡)周辺>

まちづくりスナックシグナルを後にし、火除け地の役割もあった広い通りに出たところの角にはカステラの福砂屋本店があり、店のしるしである蝙蝠の意匠をさりげなく取り入れた鉄製の柵にも目を引かれる。

その先には石造の建物が控えていた。丸山町交番である。丸屋町交番の外壁の石は少し黄色がかっているように見えるが、解説によると「長崎の石材は黄色系が多い。それは元々は天草で採取していた砂岩」とのこと。



<史跡料亭花月>

次に向かったのは「料亭花月」。寛永19(1642)年に引田屋として創業し、明治以降に「花月楼」と改称、昭和4(1929)年に廃業するが再興した。当時はオランダ人や唐人達の丸山見物の際には、花月に必ず立ち寄ったといわれ、幕末には、明治維新の志士達が花月に出入りしたという。

木造3階建ての旧本館と土蔵部分、2棟の木造2階建ての離れが現存し、元禄13(1700) 年頃作られた庭園は長崎三大庭園に数えられ、昭和35(1960)年、長崎県の指定史跡となる。

今回は正面外観を眺めるに留めたが、庭園側の塀やその周りを覗き込んで見えた様子も、地形に合わせた長崎らしい景観に触れられた。



<長崎検番> 

次は「長崎検番」へ。明治時代に丸山の芸妓衆は検番組織を確立し、芸妓を抱える置屋と料理屋の中間に立って、双方の調整を図る役割を務めてきた。昭和初期には、検番組織も最盛期を迎えたが、第二次世界大戦後は縮小が続き、昭和40年代の高度経済成長期を経て、昭和50年代はじめになると、置屋が廃止され、長崎芸能会は長崎検番に改称し、芸妓の手配・送迎・花代の精算を行う、現在の事務所のかたちをなすようになった。現在も十数名の芸妓が長崎花柳界を支える存在として活躍してるとのこと。



建物は明治期に建てられ、正面は片羽目板の壁面で1階は格子戸、2階は連子の連続する和風建築。側面、梅園通り側の壁面は基礎石が天草石、漆喰の壁面に1階は格子戸、2階は鎧戸と和洋折衷の外観が魅力的。今回はなかったが、ここに提灯が提げられているとより花街の雰囲気を醸し出すのだろう。



<老舗菊水大徳寺>

歩き進めると、徐々に行く道の勾配が急になってくる。狭い道の先に、大きな楠木の緑が見えてくる。

ここでおやつタイム。大徳寺公園の中にある「菊水」は、明治初期創業の大徳寺焼餅(梅ヶ枝焼餅)屋。出来立ての焼餅は、香ばしく甘い、優しい味わい。

大徳寺は、明治初期に廃寺となった寺で、今では梅香崎天満宮や楠稲荷神社などのある緑豊かな公園として親しまれている。この公園は、当時長崎港を見渡せる長崎随一の景勝地で、丸山遊女達も足を運ぶ憩いの場だったといわれている。

小休止後、少し歩いて街を見下ろせる開けた高台から、「唐人屋敷跡」の説明があった。



<長崎(小島)養生所資料館>

坂を登り進めていくと、新旧材料を使って再整備された小学校外構横を通り、「長崎(小島)養生所跡資料館」に着いた。

平成27(2015)年に長崎市立仁田佐古小学校の建設予定地から、「小島養生所遺構」が発見され、市民を巻き込んだ署名活動に発展し、長崎市は指定史跡として、一部の遺構を小学校体育館に併設する展示室で露出展示することを決定。令和2(2020)年に小学校と合築した資料館として開館された。



「長崎(小島)養生所」は、長崎海軍伝習所教官であったオランダ軍医ポンぺの病院設立の願いにより、文久元(1861)年に開設された我が国最初の近代西洋式病院で、資料館には新校舎建設工事に先立つ埋蔵文化財発掘調査により検出された養生所遺構の一部を露出展示、ヨーロッパ製薬瓶など病院関連出土遺物等を展示するとともに、映像やVRを用いて、養生所及び関連施設である医学所、分析究理所の歴史的価値や、「日本近代西洋医学教育の父」と称されるポンぺの功績などを紹介しており、施設は広くないものの、現代的な展示手法を用い、迫力ある見せ方となっていた。現地保存・展示ができたこと、複合施設として建設したことなど、これから新しく資料館を開設したり、既存施設を改修する際の、良い参考事例となる。


<十善寺地区コミュニティ住宅(斜面市街地再生事業)>


急斜面地に複雑に入り組んで老朽化した住宅が密集して建ち並んでいる集落において、生活道路や公園などの公共施設の整備や老朽化住宅の建て替え促進、居住環境の改善などの目的で事業が進められた、コミュニティ住宅を外観のみ見学した。



横浜にも住宅改良事業はあるが、ここまで条件の厳しい土地での施工事例はおそらくない。長崎市と各地権者、そして施工業者のチャレンジングな事例ではないか。(施工中の映像があればぜひ見たい)


<登山>

さらに狭く急な坂と階段を登り進めていく。途中、車やバイクともすれ違ったが、とても地元民以外は行き来できるとは思えない複雑で入り組んだ道。まさに街登山。ここでもしはぐれてしまったら、もう迷うしかない。見るからに空き家が多くなってきたのもあり、道を聞くにも人がいない。そんな中、階段とスロープのある細い坂道に面したお店に着いた。ソースのいい匂いが漂う。



今日のランチとなるお好み焼きと焼きそばを購入。用意されいてる間に小休止。聞けば、平山氏がこの坂道でバイクで転倒してしまった際に、助けてくれた恩人の店だという。




<どんの山(斜面地テイクアウトグルメ)> 

さらに、坂道を登り進める。天候が怪しくなってきた。そしてついに、「山の頂上」に到着!狭い坂道の先は、意外にも広いグラウンドで、街を一望。

強い風が吹く中、シートを広げて一休み。先ほど入手したお好み焼きと焼きそばの他に、なんとアウトドア用の調理器具持参で、作り立てを食べさせてくれるという。調理担当は、栄養士の資格を持つかなこさん。スープには、長崎の伝統野菜「唐人菜(とうじんな)」入りスープ、沁みる。シャキシャキとして、白菜に似た食感。そして、長崎の名物ハムの雲仙ハムを焼いてもらう、脂が美味しい。



なかなかの距離を歩いてきた後の、少しの達成感の中で食べるアウトドアランチ、なんて爽やかで気持ちのいい休日なんだろう!と浸りながらしばし休憩。楽しい時間は、突然に終わりを告げる。登山中に怪しくなってきた天候、急に大雨に降られ、慌ててランチセットを片付け、下山することに。

途中、仏式の墓地を見かける。墓石に金色の文字を刻むのも長崎らしさを感じ、そして手入れされた様子からも、この土地まで通っている家族に感心してしまう。


<中新町南部公民館・さかのうえん中新町ヒルズ(空き地活用農園)>

大雨を逃れて着いた先は、本日の最終目的地。やはり狭い坂道に面した、畑に隣接している中新町南部公民館に到着。

出迎えてくれたのは、長崎伝統野菜を育てている中尾順光氏。



先ほどランチで食べた「唐人菜」は、ずっと食べられてきたわけでなく、しばらく途切れた時期があり、中尾氏はじめ、仲間達で復活させた伝統野菜だという。今では、お雑煮に欠かせない野菜らしい。

雨が止んできたところで、畑で収穫体験させてもらう。大きい!こんなサイズのものを素人がとれるのかと思っていたが、コツを教えてもらい、無事に収穫できた。ここは坂と崖と住宅に囲まれた土地。広くない敷地に、畑で新鮮な野菜を育てている、不思議な光景「さか+のうえん」。



平地が少なく、空き家が目立つ集落に、ベテランと若手の新たな魅力の試行、実際に体験させてもらったことで、面白さと可能性を感じた。

また、「長崎伝統ハタ揚げ体験」が予定されていたが雨が降ってきたので、ハタはお土産に。ハタ揚げは、長崎くんち、精霊流しとともに長崎三大行事の一つとのこと。


<意見交換>

・講座「長崎アソビさかのうえん」講師・平山広孝氏(長崎都市・景観研究所所長)

・講座「長崎伝統野菜について」講師・中尾順光氏(長崎伝統野菜生産者)

・ミニワークショップ 座長・平山広孝氏(長崎都市・景観研究所所長)



初めてみる長崎の伝統野菜をいくつも見せていただき、黄色い柑橘「ゆうこう」をもらった。そのまま食べるのでなく、ゆずぽんのように、ポン酢と合わせるのがおすすめという。帰ったら試したい。 本日の分科会の感想を中心に、函館、横浜からの参加者は、開港の歴史からは比較的新しい、歴史を生かしたまちづくりの試行について、感動と自分の都市との比較などを伝え、地元長崎からの参加者は、普段気づかなかった魅力の再発見について、語り合った。




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